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短編|向日葵と銃弾【第六話】

 空気が張り詰めるような緊張の中、薄暗い路地に叫び声のような銃声が響き渡る。フョードルは吐いた白い息を見つめながら、朦朧もうろうとする意識をなんとか現世へと留める。

「これで、十二人目か……」

 目の前で意識なく倒れる男を肩に担ぎ、フョードルはふらふらとしながらも路地裏を出る。太陽の光を遮ることのない街路は、今のフョードルにとっては意識を霞ませる一つの要因だ。刺客としてやってきた十二人目の男を病院へ運んでくれるように街の住人に頼み、すぐにきびすを返した。ジョンソンが一人目の刺客として現れてから、十一人の殺し屋との死闘を繰り返していた。

「ゲホッ……」

 咳をすると、手にはべっとりと真っ赤な血が付着している。十二人との戦いにより、フョードルの体は終わりへと向かっていた。スカラーが渡してくれた薬もすべて使い切り、徐々に痛みも戻ってきている。元々ボグダーンとの戦いにより瀕死だったというのに、さらに傷は増え、血を流し、フョードル自身でさえなぜ生きていられるのか不思議なほどだ。

「まだ……死ぬわけには……いかない」

 壁に手をつき、愛銃トカレフの持ち手の部分で何度も膝を打つ。痛みによって、なんとか意識を保とうとする。

「眠るな、眠るな、眠るなッ!」

 気を抜けば一瞬にして睡魔に取り込まれる。即ち、死が訪れるのだ。

「やってくれたな、フョードル。お前のせいで私の顔に泥がついたよ」

 気を張り、辛うじて意識を保つフョードルの前に、絶望を表す人間が姿を現した。

「ボグ……ダーン」

 フョードルの育ての親であり、元ボスであるボグダーンの姿がそこにはあったのだ。相変わらず縁の丸い妙なサングラスをかけ、全身を辛気臭い黒のスーツで包んでいる。

「予想以上に連中が撃退されすぎた。安心しろ、もう殺し屋はここには来ない」

 フョードルはその言葉を聞き、全身の力が抜ける。フョードルの奮闘により、やっと依頼人の報酬と損害が釣り合わなくなったのだ。しかし、次の言葉を聞いてフョードルは本当の絶望を知る。

「この私が最後の刺客だ」

 考えてみれば当然のことだ。ボグダーンが直接ターゲットを始末するのを見たことはなかったが、裏の業界において、この件の責任はフョードルはを育てたボグダーンにあるといっても過言ではない。後始末を行うことは当然のことだ。それに、ボグダーンがこの場に来ているという時点で、その仮説は確定となる。

「最初からこうするべきだった。私から逃げおおせたお前が、ここまで粘るとは思わなかったものでな。全く、素晴らしいな、愛の力というものは」

 フョードルは荒い息を整え、眩暈めまいのする視界でボグダーンを見据えた。もはや体に走る激痛など気にもならない。今、ここでボグダーンを止めなければ、レーナを守ることなどできない。

「いい眼だ。路地裏で死にかけていた子供の頃のお前とは大違いだよ」

 ボグダーンもフョードルの覇気を感じて臨戦態勢へと移る。この勝負、ほぼ十割の確率でフョードルは負けるとフョードルは感じていた。それが諦める理由になることはないが、万全の状態でさえ、ボグダーンには敵わなかったのだ。それに、今のフョードルは満身創痍。勝ちを見出すとするならば、ボグダーンより唯一優れている射出速度で勝負、つまり一瞬で決着を着けるしかない。

 フョードルは照準をボグダーンの肩に合わせる。この状況でも、不殺の誓いがフョードルの中にはあった。きっと、誰かを殺して得た命などレーナは望まない。ここ数日遠くからレーナを見ている中で、それだけははっきりしていた。

「さらばだ、フョードル」

 その言葉を皮切りに、お互いの銃から火花が飛び出し、銃弾がお互いの体に撃ち込まれ……

「は?」

 驚くべきことに、フョードルに痛みが襲うことはなかった。困惑するフョードルと対照的に、ボグダーンは地に伏せ、その下から血がとめどなく流れている。

「なん……で」

 肩を貫いたはずのトカレフが吐いた銃弾は、なぜかボグダーンの首のど真ん中に直撃していた。何が起きたかわからずに呆然とするフョードル。ボグダーンはうつ伏せのまま、ヒューヒューと音を立てている。

 確かにボグダーンの銃は発砲音を鳴らしていた。それなのに、フョードルは無傷。辿り着く答えは一つしかない。

「おいっ! あんたの銃、弾が入ってないじゃないかっ!」

 うつ伏せになるボグダーンを仰向けにし、問いただす。フョードルは理解した。理解してしまったのだ。元からボグダーンは自分を殺す気などなかったことに。

「うる……さいぞ、フョードル。まるで……最初にあった時みたいだな」

「わざと、首に受けたな! 僕が殺せないと知ってて」

「そう怒るな、私を殺したとなれば、もう誰にも手を出されまい」

 わざと銃弾を首に受けるという、相手をしっかり観察し予測しなければできない芸当。これを実行できるのはボグダーンくらいのものだろう。

 ボグダーンは冷徹な男だと思っていた。フョードル自身も、そんなボグダーンと同じであると自分では思っていた。ならば、この溢れ出す、大粒のしずくはなんなのだろうか。

「おいっ、まてっ、死ぬな」

 ボグダーンから流れ出す血の量は、おそらく既に致死量を超えている。それでも、フョードルは目を閉じ始めるボグダーンの体を止めることなく揺すった。

「……フョードル」

 今にも消えてしまいそうなか細い声でボグダーンがつぶやく。フョードルは揺すっていた手を止め、ボグダーンの口元に耳を近づけた。

「私は、いい親ではなかったな」

 その言葉を最後に、ヒューヒューという息の音は消え、ボグダーンの命の灯は終わりを告げる。

 力なく顔が傾いたことにより、サングラスが外れ、今まで一度も見たことがなかったボグダーンの素顔が明らかになる。とても優しそうな目つきに、安らかな顔をして眠っている顔をフョードルは静かに見つめた。
 
 


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