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凡ギフと生きやすさ・生きづらさと地域の居場所
凡人ギフテッド、凡ギフ。その定義は以下記事を読んでもらったほうがわかりやすいし早いと思うのだが、
不登校になりやすい特性を持った人たちだと予想もでき、現に困っている子どもや保護者がいたり、社会人になってもそのことで困ってしまったりすることもあると思う。
ニーズがあるし、課題への切り込み方が、目のつけどころがすごいと思った。勇気がないと発信できづらい言葉かもしれない、が、認知されやすいキャッチーさと、このラベリングで生きやすくなる人は多いんじゃないかな。
自分が通っていた学校というものにあまり馴染めなかったわたしは、いまでもこの世界と自分との間に、どこかしら生きづらさのようなものがある。
社会は大勢の人に合わせた仕組みでできていて、動いていて、わたしはそこから大きくはずれやすい性質をもって生まれてきた自覚があった。
哲学や社会問題などの、人によってはとっつきにくかったり、小難しいといえば小難しい、けれどこの社会にとても大切だと思うものに、昔から関心がある。それはわたしの中ではあたりまえだった。授業が、勉強(新しいことを知ることや社会について考えること)が、いちばん面白かった。それは今も変わっていない。
苦労したのは人間関係と、自分が安心して学べる場がなかったこと。
多くの人が興味を持つもののほとんどに興味をもてなかった。それは、友達を早くつくって、仲良しグループに入らないと友達ができづらくなるような、当時通っていた学校のしくみには、わたしはとことん合わなかった。
それでもいいじゃん!って周りの誰かが思ってくれたら、楽だったと思う。でも、思春期にひとりでそれを思うことは難しくて、家族からも、「他人に興味がないの?」って言われてしまった。
結論、ひとりでもふたりでも、少人数精鋭でいいから、仲間がいることが重要だと思う。それは、過去にそういう同じような思いをしてきている大人でもいいし。生きていくだけの手段(お金)を合法的に得ることと、日常的に同じような感覚で繋がれる仲間がいること。この2つが生きづらさを抱えやすい人にとって、まずとても大事だと思う。このことに関しても、今後書いていきたいなあ。
もっと集まれる場所があったらいいなあ、と最近常々思う。似たようなこと考えてる人たちが、このnoteアプリやネットを見てると、少しずつ繋がりやすくなったのは感じている。ただ、危なくなく、お金もあまりかからず、もっと地域に安心できる人たちや大人がいる場が増えたらいいのにな、と今、思っています。
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