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コンプレックスが増えてきた話と諦観のススメ

人間なら誰しもが抱えているもの、コンプレックス。

今回は、コンプレックスについてのお話をしていこうと思います。

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私にはたくさんコンプレックスがあります。体型や、性格や、色々なことに対して。もしかしたら、かなり多い方かも。そう思うほどには、コンプレックスを抱えています。

その中でも特に私が嫌だと感じているコンプレックスは、”母親”コンプレックスです。

何それ?とお思いの方へ簡単に説明するとしたら、年々母親と言動が似てきているんです。しかも自分が嫌だなと感じる部分が。

自分が親を見ていて、こんな部分は嫌だなあ、そう思う部分ほど無意識のうちに受け継いでしまっていて、思わず頭を抱えました。

せめて、いいなと思う部分を受け継ぎたかった。そうは思っても、いま私の抱えている現実は、何にも変えられませんし、向き合っていかなくてはいけません。

そこで、私は”諦観“することにしました。みなさんは、この”諦観(ていかん)”という言葉をご存知でしょうか?

意味としては、①本質をはっきりと見きわめること。
       ②あきらめ、悟って超然とすること。(出典:コトバンク)

となっています。

私がこの言葉を知ったきっかけは、2019年7月クールのドラマとして放送された、「Heaven?~ご苦楽レストラン~」です。作中に、石原さとみさん演じる黒須仮名子の自由奔放な振る舞いに振り回されたときなどに、それぞれのキャラクターの頭上にぼわーんと”諦観”の文字が浮かんできて、無理に黒須を説得するのを諦める、といったふうに登場していました。

それから、私は何かにつけ”諦観”を思い出すようになりました。私は、これをネガティブな意味でなく、逆にポジティブに捉え、積極的に実践するようにしています。

例えば、電車に乗っていて同じ車両に大声で騒ぐ人がいた場合。程度にもよりますが、怒ったり、そこまでいかなくてもイラつく人も多いのではないかなと思います。こういう場面に遭遇した時こそ、「仕方ない」と諦観するようにしています。私にとっての諦観は、小さなことで怒らないための、一種の防御装置でもあります。

そのものごとの本質を見つめなおすことによって、自分の力では変えられない、どうしようもなく嫌な何かに遭ってしまったとき、必要以上に自分を責めたり落ち込んだりする必要がなくなります。なぜなら、それは「なるべくしてなっているから」です。

だから、何かに文句を言いたくなっても、自分がいま、身を置いている環境に不満があったとしても、自分の捉え方や努力次第ではもっと幸せになれるのではないかなと考えています。努力して良い方向に変えられる事柄なのであれば、できる限りの手を尽くし、そうでない場合は一旦、「ただそのことを受け止める」だけでいいのだと思います。

実際、私は”諦観”を覚えてから、些細なことではイライラしなくなったし、その困難とどう付き合っていくか、前向きに考えられるようになりました。さらに、精神的な余裕ができたのか、以前よりも相手の立場や考えを思いやりながら人と接するようになりました。心の重荷が下りたような、そんな感覚すらあります。

何か、いつもイライラしてしまう方や、コンプレックスを抱えていてそれを必要以上に引け目に思っている方には、私個人の意見ですが「完璧主義」的傾向があるのかな、と感じております。

どうか、「完璧」や「理想」を追い求めすぎないでほしい。自分のことを、昨日よりも少し誇らしく思えるための手段として、”諦観”してみてください。ここまで読んでいただきありがとうございました。





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