今日は這ってでも、無事に家に帰らなきゃ
夫が、無言で会社に行きました。
いつもは玄関先で見送るわたしと一言二言、何か話してから笑って家を出るのに。
ドアが開く音がして、え?何も言わずに行くの?と驚いて言った(たぶん夫の耳にも届いた)声も空しく、目の前でパタンとドアが閉まりました。
夫はたまに、こういうことをします。
何か不機嫌の理由があったのでしょう。
十中八九、わたしが原因なのでしょう。
そうじゃないと、この酷い仕打ちに説明がつきません。
男は黙ってサッポロビール、
だかセブンスター、
だか知りませんが、寡黙な方がかっこよくて、男のくせにベラベラ喋ったり泣いたりするのは恥ずかしいこと、と言われながら育ったせいなのでしょうか。
それなら夫が自分の思いの丈を話さないのは時代や社会の責任じゃないか、どうしてくれようとわたしは呪いたい気持ちになるのですが、夫は気に入らないことを言語化するのが非常に不得意で、何か気に障ることがあったときに押し黙る傾向にあります。
そして帰ってきてから「今朝はごめん」と謝るのです。
何について謝っているのか、不機嫌の理由はなんだったのか、夫の口から語られることはほとんどありません。
詰め寄ってもだんまり期間が長期化するだけなので(実証実験済)わたしも敢えて追求しません。
でも。
夫がこうやって無言で家を後にした日、お互い無事に帰ってこられるかどうかは、誰にも分からないことだと思うのです。
縁起でもないことを言いますが、もし、わたしに今日、万が一のことがあったなら、夫は今朝のことを一生悔やむことになるでしょう。
だって、謝る相手であるところのわたしはもう、いないのですから。
帰ってきて本人に詫びることができるのは、決して当たり前のことではありません。
ふと、震災や水害などで儚くなった方々の再現VTRが、頭によぎります。
あとに残された方は、こう仰います。
あれが最後になるなんて夢にも思わなかった。
あんな別れ方、するんじゃなかった。
せめて笑顔で行ってきますと言えばよかった。
出来る限り、夫にそんな思いをさせたくはありません。
だからわたしは今日、何が何でも、這ってでも家に帰らないといけないことになりました。
今日だけは、無事でいなきゃいけない。
にわかに緊張が走る朝です。