自由のための永住権を求めるADHD 【ADHDは荒野を目指す】
7-36.
台北に住んで十数年の僕は、長く経営した日本人子女向け学習塾や、そこで貯めた三千万円以上のお金を、元妻リーファの家族であり、名義上の台湾人オーナーであるフォンチュと、その娘イーティンによって、奪い取られてしまいます。
会社を取り戻すことは諦めたものの、時間をかけてお金だけでも取り戻そうと決めた僕は、台北での生活の立て直しをするべく奔走を始めます。
お金もないまま家を追い出される、スマートフォンは使用できなくなる、大手塾に雇用されたのにすぐに解雇される、就労ビザのない状態で仕事をしている時に政府の調査員に踏み込まれる等、様々なトラブルに遭いながらも、どうにか全てを切り抜け。
日本語が流暢な弁護士・章弁護士とも契約、フォンチュ・イーティンを刑事告訴。
起訴不起訴の決め手がないようで、検察の取り調べが延々と続きますが、手ごたえは悪くない状態で推移します。
そんな中。
日本の大手塾・K学園の台湾支社長だった、芝本という日本人男性が、K学園の台湾撤退を機に、台北に新しい日本人子女向け塾を作り、僕を雇用してくれることに。
無事に教室も完成、授業がスタートしますが。
手続きに時間がかかってしまい、塾の営業許可が中々下りない。
正式に登記が済んでいる塾でなければ、社員に就労ビザが出せません。
つまり僕は、就労ビザなしでの仕事、つまり不法就労状態を続けてしまっており。
どうしても、不安感や罪悪感が拭えません。
その上、芝本との相性も非常に良くない。
思い通りの仕事も出来ず、鬱々と日々を過ごしていました。
そんなある日。
刑事告訴について、担当弁護士の章弁護士と話している時に、ふと彼が言うのです。
――べいしゃんさんは、永久居留証が取れるのではありませんか?
永久居留証とは。
文字通り、永久に台湾に住むことを許可するもの――永住権を示すものです。
この永久居留証を所持する外国人には、ただ居住権が与えられるだけではありません。
流石に選挙権は与えられませんが、保険加入が容易になったり、退職金も認められるなど、多くの面で、台湾人とそれほど差のない権利が与えられる。
勿論、就労の権利も認められます。
配偶者ビザと同じようなものです。
外国人は本来、台湾の会社に社員として雇用してもらった上で、その会社を通して申請してもらう方法以外に、就労ビザを入手する手法はありません。
けれども。
この永久居留証を持つと、自動的に労働許可証も与えられる。
こうなると、会社に属する必要がなく。
フリーランスの仕事も出来るのです。
勿論、日本人の子供相手に勉強を教えることだって、何の問題もない。
そんな素晴らしいものです。
勿論、僕もその存在は知っていました。
ただ、仕事をしている当時は、どうしてもそれが欲しい、と思いませんでした。
何せ、手続きが面倒である上に、結構なお金もかかるのです。
台湾移住当時は、台湾人の妻がおり、配偶者ビザを持っていたのです。それでアルバイトだって出来た。
わざわざ永久居留証を取る必要なんてありません。
離婚し配偶者ビザを失った時点でも、僕には、自分の会社があり、そこで就労ビザを自由に発行出来たのです。
やはり、永久居留証は必要ありませんでした。
けれども。
突然会社を奪われ、就労ビザもなくなってしまうと。
俄然、永久居留証が重要になって来たのですが。
永久居留証の申請には、勿論資格が必要です。
――台湾で連続五年以上居住・就労しており、その期間一定額以上の納税をしていること。
――一切の犯罪歴がないこと。
――健康状態に問題がないこと。
等々、以前の僕は、完璧に条件を満たしていたのですが。
なんと、『連続五年以上就労』というのは、正確には『申請時点で、連続五年以上在職中であること』。
会社を追われて無職になった時点で、その連続性が途切れてしまい――僕は、申請条件を満たせなくなってしまったのです。
在職中、つまり資格を満たしている時にはどうでも良かった永久居留証が。
資格を失った途端に、どうしても必要なのに、どうしても手に入らない存在になってしまっていたのです。
――こんなことなら、在職中に永久居留証を入手しておくべきだった。
そう悔やんだのですが――こんな事態に陥る危険性など、予見できる筈もありません。
面倒がりな僕がそれを申請しなかったのは、当たり前のこと。
諦めるしかなかったのです。
その、永久居留証を取れるのではないか――章弁護士は、そう言い出すのです。
無理でしょう、と僕は言います。
五年以上就労はしていたのですが、それが途絶えてしまったのです。
いや、勿論、仕事はしています。
でも、それは、不法就労。
勿論役所が、そんなものを『就労』と認めてくれる筈もない。
この章弁護士にだって、不法就労のことは語っていないのです。
ところが。
章弁護士は、言うのです。
――確かに、今条件を満たしてはいませんが、昨年までは問題なかったのですよね?
――それなら、何とかなるかも知れませんよ。
――ここは日本じゃなくて、台湾ですから。
章弁護士は笑います。
確かに、台湾では、公に関するようなことでも、融通が利くケースが多い。
それは僕も重々承知していますが。
永住権などという、国家の根本に関わるような大事な問題に関しては、流石にきっちり対応してくるだろう。
僕はそう思っていたのです。
ところが、章弁護士は、そうではないという。
――移民局には大勢知り合いもいますし、私の事務所の方から申請してみれば、成功する可能性も上がります。
そう聞かされると、心が動きます。
ただ、永久居留証の申請費用は、本来、三万円程度。
しかし章弁護士は、十数万円を請求するという。
それは余りに高すぎる、と思うのですが。
――無事永久居留証が入手出来たらお支払いいただく、という形で結構です。申請に失敗すれば、お金は一切いただきません。
そう聞かされると、さらに心は動きます。
そして、思うのです。
もし本当に永久居留証が手に入れば、僕は、会社に属する必要がなくなる。
つまり、芝本の下につかずに済むようになるのです。
芝本から離れて、別の場所でやり直すことも出来るし。
芝本と対等な立場で、もっと良い条件で労働契約を結び直すことだって可能になる。
仕事の自由度が、一気に上がるでしょう。
組織に入れない僕は。
何より自由を好むADHDの僕は。
そのアイデアの魅力に抗うことなど出来る筈もなく。
すぐに章弁護士にそれを依頼。
依頼書にサインをしたのでした。
永久居留証は、通常、申請から発行まで二か月ほどかかる、ということです。
流石に大事なものですから、慎重な審査が行われるらしい。
ですから、それが入手できるとしても、まだまだ先の話なのですが。
鬱々していた気持ちが、一気に晴れます。
永久居留証を手に入れた後、どういう行動をとればよいのか。
ワクワクしながら、色んなことを考えます。
そんな具合に、気持ちが上向いていた、ある日。
出勤中、僕のスマートフォンが震えます。
知らない番号ですが、何気なく電話に出た僕に、男の声が言います。
――移民局です。
一瞬、僕は怯えます。
また、不法就労の調査に来るのか――そう思ったのですが。
――永久居留証を申請していますよね?
僕はホッとすると共に、急いで頷きます。
そして心に喜びが満ちます――もう審査が終わったのか、もう永久居留証が手に入るのか!
けれども。
その男の次の言葉に、僕は唖然とするのです。
――あなたは、犯罪歴がありますね。
――これでは、永久居留証を発行は出来ません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?