見出し画像

育児は旅に似ている

沖縄旅行と市民プール


この夏、我が家では沖縄に行く予定を立てていた。
ネットやガイドブックなどでホテルを選び、アトラクションを探して予約。
ホテルのプールや綺麗な海を子供と一緒に楽しむ予定で、
彼には飛行機に乗るという人生初体験をしてもらうつもりだった。

しかし、コロナや天候などの影響もあり、
キャンセルすることになった。
そもそも私がコロナになってしまった。
旅行の代わりに近くの市民プールに行きまくったり、
新しく覚えたUNOを遊び倒した。
これはこれで楽しい休みになった。

ふと、思った。
子育ても旅みたいなもんだなと。

20年後の理想の大人像


どんな大人になって欲しいか、
自分の失敗やこれからの世界を思い、漠然としたゴールはあるかな。
育児書やネットなどを駆使して、情報を集め、
彼の人生が豊かで実り多いものになるために必要なものを考える。
そんなゴールに向けて計画を決める。

でも、その通りにいくかどうかはわからない。

そもそも1年先の経済状態、社会情勢の予測もつかないような無能な私に、
何十年も先の社会において、人生を楽しめる大人になるために、
必要な資質やスキルがわかるものだろうか?

無理だな。と思う。
では、私は彼に何を伝えることができるだろうか。

時間と俯瞰と道草の楽しみ


つらつら考えて、結局先のことはわからん。とやはり思う。
だけど、45歳になった私が今感じることは伝えていこうと思った。
それは3つ。
時間が有限であると知ること。
俯瞰した視座を持つこと。
道草を楽しむこと。

時間は有限

子供の頃時間は無限だと思っていた。
同じように学校に行き、放課後は公園で似たようなことを延々と遊び、
1年はものすごく長かった。
知り得たこと。まだわからないこと。やりたいことが今は多すぎる。
残り時間の短さに悶えてしまう。
だから、無駄なことをするなというわけではない。
何が無駄かはわからないので。
時間は限りがある資源だということだけ伝えたい。
その中で何をするかは彼が自分で選べばいい。

俯瞰視座

大人になって思う、ほとんどの人は目先の事象に対する
好悪で行動の優先順位を決めがちだと。
好きなことはすぐにするけど、嫌なことは後回しにしがちだ。

皿洗いをしたくないから、後回しにして携帯を見てたりする。
でも、皿洗いをしたところで、せいぜい10分や15分もあれば終わる。
それはたった15分でしかない。
何も1時間も2時間も、あるいは無限にしなければならない苦行ではない。
終わりがみえてるなら心理的な負担は少ない。
「やりたくない」という感情にとらわれず、
「やりたくないことをやったとしても使う時間はこのくらい」
という視座を持ってほしい。
そうすれば、多分、時間を有効に使えるようになる気がする。

道草を楽しめ

あらゆる知識や体験は無駄にならない。
選択肢や引き出しは多いほど良い。
だから、気になったことや興味があることは何でもやるといい。

それだけではない。
世界にはなぜそんなことを突き詰めようと思ったのか、
何が一体全体面白いのか、
第三者には全く理解できない分野の専門家がいっぱいいる。
でも、彼らになぜそんなことをしているのか聞けば、
「面白いから」
と答えが返ってくる。
私もかつて本屋の棚にあった岩波文庫を、
一切タイトル見ずに大人買いして片っ端から読んだ。
興味の全くない本でも、読んでいくと面白いと思える部分が出てきたりする。
そんな風にして読んだ本に載ってた自分でワインやビールを作る方法は、
実際に試してみたりした。
そうやって得たよくわからない雑多な知識は今も役に立っている。

だから、道草を積極的に楽しんでほしいと思う。

ご飯食べたらこの後どうする?


王子にそう聞いたら、
ピアノの練習して、19時45分までUNOして遊ぶと答えた。

君はすごいね。

#子どもの成長記録


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?