コップの水は、半分もある?半分しかない?(3)

 曇天模様の空、灰の世界の中を動く人々や車、建物に植物色ある全てが際立って鮮やかになっている。
 「やっぱり降りそうじゃん」
 「天気予報では降水確率50パーセントだったのよ。降らないでしょ」
 「50パーセントは多分降るって」
 「多分でしょ多分。それに降ってきたらコンビニで傘買えばいいじゃない」
 「それが無駄だから傘持ってきたの。私は」
 背景が無彩色のゆっくりと動く外の世界を、ファストフード店の窓際の席から望む女が二人。
 「だって、傘ってかさばるじゃない。折り畳みは乾かすの面倒だし」
 そう言いながら、少ししかめた顔で、茶色のショート髪を揺らしながら正面を振り返る明里。彼女の髪を掛け右耳からはピアスが白色に輝く。
 「そうだけど、急に降られて濡れるよりマシじゃない?」
 そう返し、フライドポテトをひとつまみする玲子。彼女は指に着いた油を付属の紙布巾で拭くと、長い黒髪を軽くとかした。
 「その時はその時よ。いっそのこと濡れてやればいいわ。水も滴るいい女ってね」
 明里は最後に軽い「はっ」という笑いと右手を添えた。
 「そんなんじゃ風邪ひくよぉ。もう私たちアラサーだよ。体調管理は気を付けないと」
 「冗談よ、じょ、う、だ、ん」
 「ならいいけど…」
 玲子は少しずれた黒縁の眼鏡を汚れを確認するように一度離すと、すぐにかけ直した。
 「あ、そう言えばその眼鏡どう?」
 「うん、おかげさまでいい感じだよ。ブルーライトかっともつけてもらったし」
 玲子はとてもうれしそうに笑った。
 「そう、それなら変えた甲斐があったてものね。パソコンとにらめっこする人にとっては大切よね。仕事もはかどるでしょ」
 「…うん。そう、だね」
 返す玲子の表情に少し陰りが見えた。それを察知したのか、明里は心配そうに見つめる。
 「なに、何かあったの?」
 「…ううん。別に―」
 「話した方が楽になるわよ」
 そっと置かれたその言葉は、普段よりも優しい声音で、明里は真っすぐ玲子にほほえみを向けた。
 玲子は静かに頷くと、ゆっくりと語り始めた。
 「私、今ね、その詳しくは言えないんだけど、あるアプリケーションサービスの運用にかかわってるんだ」
 「うん」
 「それでね、先週かな、そのサービスについて電話で問い合わせが来たの…」
 「うん」
 「でさ、その電話に出たのがさ、偶々私の同期の子で…。内容が結構ひどいクレームでさ」
 「うん」
 「こっちとしてはどうしようもないというか、こちらとしては落ち度がないというかでさ。それでもその子結構ひどいこと言われて、うるさいだの、お前なめてるのかだの、それが客に対する態度かだの…」
 「…ひどいわね」
 「うん、そうなの。その子今は部署違うんだけど、結構研修の時とかは話したりもして、本当に優しい子でさ。それでもその話をさ、私に話してるとき、本当に悲しそうで。私も一応運用にかかわっている身だしあんまりいい思いはしなくて…」
 「そうよね…」
 気付けば玲子の顔は暗く俯いてしまっていた。
 窓外の空模様は先刻より重たく、今にも雨が零れ落ちてきそうになっていた。
 「ごめんね。なんか暗い話しちゃって」
 玲子の顔には精一杯の苦笑いが浮かべられていた。
 「いいのよ。私が話せって言ったんだし」
 明里は穏やかな笑顔を玲子に向けたが、その胸中は明らかに決まり悪いものだった。
 二人の間に少し沈黙が生まれる。それを埋めるように各々が、目の前にある食べ物と飲み物を口に運んでいた。
 「おっすー。てあれ? なんか二人とも暗くない?」
 「別に、ただ天気悪いから気分も落ちてただけ」
 「わー、明里らし。まあでも確かに雨降りそうだよねー。私傘持ってきちゃったもん」
 「え、まじか。七海も? 持ってきてないの私だけじゃん」
 七海の手首には透明なビニール傘がかかっていた。
 「あー、やっぱり明里持ってきてないんだ。そう思って一応折り畳みも持ってきてましたよ。いつでも貸せます」
 「さっすが七海」
 わざとらしく拍手する明里を横目に、七海は席に座る。
 「にしてもここ久しぶりに来たわ」
 「七海は何頼んだの?」
 「え、バーガーとポテトとコーラ」
 「なんかガキみたいなチョイスね」
 「そう? 普通に美味しくない?」
 七海は肩で切り揃えられた黒髪を軽く流しながらバーガーを一口食べると、コーラを流し込んだ。
 「で、玲子はどうしたの? ずっと黙りこくって暗い感じだけど」
 七海は優しい声でそう言うと、軽く玲子に視線を向ける。
 「…うん、ちょっと仕事で嫌なことあって」
 「あー、それで」
 「うん」
 「…何あったか、聞いてもい?」
 七海もまた穏やかに尋ねる。
 玲子はまた静かにうなずき、話し始めた。
 「あのね―」
 彼女が話している間、明里は頬杖をついて、ただぼーっと窓外を眺めていた。
 「―っていうことがあって…」
 「なるほど、それはひどいわ。」
 「うん」
 また少しの沈黙が訪れる。それでも七海が軽々とそれを破った。 
 「まあ、私達はともかく、明里はそういうの気にしなさそうだよねー。なんか悲しむとか怒るとかなく、なんとも思わなそう」
 「そうね、確かに別にどうでもいいとしか思わないわね」
 「さすがだねぇ、明里ちゃんは」
 玲子の本心からの尊敬の念が、言葉として漏れた。
 「まあね」
 明里は少し恥ずかしながら、得意げに言った。
 「え、ちなみに、そういうことに直面した明里の心境を教えて欲しいな。参考までに」
 「え、多分普通に、うわー、めんどくせぇこいつ。って感じだと思う」
 「やっぱそれは思うんだ」
 「そりゃそうよ。だってこっちが誠心誠意努めてるのに、向こうから誠意が返ってこないのはさすがにね。落ち度が大いにあるならまだしも、ただのクレームには理解を示すなんてとてもとても」
 明里わざとらしく首と手を振る。
 「まあ、こういうメンタルお化けもいるらしいよ。ほら玲子これ食べな。うまいもん食えば、大抵のことはどうでも良くなる。ってよくばあちゃんも言ってたし」
 そう言って七海は玲子の口元にポテトを持っていった。
 「うん、ありがと」
 「そうよ、玲子。多分クレームしてくる人たちはね、心のノート読んでないのよ。心のノートを読んできた私たちがおおらかに受け止めてあげればいいのよ。そうして最後に機会損失かなんかで訴えてやればいいの」
 「う、うん。そうだね」
 「ひゅー。さっすが明里ぃ」
 気づけば三人笑っていた。
 「ところで、玲子、七海、今日は私の勝ちね」
 そういう明里の視線の先、上空には灰に染まった雲の隙間から、太陽が顔を出し地上を照らし始めていた。
 
 

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