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開けっ放しのドア

阪神大震災から二十五年が経ちましたね。
僕はなんの記憶もありませんが、
母にはその日からずっとしていることがあるということを、
昨日、初めて知りました。
それは、以前ここにも書いたことのある、
トイレのドアについてでございます。
それを書いたときは、
そのおかしさから書いておりましたが、
そこには母なりの理由があったようで、
もし地震が起きても閉じ込められないように、
そういったもののようでございます。
閉め切ってしまうのが怖い、
ということも少なからずあるようでございます。
そうだったのか、
と、ある種、僕を含めてですが、
僕の家族の風変わりな習慣かと思っておりましたことに、
そのような理由があったことに、
衝撃を受けました。
どうしてそうと教えなかったのか、
不思議でなりませんが、
僕たち子どもが、
両親を真似て、
トイレのドアを開けっぱなしにして、
用を足すことに、
おかしさも少しばかり感じていたのでしょうね。
どうしてみんなドアを開けてトイレするのか、
そのことを笑っていたことがありましので。
僕の場合は、
地震を想定したドアの全開ではなく、
単なる習慣、癖でございますので、
笑われても仕方がないことでございますが。
日常的に小さな地震は起きておりますが、
彼女を含め、
地震とは縁のない地域から日本にやって来て、
たとえそれが僕たちの慣れている程度の地震であったとしても、
初めてそれを体感すると、
死ぬんじゃないか、
そう感じるほどに恐ろしいものだそうです。
慣れ。
小さな地震が起こるたびに、
と言うと手遅れな感もありますが、
定期的に地震対策について、防災対策について、
知識をアップデートして、
備えていかなければな、
そう強く感じた昨日でございました。
大きな地震は起きてほしくはないですが、
起きてしまうものだと覚悟して、
頭の片隅にずっと置いておきたいと思います。
生きるために。

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