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スキャンダルはキャンドル

「スキャンダルはキャンドルだと思う」という詩の一節が延々と頭のなかを巡っている。


スキャンダルは人の心を照らすキャンドルで
スキャンダルというキャンドルで照らされた
他人の闇を見せてもらい
あなたも同じなのね、と
安堵させてもらうと言うような詩だったと思う。

吉野弘の詩はすきだ。

だけど初めてこの詩を読んだとき
そんなダジャレみたいなことを
詩にしちゃうんだ

偉大な詩人が読むと
こんな事でももっともらしくなるんだから
すごいよなぁと感じた。


この詩が頭の中を
占領しているのには理由があり、
最近社内で「スキャンダル」が起きたのだ。



恋愛のいざこざも
大人になると学生の頃のような
キャッキャウフフで済まない場合があるが
正直、他人の恋愛などどうでも良い。


それがたとえ不倫であったとしても
口出しできるのは当事者と
その当事者から
意見を求められた場合だけだと思うので

そのどちらにも当てはまらない場合は
意見を述べる資格さえないと思う。



ただ、どうしてあの男なのだろうと思ってしまう。

明るく仕事ができて可愛くて
人望もあるあの彼女が
なぜわざわざ既婚者を選んだのか。


恋に落ちる、なんて現象はない
落ちようと思って落ちるのだと
だれかが言っていたけど
私はそれに同意する。

落ちてしまえば
制御できなくなることは
目に見えているだろうに
なぜあえてあの既婚者に「落ちよう」と思ったのだろう。


いや、でももしかしたら
それまで本気の恋をしたことがなくて
初めてが運悪く不倫だったのか?
だから制御できなくなるなんて思いもせず踏み込んだのか?

いやいやいや、待て待て
彼女は確か私と同年代のはず。
それに子供もいるしバツイチだし
やっぱりあまりに浅はかすぎやしないか…


それでハッとした。
「こんなバカなこと私ならしない」
「あんな男私なら好きにならない」

そう線引きしつつ

「あんな素敵な子にも
人間らしい一面があったのね」と安心している。

彼女のスキャンダルで灯された闇を見て
私は安堵しているのだ。
しかもそのことをこうして文章にまでする悪趣味さ。



ああ、なんてみすぼらしいんだろう。


偉大な詩人が書いたことを
散々小馬鹿にしたくせに
私はまさしく、あの詩の主人公だったのか。











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