私は父が苦手だった
子供の頃の私は父親が苦手でした。
七三分けでメガネをかけスーツ姿でいつも仕事に出ていく父。
休みの日は寝転んでテレビを観てばかりで全然遊んでくれない父。
普段無口のくせに、口を開いたらと思ったらと無神経な言葉を言ったり、笑えない冗談をいう父。
母親とささいなことで口喧嘩する父。
観たい番組があるのに野球中継を見続ける父。
家では偉そうなのに、電話の相手にペコペコしている父。
寝る時にいつもため息をついている父。
こんな父親がずっと苦手で、私には全く興味がないのだろうと思っていました。
中学校の文集に、サラリーマン(サラリーマン=父親のイメージ)だけは絶対になりたくないと書いていました。
そんな父親の印象が変わったのは、高校1年生の時です。
高校なんてすぐやめて働きたいという私と、高校だけは卒業してくれという母親。
理解されない苛立ちから私は、
「こんな家になんかに生まれたくなかった!」
と言ってはいけないことを言ってしまいました。
それを聞いていた父親は、近寄ると私の顔面に右拳を叩き込み、
「それでもうちの子なんや!」
と言ってサッと仕事に出ていきました。
殴られて動けない私は、痛いというより驚きました。私に対していつも無関心と思っていた父親の一発は心に効きました。
父親に手をあげられた記憶はこの時しかありません。
その一件を境に、父親への嫌悪感は不思議と徐々に消えていきました。
19歳の時、読んだ本の影響でインドにボランティア(マザーテレサの活動)行くとき、駅までの見送りに父もいました。普段なら仕事に行っている時間のはずなのに。
特に何を話すわけではなかったけど、嬉しかったのは覚えています。
その後、介護や看護の道に行きたいと両親に伝えた時、父は否定も肯定もしませんでした。ただ見守るだけ。
自分も歳を重ね結婚して子どもを持ち、父親のことが少しわかるようになりました。
あの人はただ不器用なだけの人だったのです。
あの人なりのやり方で家族を支えていたのに、こっちが勝手に嫌って勘違いしていたのです。
そんなことに気付くのにずいぶんと時間が掛かりました。
最近我が子に、昔自分が感じていた感情を向けられているのではと感じることがあります。
どうやら自分も父親に似て不器用なようです。
この誤解がとけるのはいつになるやら。
余談
先日父親と2人で外食する機会がありました。よくよく考えると人生初?と思うほど記憶にない。何を話すわけでもないけど、たまにはこんなのもいいんじゃないかと思える貴重な時間でした。
もし、この記事に少しでも共感された方はYouTubeで、「プラウド、井口理」で検索して出てくる7分1秒の動画をみてほしいです。
私はそれをみると必ず泣いてしまいます。今回の記事を書こうと思ったきっかけになった動画です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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