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期待して傷つく。

私はジャニーズのsnowmanというアイドルグループが好きだ。
最近、snowmanのメンバーであるラウールがパリコレデビューを果たした。
その動画を母に見せた。感想は、
「ラウールはsnowmanにいたら力を生かしきれないと思う。」
ということだった。(他にもいろいろ言っていたので意訳ではあるが)

言わんとしていることはわかる。
彼の才能は、世に沢山いるようなアイドルに留まるべきではなくて、もっと狭き門であり、一握りの人しかなれないようなポジションを彼に与えるべきだということだろう。

特段アイドルを好きなわけではない人がアイドルという仕事を、モデルや歌手、アーティストに比べて低俗なもの感じることは、ある程度仕方ないことではあると思う。(私も以前はそうだった)

でも私は悲しかった。

私はアイドルでいるラウールも、一表現者としてランウェイを歩くラウールにも心惹かれていて、どちらの彼の魅力もみんなに見てほしいと思っているからだ。

だから、アイドルのラウール、ましてやsnowmanというグループを下げるような言い方が心に刺さった。

私は、アイドルだろうがモデルだろうが仕事の甲乙はないのだから、彼らを下げるような言い方はやめてほしいと言った。
母は、アイドルを見下しているとは思っていない、自分の感想に対して見下してるとか否定的に言われたら、私は自分が知らないことについて感想を求められても口を閉ざすことしかできない、と言った。確かに、第三者が聞いても、母の言葉は特に失礼なものではなかったのかもしれない。でもアイドルを応援している私が、母の言葉に傷ついたことは事実だった。

私は直観的に、彼女は私と討論することを拒絶している、と思ったので、それ以上そのことについて何も言わないことにした。

なぜ私は彼女が私と討論することを拒絶していると感じたのか。

「自分の感想に対して否定的な言葉を返されるなら、私は何も言わない」というのは、どういうことだろうか。
自分が傷ついてまでこの討論を続けることに価値を感じないということだろうか。
私は母と対話をしたかった。私の話を聞いてほしかっただけかもしれない。母が知らないアイドルとは、私が思うにこういうもので、だからアイドルを低俗なサブカルだと思わないでほしいと。
母は
こうしてみれば、私が母と話したかったのは私のエゴかもしれない。

でも、できることなら母への私の返信が否定的だったからといって、話し合うことをやめてほしくなかった。私もちゃんと母が本当は何を考えているのか知りたかったし、私が考えていることを母に知ってほしかったから。

「否定的なことを言われるなら、私は何も言わない」は、やっぱり対話を拒絶していると思う。対話をするより身の保身が大事なら仕方ないけれど。議題に話し合いの価値を感じていなければ仕方ないけれど。
でも私の大事な人には、私の好きなものを理解してほしかったな。
そう簡単にはいかないよね。当たり前かもしれないけど。

母には、思考停止してしまう癖があると思う。
彼女が好きな人の発言はまるっと肯定し、それが自分の経験と照らし合わせて飲み込むに足るものかを吟味しない。
いわゆる常識とか、基本的に良しとされているものをそのまま受けりれる傾向にある。

彼女は、今回私が母に対して攻撃的になってしまったせいで、自分の身の危険を感じて対話することより、自分が傷つかない方を選んだのだと思う。多面的に見ることを選ばずに。

でも別に自分が傷つかない方を選ぶことは悪いことじゃないよな。
むしろ生物として正しいのかもしれない。

私が母に求めすぎたのかもしれない。
相手に自分の考えを受け入れてもらうことを期待しすぎた。
だから私は傷ついた。

誰がどんな選択をしようと個人の勝手で、私はそこにとやかくいうべきではない。
つまりこの文章は母の言動にとやかく言っているわけで、本来は反故にするべきである。
でも私が一応思考して、人に期待した結果傷ついたという答えを導いた証として残しておく。

私は傲慢で怖いね。




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