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TOEIC920点だが、海外で英語でコテンパンになる話、とちょっと真面目な話

いまワーホリでカナダのバンクーバーに来ている。まだ来て、1週間かな。
時差ボケがまだ取れていないようで、日中眠くて、夜が全然眠れていない。
食事も全然違うためか、体調もあまり優れず
基本的に日中に語学学校に通っている以外は
自分の部屋にひきこもっている。

そして何より、既に重度のホームシックを患っている。
日本のご飯が恋しい、家の布団が恋しい。
そして、なにより日本語が恋しい。
めちゃくちゃ日本に帰りたい。
ホームステイ先でシャワーを浴びているとよく物思いにふけるのだが、「おれ、ワーホリ無理かもしれん、、、」と毎日心の中でめちゃくちゃ弱音を吐いている今日この頃。
「1年間ワーホリ頑張ってくるわ!」と豪語して日本を去ってきたが、あの自信はどこへやら。

何がそんなにつらいのか。

・・・・

英語である。

英語が全然できない、、、

そう、TOEIC920あるのに、である。

どゆこと??である。

今回はそれについてお話ししたい。


英語が口から出てこない

もともとある程度、英語には自信があった。
TOEICスコアも920あるし、小難しい英文も読めれば、たくさん英単語やフレーズも知っている。
洋画だって字幕なしである程度は理解できる。
「まあ大丈夫っしょ」
そんな楽観的な展望で現地に来たのだが、
だいぶ事情が違った。

現地の人と話してみて痛感した。

とっさに口から英語が出てこない!

たくさん単語や文法も知ってるのに、ビックリするほど英語が出てこない!!

すぐに頭の中で緊急アラームが音を立てた。
「アカン!アカン!これはヤバい!」と。

驚いたことに、中学校で習うようなめちゃくちゃ簡単な英文さえもパッと出てこないのだ。
あとから振り返って「さっきは、ああ言えば良かったのか」と自力で反省はできるのだが、会話テンポで咄嗟に反応ができない。

どうしても英語を口に出す前に、まず日本語が浮かび、それを英語に訳すというプロセスを経るので、ワンテンポ遅れるし、例え英文が完成したとしても、また驚くほど口が動かない。

実際、現地の人々の英語は想像以上に速い。
そして我々がリスニング教材で聴くような
あんなにクリアでわかりやすい英語ではない。

現地の人たちは、そこで日常生活を送っている人たちである。当然、日常の場面となればこちらが日本人だろうが何だろうが、普段通りの会話のテンポで話す。
決して、こちらの英語レベルを考慮して言葉を待ったり、ゆっくりと話してくれる訳ではない。厳しく聞こえるが、これが現実である。

先日、バスの定期券を買いに、近所のスーパーを訪れた際も(カナダでは定期券がスーパーで購入できる)、店員さんに買い方を尋ねて色々と教えてもらえたのはいいが、その英語の説明が弾丸のような速度でビックリしてしまった。
事前にネットで定期券の買い方や使い方をある程度調べてあったので、大体言っていることは理解できたが、事前知識もなく話を聞いていたらほとんど何を言っているのか分からなかっただろう。事前に調べておいてホントに良かったと思った。

このように大半の場合、現地の人と話すと
ほぼほぼ圧倒されて終わる。
会話にならないのだ。
もうこちらとしてもフンフンと
聞いているしかない。

そして、これだけ会話にならないだけでも実力不足を痛感し、心が折れるのに、相手の言うことが上手く聞き取れず「もう一回いいですか」と何度か聞き返すと「まったく」とうんざり顔をされることもしばしばある。 
これがかなりつらい。 

当初は無駄に英語に自信があっただけに、
もう僕の英語に関するプライドはボッキボキに打ち砕かれ、いまや奈落の底に突き落とされた気分だ。実はこれを書いている今も、気分はかなり鬱々としている。

あーー、もうやだ。


TOEICスコアによる錯覚

TOEICスコア920というと世間では、「すげ〜」とか「神やん」とか崇められるレベルである。実際、自分も今まで周りから「英語がかなりできる奴」と認識をされてきた。
確かに取りたくても簡単に取れるスコアではないし、TOEICは今や日本では英語の実力を測るスタンダードになっていることもあり、そういう認識になることは理解できる。

でも、どうだろう。

お分かりの通り、TOEICが920あっても海外に行けば、上で書いたような有様である。たしかにTOEICは目に見えて分かる数字(スコア)を提示してくれるし、スコアが高ければ高いほど自分の英語力の高さを証明してくれる気がする。
そしてもちろんハイスコアを取るまでのプロセスの中で、単語もたくさん覚えて、小難しい英文も理解できるようになるので、英語ができるようになったことが実感として湧くのは確かだ。
「おれは英語できるんだ!」と思える。

しかし!!

それはもしかしたら大きな勘違いかもしれない。

いくらTOEICでハイスコアを取ろうと、それはあくまで「読む・聴く」が問題なくできるだけであって、「話す・書く」の能力、すなわち「英語の運用能力」(言い換えると、『英語が使えるか』の能力)があるかどうかはまた別の話だ。いくら読んで聴いて英語が理解ができても、英語を話したり書いたりは苦手だという人は意外に結構いる。

なので、僕は思うのだが、TOEICスコアをまるごと英語の実力だと鵜呑みにするのはかなり危険だ。僕の感覚で言えば、たとえTOEIC920点であろうと、それはあくまで「リーディングとリスニングならある程度できますよ」ぐらいの証明にしかならない。
TOEICハイスコアを持っていると、世間的にも「英語ができる人」扱いされるし、小難しい英語もある程度理解できるということは事実としてあるので、あたかも「英語ができる」ような錯覚に陥るが、運用能力という面では全く未知数である。

それに結局、今の僕のように現地の人と会話の段になると、途端に白旗を振っているようでは、いくらTOEIC920点でも、一体「英語ができる」とはなんぞや??と思うのだ。
運用能力を伴わない言語は、結局「使える言語」ではない。言語は「使う」もの。ツールである。使わないと意味がない。
道具として十分に使うことさえできない言語を、
誰が「できる」なんて言えるのだろうか。

僕自身、自分の実力を過大評価しており、相当な勘違い野郎だったが、同時に、世間のTOEICスコアに対する認識ももう少し改まる必要があると感じる今日この頃である。

必ずアウトプットの練習を

上でTOEICスコアによる錯覚について書いたが、実際のところTOEICでは、「読む・聴く」の試験に加え、「話す・書く」という英語の「運用能力」に焦点を当てたTOEIC Speaking and Writingという試験も実施されている。
実際にこのようなアウトプット型、つまり「英語を使う能力」を測るTOEIC試験もあることは確かだ。
しかし、実際は、現時点でいまだ多くの企業や団体が英語の実力を測るうえで資格として採用しているのは従来型の「読む・聴く」の試験である。
つまり、基本的には世間の評価の基準が「読む・聴く」のTOEIC試験のスコアになるため、多くの人は必死に従来の「読む・聴く」のTOEIC試験でスコアを上げるのために勉強する、という流れになっている。

そこで僕は一つ声を大にして言いたいのだが、

全くこの風潮がダメとは言わない。
「読む・聴く」能力だって大事である。
ただ、本当に「使える英語」を身に着けようと思うならば、TOEICもいいけれど、それと同時に「話す・書く」のアウトプットの練習もちゃんとしておいてください!ということを言いたい!
せっかく英語を勉強するのに、「使えない英語」になってしまっては勉強する時間がもったいない。TOEICスコアを伸ばすことだけに必死になり、アウトプットの練習をしていないと、今の僕みたいな状態になる。マジで。

実際、いま本当に痛感している。
TOEICのスコアにこだわるよりも、もっと英会話の練習をやっておけばよかったなと。
ほんとうに死ぬほど後悔している。
「TOEICハイスコアあるのに、英会話全然ダメです」って言うほどカッコ悪いことはない。
「TOEICはほどほどですが、ちゃんと英会話はできますよ!」の方がよっぽどカッコ良いし、よっぽど使えるし、よっぽど海外に来て楽しい。

なので、これから「TOEIC頑張ります!」という人、「TOEICハイスコア持っているけど『話す・書く』はあまりやっていないなあ」という人、いや、TOEICに限らず「英語ができるようになりたい!」という人は全員、ぜひアウトプットの練習も忘れずに行ってほしい。
これはホントに心からのメッセージである。
絶対に僕みたいにならないで欲しいのだ!

言語は座学ではない。ほぼ体育。

「言葉は座学じゃない。ほぼ体育のようなものである」
これは僕の知る優秀な日本人の英語の先生や
アメリカ人で日本語が堪能な先生が言っていたことを要約した言葉だ。

僕自身、これは言語学習について、
かなり言い得ている言葉だと思っており
ここに引用した。

言語は座学じゃない。体育である。

ちょっと意味が分からないかもしれないが
例えるとこういうことだ。

あなたは「逆上がり」の試験が控えている。
逆上がりをできるようになりたい。
教科書に「逆上がり」のやり方が書いてあった。
鉄棒が近所になかったので、実際に鉄棒で練習することはしなかったが、
その代わり、本番の試験までひたすら教科書の「逆上がり」の理論を頭に叩き込んだ。
そして、いざ本番。
実際に鉄棒に捕まって逆上がりをするのは初めてだ。
さあ、一発で逆上がりはできるのか?

当然だが、よほどの天才でなければ不可能である。
なぜなら頭で「体の動かし方」を知識として知っているだけで実際に体を動かして学んでいないからだ。
逆上がりを成功させるには、そのために必要な関節や筋肉を瞬時に適切に動かすことができなければ当然難しい。
日々、実際に身体を使って身に染みつけるように
練習を積み重ね、その経験を通して、瞬発的に
身体が反応できるようになってはじめて習得するのである。

言語も同じだ。
フレーズや単語を知っている、英文の意味が分かるというのは「逆上がり」の話で言えば「理論が頭に入っている」状態に過ぎない。
我々は言語で相手に何かを伝える時、自分の知っている単語やフレーズを瞬時に適切に組み合わせて、自分が意図する意味になるように文章を作って伝える。つまり「逆上がり」と共通して言えるのは、
「自分の意図するように瞬時に言葉(フレーズや単語、文法)を適切に運用する」という点である。
なので言語も「逆上がり」と同様、普段から言葉を適切に運用する練習を積み重ね、瞬時にそれをアウトプットできるように身体に染みつけておかないと当然話せる訳がないのである。

なので、言語を習得したいならば、
独り言でもいいから英語を口に出す習慣を作る。
一文でもいいから毎日、自分で英作文してみる。
など、どのような方法でも、必ずアウトプットを
心掛けることが重要となる。
これこそが「使える」英語を身に付けるための姿勢である。

つまり、言語は「読んで・聞いている」だけの
座学のような勉強では決して習得は不可能である。
インプットした知識をアウトプットとして運用することを繰り返しながら、身体に染み付けて覚えていく、そういう意味で言語はほとんど体育に似ているということである。

と、そういう話でした。
実際、第二言語として外国語を習得している人たちが口を揃えて言っている言葉なので説得力がある。
みなさんもぜひ、この言葉、自身の言語学習の
参考にしてみてはどうでしょうか。
僕は今日もこの言葉を胸にアウトプット頑張ります。
それでは。

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以上

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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