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短編|向日葵と銃弾【第四話】

 心の中は空っぽだった。体の中にあるすべての水分を涙として排出し、赤く腫れた顔を、丸めた膝の内に隠す。多くの人が街を行き交うなか、道端でうずくまる子供に手を差し伸べてくれる人はいなかった。

 捨てられてしまった現実は、そう易々やすやすと受け入れられるものではない。しかし、理由は単純明快だ。この時代において、孤児が道端に捨てられていることは珍しいことでは無い。戦争が続き、経済の成長は著しかったが、その成長に伴った負担を請け負うのは国民だ。やがて国の資源が消耗していき、食い扶持ぶちを増やすために稼ぎにならない子供を捨てる。そして、捨てられた子供は野垂れ死ぬのだ。

 親が残してくれたものは、半分だけ残ったパンと、辛うじて寒さを凌げる薄手のコートだけ。季節は冬であり、これ以上路上に滞在し続けると命が危険だと本能が告げている。

「やあ、きみ捨てられたのかい?」

 寒さで思考が停止し、まぶたが重くなってきた頃、一人の男が声をかけてきた。その男は、ふちの丸いサングラスをかけ、黒のスーツに全身を包んだ妙な雰囲気を漂わせている。

「だからなんだ、見世物じゃないぞ」

 これが今できる最大の反撃だった。捨てられたからといって、見下されるのを許すほど人間として終わってはいない。

 男は、その言葉を意に介していない様子で、蹲ったままの子供に反抗的な目で睨みつけられながら言う。

「そこで無駄に死ぬくらいならついてきな。もちろん選ぶ権利は君にあるがね」

 それからは地獄のような毎日だった。朝から晩まで人を殺すために技術を叩き込まれる。訓練だというのに、命の危機にひんしたことも、一度や二度ではない。その生活が続き、数年の時を経てようやく実践におもむくことになる。

 一人目に殺した人間は銃の名手だった。元軍人であるらしく、現役を引退した身でありながら、国の軍に対して多大な権力を有していたという。これは後の知った情報なので、その時には考えなかったが、確かに身のこなしは超人の域であり、現役兵の頃の活躍具合が伺える。初めて人を殺すというのに緊張や焦りは微塵もなく、それに運もよかったのだ。ターゲットはアルコールで完全に酔っており、銃の制度が絶望的に悪かった。それでも苦戦を強いられたので、酔っていなかったら結果は逆になっていただろう。

最初のターゲットとの戦闘、その時の戦利品としてトカレフを拝借し、それから多くの人間をトカレフの餌食にさせてきた。

 ひたすらに殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し、殺し……殺し続けてきた。何人を葬ってきたのかさえ分からない。ただ、命令されるがままに行動し、しかばねのようにに生きてきた。

「そうか、これは俺の人生だ」

 暗闇の中でスクリーンのようなものに映る光景が、自身の人生の映像であるということにフョードルは気づく。もう決して変えることができない過去。それを今一度、認識させられた。

 何か大切なことを忘れている気がする。それは、フョードルの生きてきた人生の中で最も大切なことのはずだ。

 突然、後ろから足首を何かに掴まれる感覚があり振り返る。そして、その光景に驚愕した。見覚えのある顔がそこにあったからだ。何か、別の空間から上半身だけ乗り出しフョードルの足を掴んでいる男は、フョードルがいつかの日に殺した人間だったのだ。名前すら分からないその男の顔は死人そのもので、顔の肉が腐敗し骨があらわになっている。別の空間から伸びてくるのはその男の腕だけではない。今までフョードルが殺したであろう見覚えのある顔が立ち並び、フョードルを別の場所へと引きずり込もうとする。

「やめろっ! やめてくれ!」

 フョードルの叫び声は亡霊たちの耳には届いていないようで、足から始まり全身ののほとんどを掴まれる。今まで殺した人間たちの怨念が絡み合い、フョードルをそちら側へ誘う。歯を食いしばりながら、引かれる力に対抗しその場とどまるフョードル。しかし、なぜ自分は罪を犯し醜態をさらしながらこうまで生にしがみつくのか、この暗闇の中ではなぜか忘れていたその答えにたどり着く。

「名前も知らない亡霊たちよ、君たちの呪いも想いも至極当然のことで、僕には生きる資格なんてない――――だけど」

 フョードルは全身に纏う怨念たちを引きずりながら、暗闇の中に差し込んだ一筋の光に向かい歩き出す。

「守りたい人ができたんだ。君たちを抱えて、僕は生きるよ」

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 フョードルの脳が覚醒すると、そこには見知った顔があり、こちらをのぞき込んでいた。

「目が覚めたみたいだな。心配したぞフョードル。たまたま路地裏で倒れているお前を俺が見つけなかったら、確実に死んでたぞ」

「ああ……助かったよ。それより、僕はどのくらいの間気を失っていたんだ?」

 フョードルの視界に映り込むその人物は名をスカラーと言い、フョードルにとって数少ない友と呼べる人物だ。スカラーは情報屋をしており、ターゲットの情報などは、主に彼から仕入れている。体を見ると包帯が至る所に巻かれており、血が滲んでいる。どうやら隠れ家へと運んでくれ、応急処置を施してくれたようだった。

「ざっと半日くらいだけど……って、まだ起き上がらないほうがいい、重症だぞ!」

 スカラーの言葉を半分聞いたところで、フョードルは苦痛に耐えながらきしむ体を起き上がらせる。

「僕に手を貸したと知られれば、君もただじゃ済まなくなる。くれぐれも僕を助けたことを勘づかれないようにしてくれ」

「落ち着けって! お前が依頼を失敗したことは知ってるが、いったい何があったんだよ」

 完全に起き上がった後、ベットの脇にあった靴を履きながらフョードルは、真剣な表情でスカラーの方へと向き直る。

「簡単なことだよ、依頼に失敗した僕はボグダーン直々に制裁を加えられたというだけのことさ」

「んなことはわかってる。俺が聞いたのは、今まで一度も失敗したことがないお前が、何故失敗したのかってことだ」

 フョードルは淡々とした様子で、愛銃トカレフの状態を確認し、銃弾をコートの内ポケットへと入れていく。

「……一目惚れしたんだ」

「は?」

 ヒトメボレシタンダ。この謎の言葉は暗号か何かだろうか。か細い声で呟いたフョードルの言葉を、スカラーは理解することができずに硬直する。だが、少し顔を赤らめたフョードルの顔を見て、スカラーは発された言葉の意味を理解した。

「あの天下の殺し屋が、一目惚れで依頼を失敗するとは、世の中何が起こるかわかったもんじゃねえな」

 フョードルから一番遠い存在の言葉を聞き、スカラーは世界の奥深さに感嘆する。

「だから、マルガヤ商会の娘を、次にやってくる殺し屋から守ろうってか?」

「ああ」

「そのぼろぼろの体で? そんな体で出向いてお前に何ができるんだよ」
 スカラーの言い分も真っ当なもので、フョードルの体はつい先程まで生死の境を彷徨さまよっていたほど疲弊している。しかし、フョードルにはそれでも行くべき理由があるのだ。

「それでも、守りたいんだ。仮に僕が何もせずにいたとしたら、彼女は確実に殺される。マルガヤ商会紹介はまだ発展途上の商会で、質のいい護衛がいるわけでもない。現に僕は簡単に彼女の背後をとれた」

「簡単にって、そりゃあ俺の情報に間違いはねえからな。でも、依頼された仕事は絶対だ。一人目の刺客を防いでも、次々に別の奴が現れるぞ」

「それは、わかってる。だから依頼の成功した時の報酬が割に合わなくなるまで僕は戦うよ」

 フョードルの言っていることは、殺し屋の概念を根本から覆すものだ。基本的には依頼主から依頼があり、それを受け今回でいうボグダーンのような仲介から殺し屋に命令が下る。ならば、依頼の報酬と仕事内容が割に合わないと思わせられれば良いのだ。

「僕が生き続ける限り、彼女はらせない。ボグダーンから命令されてやって来る連中との根競べだ」

 あまりにも覚悟の決まったフョードルの気迫に、スカラーは少し気圧される。その発言がさす未来はまさしく地獄だ。殺し屋側にはプライドもある。そう簡単に手を引いてくれるとは思えない。

 しかし、男の決めた覚悟に文句は言いまいとスカラーは喉まで出かかった言葉を引っ込めて、代わりにベットの横にある机の中から一つの小瓶を取り出す。

「なら、これを飲んでいけ」

 無言でそれを受けとったフョードルは、見慣れない小瓶をいぶかしげに見つめる。

「それは裏で出回ってる、ハイになる薬だ。ま、要するに強力な麻酔ってことだ」

 明らかに麻酔の用途とは違う説明が冒頭にあったが、そんなことを今気にしている余裕はない。フョードルは小瓶の中身に入っている液体を一息で飲み干した。

「予備でもう三本渡しておいてやる。きっちり生還して、代金払いに来いよ」

 スカラーの気遣いと同時に、先程まで熱くてたまらなかった右足の痛みが少しずつ消えて行っていることに気づく。

「ありがとう、スカラー。君がこんなに優しかったなんて今まで知らなかったよ」

「そりゃあ、褒められてんのかけなされてんのかわかんねえな」

 フョードルは心の中でもう一度スカラーに感謝の言葉を述べ、そして謝罪する。自分はもう生きて帰ることはないだろうと悟っていたのだ。薬で痛みを和らげようとも、傷が治るわけではない。それに、希望が薄いことも理解している。だからこそ、命を賭して守らなければならないのだ。

「じゃあ、行ってくる」

 身支度を終えたフョードルはドアノブに手をかけ、そう言い残し、戦地へと赴く。地獄が待つその場所で、愛すべき人を守るために。
 

 
 
 
 

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