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期待しない、という生き方


49才になった。

 家族はたぶん今日が誕生日ということを忘れているだろうから、とりあえず自分で自分を祝おうと思う。

Happy Birthday Myself
祝われぬなら祝ってしまおうホトトギス、だ。


 妻は最近ギターの練習にしか興味がないから余計にそんなことには興味がないだろうし、なにより忙しい。小学二年生の次男は先日などしきりに誕生日を聞いていたが、日時の感覚がまだ曖昧だから、今日が父の誕生日という意識はないだろう。だから自ら祝うべく仕事帰りにドトールに寄ってケーキを食べている。

 この歳になると年々誕生日を祝ってもらえることが少なくなっていくけれど、いろいろなことを周りに期待しなくなった。人が他人にがっかりしたりイライラしたりするのは、自分の思いどおりにならなかったり、期待するからであって、そもそも最初から期待しないととても楽に生きれる。これは諦めともちょっと違うけれど、イライラの原因のほとんどはこの《期待する》ということに尽きると思う。

 他人に《こうして欲しい》《こうあって欲しい》という期待が大きければ大きいほど、思っていた結果にならなかった時に勝手にがっかりして落ち込み、時には勝手にイライラするのが大抵の人ではないだろうか。周りからするといい迷惑である。だから諦めではなく、期待せず信頼する、というのが人生を楽に生きれるコツになるのではないかと思うのだ。職場や家庭で揉めるのは大抵こういう場合が多いのではないだろうか。結局一方的に勝手に期待して、勝手に落胆し、勝手にイラついているのが世の中の大半の人ではないだろうか。

 子どもの教育などについても、親の過度の期待が子どもにとっては重荷になっている場合も多いのではないだろうか。昔は特に子どもに自分の人生を押し付ける親が多かっただろうし、こうなって欲しい、というのは子どもにとってはとてもしんどい。無理に習い事をさせたり、塾に行かせたり、親の思いはあるのは分かるが、僕が子どもの時は自分の体験としてそれがとても嫌だった。実際根性がなかったから、そろばん塾やスイミングもすぐに辞めたし、塾もしょっちゅう嫌で休んだりしていた。だからいまだに泳げないし計算も苦手だが、別にそれでいい。

 それから、自分に期待する、というのもあるかもしれない。例えば夢に向かって努力したが、思った通りにならなくて挫折して諦める場合。この《夢》というのがまた厄介なもので、過度の期待が思い通りにならなかった時に落胆することになる。そもそも本当にそれを好きなら《夢》なんてことは関係なしに無我夢中に結果など期待せず、突き進むのが突き抜けた人ではないのかと思う。《夢》などと大きい壁を作ってしまうから実際に壁を目の当たりにした時に落胆するのだ。

 僕も若いときはこうなりたい、という思いも少なからずあったので、何を努力したと言うことはないけれど、挫折を味わったりもした。音楽で生きて行きたい、という強い思いはあったけれど、結果何がなんでもという程には行動しなかったし、それを本心から思っていたのかは今になって思うとそうでもなかったのかなと思ったりする。

 プロになるにはある程度しんどい思いもしなければいけない事もある筈で、どうも僕は好きな事にそういう頑張りはしたくない体質なのだ。ましてやこの世の中においてお金を稼ぐという目的にしたくないというのもある。元来好きな事をしたいのに目的がお金を稼ぐ事になっては本末転倒だ。まぁプロになれなかった者の言い訳なのだけれど。

 だから音楽や好きな事を仕事にしている弟や友人たちの事は本当に尊敬している。飽きずにそれを続ける力というのは並大抵のエネルギーではない。僕なんかはすぐに飽きて違う事がやりたくなるから、いつも素人止まりだ。おまけになにをやるにも薄く浅くだから、プロから見るとなんていい加減に生きている人、という事になるのかもしれない。でも、そんな自分を最近は認めているというか、こんな人間がいてもいいのでは?と思ったりしている。こんな中途半端な人間がいてもいいじゃないか。

 楽器なども練習するのが嫌いだから、練習はしたことがない。とにかく曲を作れたらいいと思ってるので、楽器は基本的に自分の頭にあるビジョンを曲として現実化するツールでしかない。だからひとつの楽器を極めてる人などは本当に尊敬している。自分には到底無理だからだ。ただ、音楽を好きな力は誰にも負けてないと思う。

 だからこの自分に対しても過度に期待しない、という今の生き方がとても楽だ。他人と比べることなく、誰かのようになりたい、ということもなく、自分のオリジナルな感覚でこれからも生きて行きたいと思う。イッツオンリーワンスタイル。

 さて、こんな事を書いていると遅くなってしまった。そろそろ家に帰ろう。ケーキが用意されている少しの期待を胸に。

追記:
家に帰ると真っ暗で鍵がかかっていて、誰もいなかった。鍵は持っていない。サプライズでもなんでもない。やはり期待してはいけないという事をあらためて思った49才の春でした。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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