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救国の予言講演 1973~74年 4 国際勝共連合会長 久保木修已氏 信義外交は日本の生命

各国の日本に対する不信感


このようにして、日本は中共と手を握り合ってしまったが、今言ったように、中華民国と国交を断絶してしまったのです。果せるかな、東南アジアを頂点とする世界各国は、この日本に対して、とくに東南アジアは、ただちに日本に対する不信感を増していったことは、皆様方がご存知でございます。「日本人というものは何を考えているのか分からない」と、東南アジアの人々は口をそろえて言いました。
「あれほど御恩になった蔣介石総統さんをあんなに簡単に裏切られる日本人なんか、こんなに冷い日本人なんかを頼っていると、どんなことされるかわからない。ゆえに、我々は独自で考えていかねばならない。これからは日本と友好的につきあっていいものではない」ということで、日本は恐るべき不信の渦の中に、孤立化の様相を進めていったのです。
今日のように、資源の枯渇問題という世界的な問題を思う時には、資源のないこの日本という国は、世界の不信の中にあっては如何ともすることができません。この中で一億一千万人という人々が、ひしめいています。こういう民族になってしまいました。そしてマルコス大統領の率いるフィリピンは戒厳令をしいて、独自的に、その内外を引き締めざるを得なくなってしまいました。また、タイ、あるいはインドネシア、その他の国々も様々な問題が山積しています。すなわち、とどまることを知らないそういう様相を呈してしまったのです。お隣の大韓民国の朴大統領は三権掌握と強烈な布陣をしいて、国民の自由をとどめざるを得ませんでした。
このようにして、日本の一つの波紋は、世界にとんでもない大きな不信の波紋として、一石万波というようなことになって、とうとうこの様な状態になってしまったのでございます。さて、私はもう一つ申しあげたいことは、お隣の大韓民国のことでございます。約一年ほど前のことでありますが、大韓民国の高官の先生がこんなことを私におっしゃいました。

日本人の勤勉さに敬意

「久保木先生、あなたの国からわが国に今日まで七十万人位の観光客の皆様がおいで下さいました。全く有難いことです。わが国は今、戦争状態であるからあなたのお国のように、パスポート、ビザなどが簡単に出るはずもございません。ゆえに特別な人間しか国外に出られないのです。しかるにあなたのお国から、七十万人の方々が観光客としておいでになるということは、なんと有難いことでしょう。それで、そのお金で、わが国の歴史、伝統、文化、その他を見ていただけるということは、は、両国の親善関係のためにどんなにかすばらしいことでしょう。
しかるに、何ということでしょう。あなたのお国からおいでになる七十万人位の観光客の約九割以上が、日本の男の方なのです。私達はこの日本の九割以上の男性の方々が、わが国に着くや否や、『女はどこにいる!』『芸者遊びをする場所はどこだ!』『酒を飲む場所はどこだ!』と、こんなことを大声でわめき散らすという、心なき日本人を見てきました。私達は今までは日本人を尊敬してきました。なぜならば、『あのわずかな間に敗戦の悲惨などん底から、よくもよくもこんな短い間にこれ程の国力をつけたものだ。見事なものだ』と、尊敬してきたのです。もちろん、それは、いわゆる朝鮮戦争やあるいはベトナム戦争、そういったものが幸いしたかもしれません。しかし客観的な情勢がいかに整ったとしても、主体的には、人間自身が努力しなければ、それは身につくはずがありません。こう思う時になんといっても、日本人の正直さ、勤勉さ、そして誠実さというものが、これほどまでに国力をつけたのです。これは見上げたものです。わが国も発展途上国として、あなたのお国に追いつき追越せということを、合い言葉に、国民が一致団結して努力しつつあります。そのためには、どうしてもその日本人のすばらしさと良さというものをぜひ学びたいと思っていました。

日本人の醜態に失望

こういう気持が自然と起こって、また日本に行って勉強しようとしても、わが国は今、誰もが外国に出ていくことができない国情にあるのです。しかし幸いなことに、七十万もの観光客の方々があいついでおいで下さる。『そうだ!この日本の観光客の皆様方から日本人のすばらしさというものをわれわれは学んでいこう』と考えたのであります。これは私だけではなくて、他の韓国民も皆、そのように考えていたと思います。
ところがやがて、私達が失望し、やがてその失望は憤りに変わりました。来て下さる方、来て下さる観光客七十万人の実に九割以上が男性であり、その人々が酒だ、女だ、そういうことだけでわが国においでになるということをわれわれが知ったとき、この憤りは極限に達したのです。韓国政府としては、両国の親善関係をそこねてはいけないとして新聞、報道等を押えたゆえに、なかなか表面にはそういう問題は表われてこないようであるけれども、しかし、それだけに国民はかえって深刻になりました。たとえば寄席などで、『日本人がこんな醜い姿でわが国にのぞんでくるのだ』ということを漫才師とかあるいは落語家というものが、おもしろおかしく演じて見せます。それの方がもっと影響は大きい。わが国は今極めて、経済的に貧しい。貧乏です。ゆえに今は、どのくらい日本人が金をもうけたか知らないけれども、たとえ札束でほっぺたをひっぱたくような態度でのぞんでくる日本人であっても、歯を食いしばって耐えていかなければなりません。
しかしやがては、わが国があなたのお国以上に国力をつける時がまいりましょう。あの女達もやがて金を持つようになるでしょう。その時にこそ、正面きって日本人を軽蔑いたしますよ。日本人は何と節操のない奴らだ、こんな女遊びみたいなことだけで世界に出て行くという人間は軽蔑したいと思います。わが国とあなたの国、この両国の関係は今日まで不幸にも、不信と憎悪の歴史をつくってきました。しかし、今はようやくこの両国の間に親善関係が結ばれた一番大切なときではありませんか。このようなときに、もしまた、不幸なことになったならば、両民族は不信の底を走り、もう再び合いまみえることがなくなるのです。そのときの極東の安全、アジア、世界の平和ということに対して、一体日本はどのように考えているのか、そういうことを日本の方々は考えないのですか、お国に帰られたら心ある方々に告げて下さい」と、このように言われたのです。

日華条約破棄で悪名はせた日本人

これは皆さまご承知のように、お隣の大韓民国だけの問題ではございません。中華民国に行ってもそうであります。「日本人の観光客が大挙しておいでになるけれど何故その人々は女遊びだけをいいことにするのだろうか、あなただけですね。わが国のことを本当に心配しておいで下さるのは・・・・・・」と、いいながら涙を流しながら私にそんな話をしてくれた老人を私はよく知っているのです。これは中華民国だけの問題ではない。東南アジア、あるいは世界の果てまで進出して、日本人は至る所で、その醜さを見せて世界からつまはじきにされて嫌われているのであります。そう考えてみる時に、まさに中華民国との日華条約を紙クズのように捨てさった日本は、信義を守らない日本人として世界に悪名をはせてしまいました。
ある国が、国際時代の今日、その国の発言力を得るためには、どうしても基本的に三本の柱がなければなりません。まず今日『力の論理』がまかり通っている国際世界にあっては第一に強大な軍事力がなければなりません。これがなければ国際世界で発言権を持ち得ないのであります。第二番目はなんといっても豊かな資源がなければならないことはいうまでもありません。そして第三番目は、充分なる食糧生産量です。以上の三つがなければ今日どうにもならないのであります。しかし、日本は残念ながら、それのどれもありません。第一番目の軍事力は強大ではなく、大国に比べれば子供のおもちゃ遊びのようなものしか持ち合わせていないのであります。第二番目の資源、これもないことはわれわれがよく知っているのであります。せいぜいあるのは日本中至る所にある地下から湧いてくるあの温泉のお湯ぐらいなもの。それかといって一年中温泉にばかりつかっているわけにはいかない。

軍事力、資源、食糧なにもない国

そういうことで日本には何もないことがわかります。さらに第三番目の食糧などは、米が余ってきたためいくらでもあるように考えてきたけれども、今日、近代工業国家になった日本はアッと気がついてみたら、その五十%以上、半分以上を外国からの輸入にまかせているのです。先だっての大豆の問題一つをとってみても、アメリカ一国から九十一%強もの大豆を日本は輸入しているのです。日本人が消費するこれらのものを、アメリカが何かの都合によって、その大豆を送って来ない。こうなった時にはただちにわれわれは豆腐、しょう油、そして、みそ、といった生活必需品が、極めて、深刻な不足状態にたちいたるのです。また日本は四面が海に囲まれているから、魚などはいくらでもあるように国民は考えております。しかし、日本人が一年間に消費する魚の量は八百万トンありますが、その内、日本の周辺でとれる魚が半分以下の三百万トンだけで、後の五百万トン」というものは遠くのインド洋やフィリピンの沖から、さらにはニュージーランドの果てから、そして、はるばるメキシコ湾から持ってこなければならないのです。そういう状態になっている日本です。ところが今、もしも世界中から嫌われ孤立させられ、そして日本だけで自給自足体制をとっていかなければならないようになったとするならばわずか三千万人の人間しか生活してゆけないと、このように証明されております。三千万人といえば徳川時代、明治の初めの日本の総人口は三千万人といわれていますが、その当時の生活状態に帰らねばならないのです。してみると今、日本に一億一千万の国民がおりますが、そうすると残りの八千万人の国民はどうしたらよいのか、三千万人が生きるためには八千万人の人々を殺さなければならない。そういう状態に追い込まれていくのでございます。天保の飢饉とかその他に、日本にも過去に悲惨な歴史がございました。テレビ、映画などでみられるように、子供が生まれた時には、間引き』といってただちにコンニャク玉などで、その鼻と口を押えて、殺さねばならなかったのです。そういうふうにして、八千万人の人々が、死ななければならないような状態になっているのです。
そうなってくると、何ももたない日本の民族が生き抜いていき、さらには世界の中で発言力を得るためには、『これだけは失ってはならない」という問題がひとつあります。これを失ったらもう日本人の立つ瀬がない。

信義は決して“観念”ではない

その大切な、大切なギリギリの一線は今、わたしが縷縷申し述べてきましたようなことです。すなわち『日本人は道義を守る民族だ!』とか『日本国民は信義を重じる民族なんだ!』という話しを世界の前にたてる以外に、もはや日本は生きていけないのであります。この道義とか、信義などというのは観念的なもののように聞えるかも知れませんが、本来はもっと具体的な問題でございます。
これあらば、たとえば今のアラブ外交の問題にしても、今月まで友好的な関係を持ってきたイスラエルを袖にして、油が欲しいからといっていきなり“アラブは正義なり”と、取って付けたようなことを云って世界の物笑いになるようなことはしてはならないのであります。
中華民国をああやって、無情にも切り捨てて、世界の物笑いとなったように、またイスラエルにもこれと同じようなことをして、切り捨てはしなかったものの袖にしてしまったのです。そしてアラブ寄り外交」というように、アラブに走って行った日本に対しては、必ずこの“つけ”は何らかの形において、日本に返ってくるのです。

世界のトップ握るユダヤ人

それはいうまでもなく、アラブの外交問題だけがアラブにおいて成功しただけでは、石油の問題が解決するものではない、ということは皆様方がよくご存知のはずであります。セブンスターといわれるあの七つの国際資本、経済、その五つまでがアメリカであります。しかも、それがいわゆるイスラエル、すなわちユダヤ系であります。このメジャー、すなわち七つの国際資本をなんとか料理しなければ、政策与奪権を持っているこのメジャーが、全ての国々に対するそれぞれの石油の供給量、その他の問題をみなやっていくことはできないのであります。ですから、このイスラエルを袖にして、すなわち、日本がユダヤ人を怒らせることまでしてアラブから少々の石油をもらったとしても、結局は日本にとって何の利益にもならないのであります。
あのアメリカに二億七百万人の人が住んでいるといわれていますが、その中で六百万人のユダヤ人が住んでいるが、比率からすればわずかかも知れませんが、このユダヤ人がほとんどのアメリカの経済、いわば世界の経済を握っているといっても過言ではありません。経済だけではありません。政界、たとえば、先程中し上げたキッシンジャーなどがその典型的な例であります。その他の様々な分野のトップに進出しているのは皆、ユダヤ人であります。このユダヤ人を怒らせるようなことはそれぞれ、とんでもないことになるのです。

袖にされたユダヤ人の報復手段

今、世界に食糧が余っている国はたった二つだけであります。一つはアメリカ、もう一方はその隣りの国のカナダであります。あとの世界の国々は、日本をはじめとして五%以上世界から輸入してこなければならない現状になっているのです。アメリカ国内で、経済を握っているユダヤ人を怒らせるようなことがあったとしたら、今、国際世論が厳しいから、ただちには、報復手段には出ないでしょうが、しかし、名だたるユダヤ人ですから、徐々に真綿で首をしめるように、必ず、いつかは日本にそのツケを返してくるはずです。そのツケが食糧問題でなければ幸いであります。あるいは、これから移行するであろう原子力問題でなければ幸いであります。

皆さん!石油の問題なんかは、考えてみればまだまだ良い方であります。まあ、極端な言い方ですけれども、石油がなくて、乗り物がなくなるようなことがあったとしても、まだその両足に訴えてなんとか歩いていけるし、這ってでもいけるのであります。あるいは、どんなに寒かろうとも、毛布をかぶり、あるいは布団でもかぶって、我慢しておれば、日本という国は春夏秋冬実にこれが鮮明になっているので、三ヵ月だけ寒さを我慢しておれば、やがて暖い春が来るのであります。一年中冬のようなところ、一年中夏のようなところは違います。その点まだ希望があるのです。だから少し忍耐するだけでいいのであります。しかし、食糧問題だけは皆さん、例外であります。「今晩食べる物がない」こういう状態になったときの人間の心理状態は、これは大変な問題であります。フランス革命を始めとして、世界の革命のほとんどは、パン屋の店先から始まったといわれています。パン屋の店先に人々が並びはじめたらもう終りだというのです。日本流でいえば、お米屋の店先に人々が並び始めたということであります。このように食糧問題は非常に深刻であります。

長期的展望欠く日本人

されば、これらの原動力というような、そういうエネルギー開発問題になれば、必然的にウラニウムを始めとする鉱物資源、それは何といっても今度はアフリカであります。アフリカには大理石をはじめ、金、銀、銅、そしてウラニウム、その他資源が極めて大量にアフリカにある。この問題をわれわれが傍観しておくわけにいかないのであります。十年前から、ソ連、中共などそういったことに早くも目をつけて自分の国の国民をそれぞれ大量にアフリカにつかわして、アフリカの人々と一緒の食生活をしながら、その国のために一生懸命につくしているのです。それは、やがてはその鉱物資源、その他をわが国にもという一つの叫びかも知れません。いずれにしても、そのように世界的な観点を持って世界の国々は真剣に物事を考える。
しかるに、先程申しあげたように、わが日本民族のみは、お隣りの大韓民国の人々と違って今日の楽しみ、明日のレジャーのことは真剣に考えるかもしれないが、そういう長期的な展望になれないのであります。日本人は思想がない、哲学に乏しい、あるいは世界的な視野に乏しい、こういわれ続けてきた日本。それは感情的には動きやすい。しかしそのことが、目先のことだけで動いていくこの日本となって現われてくるのであります。

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