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エゴ

昨日は、猛烈な風が吹く日でございましたね。
ビルとビルの間を歩いておりましたら、
突風に煽られて、
2、3歩よろけてしまいました。
僕が歩いていた10分の間に、
少なくとも3台は救急車が通り過ぎて行きましたので、
風に煽られて転倒してしまった人がいらっしゃったのかもしれません。
大怪我でないことを祈るばかりでございます。
救急車を要するほどの場面に出くわしたことは、
人生でまだありませんが、
先週だったでしょうか、
駅の近くのコンビニから出てきますと、
70歳前後と見られるおじいさんが、
地面に突っ伏しておりまして、
大丈夫ですか?救急車呼びましょうか?
と駆け寄って声をかけましたところ、
ああ、大丈夫
と元気に応えてくださいましたので、
意識ははっきりしていることに安堵いたしました。
そのときに、なにやらお酒の臭いがしましたので、
飲んでたんですか?
尋ねますと、
ああ
と苦笑いを浮かべながら返答。
それから、
地面に落ちているジャムパンらしきものと、
おじいさんの片手に握られているジャムパンらしきものが、
同じいちごジャムと見受けられる色をしておりまして、
拾おうとしてバランスを崩されたのだな、
そう推測いたしました。
腕を貸しながら体勢を整えてあげますと、
額にてんとう虫のような血が見受けられましたので、
コンビニに戻って、
コーヒーマシーン横にあるティッシュを一枚頂戴し、
おじいさんの額をさらっと拭いました。
血はもうでる気配はなかったので、
こちらもまあ大丈夫だろうと一安心。
意識も怪我の程度も大丈夫そうでしたし、
僕も用がありましたので、
その場を後にいたしました。
振り返って思うのですが、
救急車を呼ぶタイミングというものは、
いまいち判然としないものがあると感じます。
誰かのために呼ぶ場合は。
特に今回のような見知らぬ方の場合は。
要らない
そう当事者の方が言うのであればその意見を尊重したいところでございますが、
本当にあの後大丈夫だったのだろうか、
そのような思いがどこか頭の片隅にへばり付いているような感覚がございます。
救急車を呼んでしまえば、
当然、僕ができることの数十倍の処置が施されることが保証されますので、
心配は少し残るとも、
へばり付いているような感覚は残らないように思います。
人助けと呼ばれるものには、
どこかエゴがつきまとうような気がいたします。
明かに命に関わるような場面ではない場合において。
難しいな、
そう思うのが率直な意見でございますが、
声を掛けることは消極的にならなようにしようとは思います。
たとえそれがエゴであったとしても。

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