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椎名林檎「人間として」の解釈


2024年4月の新曲「人間として」を聴いたので解釈を入れてみます。今回は解釈を一点入れるだけでそこからの考察はお任せにします。

人間として "AS A HUMAN"を考える上で、正義を軸に人間の歴史を語っていると捉えました。
前半はだいぶ遡って狩猟社会以前、そこから社会ができて後半は農耕社会以降を表していると考察してみます。

つまりは、前半の正義は族長などのリーダーを指しており、後半の正義とは""を指していると。正義を擬人化した様な歌詞ですが、特に後半の正義という単語を"国"として置き換えても成り立つと感じました。

途中の間奏が文明の発達を鮮やかに奏でています。

人間の歴史の時間を考えれば、前半は数百万年続いた集団狩猟文化、後半は高々数千年の国の歴史です。時間で言えば1000分の1程度なので、前半の方を歌詞では"自然"と歌っています。

数百万年続いた集団狩猟文化はリーダーがハッキリしていて正義の概念もリーダー次第ですが、それに反する場合は仲間外れになります。誰もが互いのことを知っている集団です。

対して国というのは人ではないし、当然ながら国の中には色々な人がいて、互いに知り合いになることは、国のリーダーでさえできません。

そんな1つの仮定を持って曲を聞いてみたら面白いかと思います。もっとざっくり捉えて小集団と大集団でもいいかもしれないです。
前半は学校のクラスとかチームとか何でもいいです。正義とは先生とかリーダーとかになります。
後半は大企業やら教団やら自分からは全部が見えない大規模集団です。すると正義とは、根ざす風土であったり、神のような抽象度の高いものになるかと思います。


あとは最後の歌詞だけ補足しておきます。
「言葉を笑うものは言葉に泣く」
と言うのは、"一円を"に言い換えると聞いた言葉になると思いますが、つまりは"言葉を蔑ろにすると痛い目にあうよ"といった意味と捉えられます。

それを"国"が囁くということは、権力で脅している、または縛り付けているのですが、そこからの解放を最後に歌って締めくくっています。
そもそも全て人間としての業なんだから、もっと本質を追求して自然に考えることも必要じゃないのかい?
時代を重ねて知恵をつけて賢くなってきたわけだし、そもそも大昔の自然な正義は違っただろうとと、そっと提案してくれているのだと感じました。

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