【もっと介護ができたなら】
【父を想う】
介護保険制度ができる前に父は亡くなった。
病院で亡くなるのが当たり前の時代。
もうそんなに月日が経ったのかと思う。
父の日が近づくと寂しくなる自分がいる。
母の日が来ると寂しく思う人がいるように。
好きなものはプロ野球と車、そしてタバコ。
巨人、長嶋茂雄ファンだった。
甘いものが好きだった。
お酒は一滴も飲めなかった。
父は、かなり足が速く野球も上手だったようだ。実は野球のスカウトもきていたとも聞いている。
結果的にはタバコもひとつの病因だったのかもしれない。でも、今では仏壇に堂々と置かれている。
父は、若くして亡くなったけれど、野球以外はやりたいことをやれたんじゃないかと思う。
そう思わないといられない。
人から悪い噂を聞かないくらい、温厚な人。
この評判は嬉しい。
覚えているのは、
大きな手と、大きな背中。
いつも恥ずかしそうに笑う。
つまらないジョークを言う。
父が生きていたら、
まずは、東京ドームで巨人の試合観戦をしたい。私のお給料が出たときに。
両国国技館で、相撲観戦もいい。
スカイツリーなんか見たらビックリしただろうな。
北海道に行きたいと言っていたから、一緒にいきたい。
時代錯誤したモノクロの遺影が私を見下ろす。
父はいつも、若いままだ。
生きているうちに、口下手な父との会話はどのくらいしたのだろうか。
声もほとんど覚えていない。
【父の代わりに】
今ケアマネとして働く中で、父が生きていたら同世代だった方々と毎日のように接している。
父だったらどう思うか。想像して姿を重ねることもある。
親が衰えていくことを受け入れられない子ども、自分が衰えていくことに、不安や落胆している姿…
私にできることは何かと考える。
🌲利用者さんが主役であるということ
状態によっては、家族の判断に委ねることもあるだろう。
ただ、それには、家族が本人の真意をわかっていてのこと。
本人の思いと大きくずれていくと、誰のための支援なのか、わからなくなる。
今まで生きてこられた中で、その方の人生の1番華やいでいた時期は、推測でしかわからない。
今の思いですら、本人の遠慮の中で歪んだものになっている可能性もある。
家族から得られる情報も、私が父の一部を自分なりの解釈で思っているように、偏りがあり真意とは少しずれたものなのかもしれない。
それでも、本人の生きてきた背景や、本人や家族の話から、本人の思いに1番近いだろうと推測して支援する。手探りで支援する。
最期に「いい人生だった」と感じられるような支援。これが目標でもあり目的でもある。
🌲一緒に笑い、一緒に涙を流す
自分の生まれるずっと前の歴史に耳を傾け、苦労してこられた昔話を聞くことは、今こうやってのほほんと生きていられる自分にとってためになることばかりだ。
戦争時代、弁当箱にはさつま芋だけだった話や、戦死した兄弟の話、毎日毎日農作業に明け暮れた話…
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」とも言われるが、お年寄りの世代はしなくても良い苦労を散々したんだろうなと思う。
こういった話を聞くと、自然と自分を省みる。自分の悩みなんて…大したことじゃないじゃん!て切り替えられる。逆に元気をもらえる。
そんな辛い時代でも、自分ができることや、楽しみ探しもしてこられた方は、謙遜していても軸のある生き方を続けている。
諦めている部分ももちろんあるが、細いこれからの余生を、自分なりの思いで貫こうとしている強さもある。
7、80年前の時代と大きく変わった今だけれど、
人として幸福感を持って生きることの大切さは変わりがない。
昔の辛い話が出るときに、必ずすることは、楽しみ、幸せなことへの話のすり替えだ。
孫ができ、ひ孫が生まれる人もいる。
子どもが出世し活躍している人もいる。
どんなに忙しくしていても、受診に付き添ってくれる人がいる。
料理を作ってくれる人がいる。
どんな小さなことでもいいんじゃないか。
その人がにこっと微笑んで嬉しそうな顔をするその瞬間はきっと幸せを感じているんだと思いたい。
父にはできなかったが、それはまた仕方がないこと。私がケアマネになって仕事に携わることは、本人の前では恥ずかしくて言えないが、私を育ててくれた恩返しだとも思っている。
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