フォローされたり、外されたり
あ、フォロー外されてた
と、ふと気付くことがあります。
noteを始めたての頃は、どどど、どの記述が良くなかった?なんかまずいこと書いた?なな、なんでなんで?と慌てふためいたものです。
でも、今は気にならなくなりました。
相手の事情は分からないし
勘繰ってもどうにもならないからです。
もしかしたら、わたしの書いた何かが癪にさわって、もう金輪際、目にしたくなくなったのかもしれません。それは、未熟者で申し訳ない。
でも、定期的にフォロー数を調整している人もいるだろうし、あるいは間違えて外してしまって気付かないままという可能性もあるし、もしくは主だった理由なんか無いってことも。
…
例えば、一緒に暮らす夫がふと真顔になって黙ったときのことです。
あれ?わたし何か余計なことしたかな。
気に入らないことがあったかな。
さっきの発言がよくなかったのかな。
と思いを巡らします。
思い切って、なんかあった?と聞いてみると
「いや、なんか忘れてることが
あったような…と思って考えてた」
なんて言葉が返ってきたりします。
こちらが想像することと
相手が思っていることは
違うことが多い。
不機嫌なのかと思ったら
ただボーっとしているだけだったり
具合悪いのかなと思ってよく見たら
落としたものを拾っているだけだったり。
一緒に暮らしていてさえ
相手の心情なんて予測できない。
いわんや、ネット上のお付き合いをや。
それぞれの価値観があるし、しかもそれには日々、揺らぎがあります。
人は毎日少しずつ細胞を入れ替えて、考え方も徐々に変えていく。
1年前のわたしと今のわたしは、同じに見えて同じではありません。
今はこの人の曲を聴きたい
今はこの本を読みたい
今は何もせずただぼんやりしたい
わたしのnoteもまた、誰かの「読みたい」に含まれたり、含まれなかったりする。
ただ、それだけのことです。
わたしはわたしの書きたいことを、できる限り誰かを大きく傷つけることのないように一生懸命書くだけ。
来るもの拒まず
去る者は追わず
で、これからもゆるゆる書いていきたいなと思っています。
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