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母と娘とママ

今夜、母親に連れられて外に呑みに行った。半年ぶりだろうか。
母親はよく一人で、あるいは誰か友達と呑みに出かけることが多い。外で呑み、そこで出会う人と話すことが楽しいと感じられるようだ。
そんな母に夕食がてら連れられて呑みに行ったものの、そこで私は母親とお店のママからダメ出し総攻撃を喰らってきた。
私は母親と違って、このような呑み屋特有の賑やかな場が苦手である。第一私は陽キャではない。そのためマスターやママとお喋りするのも得意ではなく、お客の男性が話しかけてきても顔を見ることはためらわれる。
そんな私を見かねてか、母親とママは私にもっと自己主張をしろと言うのだった。
今日出会ったママは嫌いな性質ではなかったが、物をはっきりとおっしゃる方だったため、半年前から急に涙もろくなった私には十分応えた。
母親はママに私の過去の進路の話をしてみせ、あんた自主性がないね、それに何も喋んないし、暗くて不気味だ、私の嫌いなタイプだと私はママに言われる始末。
ママのこの歯に衣着せぬ物言いは亀の甲より年の劫というべきだ。
もちろん、母親とママの言いたいことは理解している。
が、私はなぜ斯様にいわれなくてはならぬのかと同時に思っていた。
私は自主性がない人間だと言われても仕方のない人間だ。母親がママに話したように、私は中学、高校、大学と、一つ上の姉の進路をそのままなぞってきた。就職こそ全く別の場所を選択したものの、私は今年の3月末にモラハラ及び仕事内容が苦で一年きっかりで退職し、今現在無職である。そして今は在宅のバイトを主に探している。
私の意見をここではっきり申しますと、私は決して、自己主張が無い人間ではないのです。
私は、この呑み屋でこそ三言ほどしか話さず口を閉ざしっぱなしでしたが、だからといって自己主張が無いわけではないのです。ただ、私の夢や将来の目標を今、この場で話したくはなかった。私だってちゃんと将来の夢や目標があるし、それに向かって微力ながら進んでいっている。もちろん私には自堕落な側面があることも承知しており、怠けてしまうことも多々ある。そのような部分が私から見え隠れしていたから斯様に言われる羽目になったのであろうか?私はやがて頭がちりちりと痛み、流れる涙を隠そうとしたが、ママには気づかれた。
そして店を出て、母親から再び尋問されたがスルーし、別の店の前に来たところで私は母を置いて一人帰ってきた。

私は退職してから自分の人生を振り返り、如何に空虚な生き方をしてきたのか知った。なんて生き方をしてきたのか、それまでは気づけなかったことに気づくことができた。だから私はこれからはやりたいことしかやらないと決めた。


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