The Government

 The Government
 シルベスターアクマニヤンは美貌の青年である。彼は日本において生を受けた。幼少期は何不自由する事無く太平無事な生活を謳歌してきた。しかし日本政府の二進も三進もいかない無能ぶりに15歳以後に業を煮やし始めていた。彼は両親や祖父母を籠絡し、幼少期から膨大な数の本を読んできた。その内、彼は独自の哲学を持つようになり、学問や現実の山積した諸問題に関して独自の意見も持つようになった。彼は周囲の大人に媚態を使い、また時折道化も使い、彼らから多くの行為を抱かれていた。特に学校の長身の女性教師から度々性的対象としてシルベスターは見られていた。彼は内心その事に愉悦を感じていた。その女性教師は彼とセックスしたい、と同僚に話していた事さえあったという。彼は15歳となり、県内随一の高等学校へと進学した。彼の周囲の人間関係はその地元からの物理的遠隔さから秩序が大幅に変わった。彼は中学時代、不世出の絵画の天才として周囲の生徒や教師から一目置かれていた。彼は好調な時と不調な時との差が甚だしく、彼自身の学業成績や絵画もその余波を存分に受けていた。周囲の拍手喝采を受けたかと思えば人非人のような傍若無人な振る舞いをする事ももはや通例であった。
 彼は高校では勉強をサボタージュして無為徒食のような日々を送った。酒とたばこに耽溺したり火遊びをしたりしていた。21世紀の日本において学生はかなり大人しく、真面目であったので少年少女が酒やたばこを嗜んでいる事は滅多になかった。これは日本人の生来の気質が影響しているのかシルベスターは判断しかねていた。彼は日本政府に対し、若干の不信感を抱いていた。しかし彼は政治や経済を勉強しなかった。ただ盲目的、近視眼的に自分の日本政府への不信感を募らせてた。この社会は間違っている、全てイカサマだ、彼はそのように周囲に吹聴したりしていた。近代の人類史は思弁的な学問の緩慢な盛衰を経て、実証科学が長足の進歩を遂げていた。多くの人の弁舌では日本の経済は凋落し、今や中国や韓国の台頭によりかつて栄華を極めていた電子機器業界も斜陽産業となっていると言っている。しかしシルベスターはこれに内心反駁していた。日本の産業は単に指針を変えただけだ、大局的な戦況が見えない連中が侃々諤々の議論を交わすが、そんなものは単なる小鳥の囀りのようなものである、彼はそう思っていた。
 彼の人生は芸術方面への退廃感から一旦芸術家ら離れ、アカデミズムを帯びた分野へと進んだ。彼は依然として多くの本を読んだ。書籍として出版されている専門の論文を読んでいる事も珍しくなかった。彼の10代の知的能力は減衰する事がなかった。志向を変え、形態を変え、彼の知能は際限なく発達していっているようであった。彼は学業成績が優秀であった。彼は成績優秀である事を自分の誇りとしていた。その事によって内心自身も抱いていた。そして自分は世間の愚物や落伍者なんかとは違って、高潔な人間であるとの選民思想的な固定観念を漫然と抱いていた。彼は先人の理論を踏襲し、自分の理論を構築していった。その過程は一朝一夕に出来るものではなかったにせよ、19歳の時には彼は思想の大家になっていた。彼はゲームやいじめを享楽する愚昧な連中を軽蔑していた。どうして勉強も出来ない馬鹿があんな風に臆面もなく大胆な行動を取れるのか彼はずっと疑問だった。しかし彼らは無知文盲さ故に大胆さで武装しているのだ、とシルベスターは思うようになっていた。コロナウイルスが下火になってくるにしたがって日本の世相も徐々に変遷していった。彼は日本だけが全てではないことを知っていた。彼は彼の尊敬する師匠から広大無辺な海外へ行く事を勧められていた。彼自身も粘着質な日本で一生を終えるつもりはさらさらなかった。そして彼は留学に向けて清濁併せ吞む勉強を開始した。興味のなかった歴史や宗教学なども彼は熱心に学んだ。殊に彼の琴線に触れたのは歴史上の知の巨人たちである。彼は彼の携帯の待ち受け画面に偉人の肖像を設定していた。
 「人生とは、級数だ」彼は突如として自室にて朗読者のような巧みな抑揚をつけながらそう言った。彼が積み重ねてきたものは単純な級数であった。幼い頃から多くの事を学んできた。体育会系の連中や、粗暴な連中からは距離を置き、部活動もずっと文化部であり、彼はスポーツを憎んでいた。別に運動がきらいな訳ではない。体育教育が半ば強制的にスポーツを押し付ける事にもほとほと嫌気が差していた。愚鈍な周囲の少年少女が熱中する意味も分からなかった。
 彼はよく思考の海に逗留した。一つのテーマを選べば、それを何週間、何か月、何年も続けた。天才とは忍耐である。どのような傑出した人物であっても自分の仕事を継続させる忍耐がないと人類の生活の在り方そのものを変革する偉業を成就させる事は出来ない。彼の思考は主に本を読むことによって上達していった。彼の文章はプロの物書きが書いたような理路整然さ、流麗さがあった。彼の周囲には彼に羨望や憧憬の眼差しを向ける者も少なくはなかった。しかし彼の知能は主に自分の興味関心のある分野に飲み向けられており、それ以外の事に関しては凡人未満の無能ぶりであったため、彼は自分が周囲の多くの人から良く思われているという事は自覚していなかった。
 学校の教師たちは生徒を啓蒙したかったからなのか、自己顕示欲を満たす為なのか、生徒たちに熱心に自分の長広舌を展開する事が常であった。シルベスターは教育熱心な教師がいる事は非常に有難い事だ、日本の未来の前途洋々さに貢献するものだと最初は思っていたが、次第に教師連中の頑迷固陋さやバイアスの強い主張を聞くにつれ彼らに対し、嫌疑や不信感を高める事になっていった。彼は今でも日本の学校教育には良い印象を持っていない。この国の学校教育に満足している人間は余程の能天気か低能だけだろう、シルベスターはそう思っていた。
 彼は勉強において出題者の意図や問題を解決するための明晰な分析能力を幼い頃から持っていた。それ故彼は小学校時代には神童とも言われていた。彼は勉強こそが人生の右往左往を決定づける値千金のものだと思っていた。彼は自分の収入の低さから自分を卑下したりする人間も見てきた。その収入に影響を与えるのが教養であり、学歴である。彼はそう考えていた。しかし世の中には学問のみならず適正にばらつきがあるのだから、内心彼もこれに関してはあまり口外はしないようにしていた。彼の両親も彼の傲慢な物言いを改めるべく努力した。他人の感情の機微を教育し、センシティブな言動全般に対し、緘口令を敷いた。
 彼は高校二年生、17歳の頃に学校一の美少女と噂される女子生徒と話すようになった。何故か彼女の方はシルベスターに冷罵を投げかける事が多かった。彼が彼女の姉から聞くところによると彼女は好きな異性にはあのように冷たい言動をとってしまうのだと言う。行為を打ち消すためにそうするのだと言う。シルベスターは彼女のルックスが端的に言えば好みであった。彼女の名前は水山恵子と言った。彼の夢の中では恵子がよく出現した。しかし高校三年生になるとシルベスターは、思春期特有だろうか、精神病に近い自分の狂気を打ち消すべく知的研鑽に励んだ。彼は元々社交的な方ではなかったが18歳になってからは特に人と関わらなくなった。そして女性の好みもその精神秩序の流動が反映されたかの如く、躍動的に変わった。
 「あら、シルベスター君。おはよう」彼は恵子からそのように挨拶される事もあった。彼は美少年と言って差し支えのない美貌で身長が180㎝以上あったのでモテそうには見えるのだが、その天才性は他の追随を許さず、多くの女子生徒からは巨星のように仰ぎ見られていた。恵子はその行為から度々シルベスターに話しかけた。彼の方も彼女からの接触を拒否するのも嫌だった。昔とは言え、自分が惚れた女だ。彼は高校の卒業間際あたりから勉強の息抜きに彼女と食事をしたりした。高校では下級生の生徒や同級生の生徒などがもろに彼の真似をするようになった。彼は恵子意外とは接しようとしなかった。徐々に彼は恵子との関係を共依存的なものに感じだしていた。これではいけないと彼は思った。
 彼は高校を卒業し、東京の名門私立大学に進学した。本当は東大にも入れたのだが、大学を独自に色々調べていくにあたって、自分にとって本当にためになる場所、そして充実した設備のある場所はどこかという事にクローズアップしていくと、その進学先の名門私立大学が最上位に挙げられた。彼は高校卒業前に恵子に告白をされた。彼は恵子との関係は自分の精神的成長を妨げるものだと思っていた。したがって彼は恵子の告白を断った。俗に言えば振ったという事である。恵子は涙を見せた。そして恋人でなくても良いから女友達としてこれまで通り接してほしいと彼に哀願した。
 彼は大学入学を期に陽気なキャラを確立させた。今までの自分の青春時代のような陰隠滅滅とした現実の二番煎じはもう懲り懲りだと思っていたからだ。そして自分のキャラを変えるべく、若者ファッションの金字塔とも言えるブランドの衣服を買ったりもした。またダイエットのために即身仏の如き絶食生活も試みたりもした。彼は拒食症とでも呼ぶべき長身痩躯を手に入れた。当然女からはモテた。人間関係との不和も軋轢も彼は避けていた。皆仲良く過ごせば良いのだと彼は思っていた。それは平和ボケした感覚であった。しかし彼の心の政府はそれを自分の中枢に据え置き、明晰な頭脳を持ってして現実的諸問題を補足して、そして対処していた。
 彼は大学時代、フリーランスとして稼いでおり、その収入は天文学的なものであった。彼の生活は酒池肉林であり、彼はその辺の大学生とは一線を画す存在となって行った。彼は元々上品な顔立ちをしていたものだから、多くの人からはどこのボンボンだと思われていた。しかし彼のその巨万の財は外ならぬ彼の実力で掴んだものに相違なかった。
 彼は人間の心には政府のような役割を担う意識が存在しているのだと考えていた。そしてその政府の枠組みは、心の構造と不確実性により絶えず悠然と変化しているのだと考えていた。それは彼なりのこの世の真理の発見であった。彼はこれまで迫害をされてきた人物たちを思い、自分の反骨精神やら、ブラックユーモア、アイロニーなどによって芸術的に昇華し、彼らに恥をかかせてやろうとも思うようになった。彼はその意思を基調として小説やエッセイを書き始めた。その作品群が誰の目にも映っていない事は彼の脳髄でも明らかであった。大体玉石混合のネットの海に文学の編集者がわざわざ無名の物書きの作品を読んで没入する訳がない。彼は半ばそう考えていた。
 彼の父親はアメリカ人で、母親はウクライナ人である。彼の良心の意向により、シルベスターを含めた彼ら家族は日本に住むことになっていた。なんでも最先端の科学技術のエンジニア、研究者が日本には不足しており、エンジニアである父と理系の研究者である母が招聘されたといった按配である。日本での暮らしは彼ら家族にとって適性のあるものであった。実はシルベスターが生まれる前、彼らは南アフリカ共和国に住んだり、オーストラリアに住んだりしていたのだが、どこも彼らにはしっくり来なかったらしい。シルベスターという明らかに日本語ではない、何語を使っているのかどうか分からない名前は彼の父が主な名付け親である。またアクマニヤン家は何やらヨーロッパの伝統ある貴族階級の一派であるらしかった。彼ら家族はお金で苦労した事はなかった。またお金の増やし方の技術も彼らは精霊勤勉な勉強によって既に心得ていた。彼らは自分達で振興宗教を作った。それは現代の三大宗教と比較しても遜色のない緻密な論理構造や美的様式を持っていた。彼らはその宗教をアクマニヤン家の家宝として尊重していた。シルベスターもそう言った家族の伝統を受け継ぎそれらの経験を自分の作品に利用していた。ドストエフスキーがてんかんとしての経験を自身の作家活動に利用したのと同じように見方を変えれば障害はセールスポイントにもなる。それは疾病利得と言っても良いのかも知れない。シルベスターは長髪の男であった。しかし不潔な長髪ではなく、よく似合っていた。正直予備知識がなければぱっと見で彼の性別を判断する事は困難を極めると思う。少年時代から彼の友達の保護者ママ達の井戸端会議では彼は可愛いルックスだと評判であった。
 彼は精神障害者差別撤廃を志す善人であった。彼は無知蒙昧にも差別に加担しようとしている人間を見ると烈火の如く憤激し、彼らを必要以上に病的に罵倒するようになっていた。「おいお前、統合失調症患者がそんなに憎いのか?」彼はネット上で差別的言辞を弄した連中に度々絡むようになった。彼自身も逐一そういう行動を取る事は大抵の場合徒労に終わる事を経験則からも知っていたのだがその習性を辞めずにはいられなかった。「なんだよ、お前。じゃああいつらみたいな犯罪者予備軍を社会で野放しにするつもりか?所詮あいつらなんて生物的ゴミなんだぜ。社会の発展を阻害する連中だ。発達障害とかならまだ生かしようがあるけど、あいつらは駄目だ。ゴミだ」「そういう自分はどうなんだ?自分の事を棚に上げてよくそんな差別が出来るものだな。統合失調症だって懸命に生きているんだ。公称していないだけで社会で普通に働いてる人もいる。極端な危険思想を一般化するなよ」「もしかしてお前、統失か?なんであいつらにそこまで肩入れする?邪魔な奴は淘汰されてしかるべきだ」このような優性思想の発露を見ると彼は一瞬絶句せざるを得なかった。こんな奴が日本にまだ他にもいるのだと考えると彼はそいつら悉く、ただちに駆逐しなければ、と思った。彼は昔誤診だってにせよ、一過性の精神病を患っていた。差別されている精神疾患者を見ると彼は放ってはおけなかった。「大体お前みたいな低能は自分がなった事がないからそんな横柄で歪曲した事が言えるんだ」「苦し紛れかい?お前のその言葉は全然俺の反駁になってないよ」「反駁するまでもない。反駁する程の価値もない。あまりにも根本的な部分でお前は僕とは相容れないから、僕はお前やお前のようなクソ雑魚どもを非難したり、糾弾する事しか出来ない」「それは正義なのか?俺にはお前のその態度だって偏ったものに思えるぜ」「偏った部分のない人間なんていない。お前だって知っている筈だ。一人前の大人なら。大体精神疾患は個性なんだ。LGBTと同じだ。これから幸福な日本社会を目指すにはお前のような思想は僕達の足を引っ張る」
 彼はそう吐き捨てた。そしてその一部始終を彼は自分のブログでしたためた。彼は彼のファンからは災難だったねと言われた。このSNSが普及した現代では障害者差別を根絶するのは無理ではない、と彼は思った。精神疾患者は見た目が普通に見える事が多いから理解がされずらい。ハラスメントを受ける機会も多い。そもそも日本社会には部落企業も多いからハラスメントは日本の至るところで跋扈している。それを告発しない人間がいるのも彼はナンセンスだと思っている。
 日本社会の樹立には初めから民族の同一性と地理的な風土が多分に影響している。人間は何かの問題と相対した時、それを一つの原因にこじつけたりする。そして精神障害者がそのこじつけに乱用されるのも多い。まだまだ精神障害者に対する理解が少ない。これから僕はこの多くの人間の中での政府を批判し続けないといけない。いかにむかつく人間であれ万人が意見を言う権利は守るとヴォルテールが言ったように僕にも言論の自由があるのだ。精神障害者の有望な前途の為にも、僕は悪戦苦闘してやる、そうシルベスターは思っている。
 障害者は普通の人が受けられるサービスを受けられない機会にも対峙する事もある。シルベスターは精神障碍者ではないものの、精神病院から退院して初めて訪れた大学の語学の教授にこれがどのような授業なのかを聞いた事がある。その男の教員は「あなた、頭悪いでしょ?大体体調不良で休むんなら休学届を出さないと。このままあなたがいたってこの授業に参加している皆の足を引っ張るだけだよ」彼はその無神経ぶり、低能ぶりに絶句した。彼は二の句をつごうにも告げなかった。大いなる天才と邂逅すると、そのすごさに圧倒されると言うが、大いなる馬鹿と邂逅した時もそれに似たような感じを受けるものだ。これらは極端から極端の旅行のようなものである。そしてその教員は悪びれもせず「で、どうします?この授業辞めます?」彼はその授業が必修である事はこの教員も知っている筈だ。こいつはなんてことを言うんだ、と思った。これは彼が受けたあからさまな差別であった。彼は嘆息しつつその教室から撤退した。そして彼はその事を慟哭しながら大学の保健室の職員に話したのである。やはり天才であっても傷つく時は傷つく。人間の持つ痛みは普遍的なものである。その事を彼は思い知った。彼は彼の作品の中でその教員を何度も何度も殺害した。しかし何度殺害しても差別そのものに対する怨嗟や呪詛は消えなかった。今でも彼はあの教員が不幸になる事を祈っているのである。彼はもう大学を卒業したのに。差別のガバメント、消すべき絶対悪だ。
 この世に屹立する差別意識、それは人間の愚かさによって支えられている。今日でも愚かさを野放しにした人間は差別に拍車をかけようとしている。
 彼は休日に暇つぶしも兼ねて、自分のコンセプトアルバムの楽曲の歌詞を書いた。これが曲になるかどうかは分からないが、ともかく歌詞を書いた。アルバム名は「The Government」、比喩によって心の政府を表現するのがそのアルバムの肝である。彼の歌詞は以下の通りである。
『You Bustard, Fuckin Twisted Government』

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