【小説】短冊に書く。何を?

 「願い事、何にすんの?」
 7月7日、日中の暑さはどこかへ、夜の冷たい風が庭に立つ笹を揺らしている。
 「え? 世界平和」
 月のない空、輝くたくさんの星達が見守る下、高校生くらいだろうか、齢十七、八の男女が二人、リビングの窓を開け放ち、そのへりに足を下ろして座っていた。
 窓枠に切り取られた照明の明かりが、砂地の庭に二人の影を映す。
 「世界平和か。大きく出たな」
 「そう? そういう大地は?」
 「俺は、宝くじとかかな」
 「強欲だ」
 「当たれば一生楽できるからな」
 ポンッとキャップを外すと、二人共短冊の上にマジックを走らせる。
 綺麗に整って、大きく書かれる「世界平和」の文字。
 少し乱雑に斜めに書かれた「宝くじ1等が当たりますように」。
 それが軒よりわずかに背の高い笹に吊るされて、一緒になってゆらりゆらりと揺れる。
 「大地。舞ちゃん送ったげなさい」
 大地の母がキッチンの方から遠い声で話す。
 「えー。大丈夫でしょ」
 「駄目よ。危ないから」
 「はいはい」
 大地は手をひらひらとさせた。
 「すみませんおばさん。今晩も夕飯いただいてしまって」
 「いいのよ。いつでも来て頂戴。何ならこのバカ息子いなくても来ていいからね。」
 「はい」と舞は少し照れ笑いをして会釈した。
 「それじゃあ、ご馳走さまでした―。お邪魔しました」
 「はあい」という母親の返事と共に、二人立ち上がって歩き出した。
 「そういえばさ、天の川ってどれなの?」
 家を出てすぐ、舞が空を見上げながら尋ねた。
 「え、知らん。―なんかあそこら辺の塊なんじゃない」
 そう言って大地が指差す先には、それっぽくまとまった雰囲気の星の群れが縦に伸びていた。
 街灯照らす路地、静かなそこに響く二人の足音。
 「ほえー」
 「いや、多分違うけど」
 「なんだよ」
 中身なく話す二人。
 「そういえば、何で七夕は願い事書くの?」
 またも舞が尋ねた。
 「それこそ本当に分からん」
 「わからないよね。なんか織姫と彦星がどーたらこーたらってのだけ知ってる」
 「俺もだわ」
 静かな二人の声は暗闇に沈む。
 「でも、そう思うと二人が頑張って超速で会おうとしてるのに、呑気に宝くじ一等とか言ってる奴いるのちょっと可哀想」
 「世界平和も大概だろ」
 時折、街灯の下を通る事で二つの影がまだ熱を持ったままのアスファルトの上を進んで行く。歩幅は違うが、確かに横並びに進んでいく。
 「でもさ。宝くじ一等なんて、買えばもしかしたら当たるかもじゃん。祈るまでもない確率論で事つきそう」
 「うん。急にどうした」
 舞の発言に大地は思わず苦笑いした。
 「いやだって。そんな風にお願いごとの権利使うのもったいないなって」
 「いや、だからって世界平和は…。そりゃ素晴らしいことだけど、ねぇ」
 「なに?」
 文句あるのとでも続きそうな表情で舞は大地の顔を見上げる。
 「いや、なんていうか抽象的すぎて。その、自分の欲求のためみたいなとこあるじゃん? こういう願い事とかって。そういう部分においては…みたいな」
 「うーん。まあ、たしかに」 
 「なんか他ないの? 願い事」
 「願い事かぁ」
 舞は左手の人差し指をぽんっと顎に乗せた。
 二人風きって進む空気は、やけに澄んだようでいた。
 「無いかもなー」
 「ほんとに?」
 「ほんとに」
 「だって」と舞が続きを話そうとしたとき、強めの風が二人の合間を縫うように吹き抜けていった。その風に煽られて、大地はビクッと震えた。
 「寒い? ごめんね来てもらって」
 「ああ、いや。大丈夫大丈夫」
 「最近昼間暑いけど、夜は寒いよねー」
 「本当にそう思います」
 半袖から見える細身の腕をわざとらしく擦りながら、舞は「ねぇー」と歩き進む。
 「で、本当に願い事ないの?」
 「うん。ないかなー」
 「なぜに」
 「え? だって他は自分の力でどうにかなりそうなものばかりじゃん」
 「と、言いますと?」
 「例えば…」
 舞は軽く右上を見て考えた。
 「ほら、例えば自分の夢、そうだな。―野球選手になりたいとかは、まあ頑張ってもなれない人はなれないけど、とりあえず頑張れば可能性はあるじゃん」
 「うん」
 「でも世界平和ってそれないじゃん」
 今度は大地が頭を捻る。
 「いや、んー。まあそうか」
 少し悩んで納得したのか、大地はひとりでに頷いた。
 「でも、世界平和って漠然と分かりづらい気がするわ。どうなれば叶ったといえるのかわからなくない?」
 「だから」
 舞は遠く広がる空を見つめた。
 「ん?」
 「だから、全部祈って世界平和を実現してもらうんだよ。私たちにはわからないから」
 「なるほど」と頷いて大地も遠く真っ直ぐ先を見た。が、すぐに首をひねった。
 「なるほどわからん」
 「まあ、もしかしたら今叶ってるのかもね」
 「いやまさか、そんなことはないでしょ」
 大地は舞の言葉を冗談のように鼻で笑った。
 舞も合わせて笑った。
 その笑顔はとても含みのあるようで何も読み取れない、それでも可愛らしい笑顔だった。
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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