チベット族と漢民族と、ADHDと 【ADHDは荒野を目指す】
2-38.
荒野を行くトラックの荷台の上で再会したのは、チャムドという街で出会った漢民族の男性、劉でした。
移動手段を探している際、駐車場で出会い、同じルートで旅をしようとしていることを知りました。そして、もし移動手段を見つけたらお互いに教え合おう、という約束を交わしました。
結局僕は、ヒッチハイクでばたばたしたこともあり、劉に何ら連絡することなく、一人でチャムドを出発してしまっていました。
それ以来、約一週間ぶりの再会です。
僕と劉は再会を喜び合い、これまでの経緯を語り合いました。劉もまた、トラクター移動だの野宿移動だの、僕と大差ないような厳しい旅路を辿って来たようですが、彼の様子からは、疲れのようなものは微塵も感じられませんでした。小奇麗なジャケットを着て、常にニコニコしています。
また、劉は時折、近くにいるチベット人巡礼者に対して、その道具は何だ、その祈りは何だ、などと笑顔で質問しています。今一つ伝わってはいないようですが、チベット人の返事を彼はニコニコして聞き、さらにコミュニケーションを取ろうとします。
やがてトラックが、一つの街で停まりました。
僕は劉と連れ立って食堂に向かいます。そして振り向くと――必ず奢ってもらうためについてくるタシとタシゲレが、困惑したような表情をしています。僕が構わず食堂に入ると、そのままタシとタシゲレはどこかに去って行ってしまいました。
劉と楽しく食事をシェアしながら、僕はふと思います。
数年前、初めて中国を旅したときには、漢民族の人々全員が、まるで宇宙人のように思えました。それぐらい、価値観も何もかも違う人達だと思いました。
ゴミは平気で撒き散らすし、近くで寝ている人がいようが大声で騒ぎだす。そういう傍若無人な振る舞いが、とにかく嫌で仕方ありませんでした。
けれども、こうしてチベットを数週間旅し、その中でもまれて過ごしていると――漢民族の方に親近感を覚えている自分がいます。
チベット人が嫌いだという訳ではありません。
むしろその逆で、特に、彼らが僕に見せてくれる優しさには、ただ感謝の念を覚えています。
手持ちのない僕に食料を分けてくれる。坂道で動けなくなった僕の荷物を代わりに持ってくれる。宿なしで彷徨う僕を無料で宿に泊めてくれる。喉の悪い振りをしているだけの僕に薬を分けてくれる。
彼らには、「所有権」という概念が希薄であるようで、どんなものでも惜しみなく分け与えようとするようです。
けれども一方で、それは、どんなものでも遠慮なく貰って行く、ということも意味します。ウォークマンだけではなく、僕が日本から持参した保温性に優れた水筒や、なども、彼らは自分のもののように取り込んでいます。また、食事を何度奢って貰っても、一切感謝の念を示さない。
まるで家族のように振舞う――距離感が近すぎるのです。
それに対して。
漢民族の人々も、同じく何でも分け与え、何でも奪い去って行くことはあります――身内に対しては(後年それを嫌という程思い知らされます)。
けれども、通りすがりの旅人のような赤の他人に対しては、何も与えないかわりに、何も要求しない。
そもそも、共産党の厳罰主義のせいもあるのでしょう――当時、エロ本を売った業者で死刑になった話を聞きました――、犯罪も非常に少ない。
彼らはただ、傍若無人――近くに他人がいても、誰もいないように自由自在に振舞うだけです。
物理的な距離は近くても、精神的な距離は離れたままです。
僕はADHDです。
色んなことを気にしてしまう人種です。
他人の言葉一つ、振る舞い一つに、動揺してしまう。色々考えて、悩んでしまう。
そんな僕にとっては、すぐに絡んでくるチベット人よりも、距離を取ってくれる漢民族の方が、ずっと有難い。
劉と割り勘をしながら、僕はそんなことを考えていました。
そうして、数日が過ぎました。
トラックは進み続けます。
いよいよ旅の終わりが近づいて来た――そう思い始めたころ。
僕達は不吉な物を目にします。
――雲です。
乾燥しきった大地、青すぎるその空の片隅に出て来たその異物は、僕の心を不安にさせるものでした。
そしてその不安は的中します。
標高が上がると共に、その雲が空を覆うように広がり、一気に気温が下がりだし――そしてついに、雪が降り始めたのです。
同時に、強烈な風が吹き始めます。
吹雪です。
僕の乗るトラックの荷台には、勿論幌などありません。
そこに、吹雪が容赦なく吹き付けて来るのです。
途轍もない寒さです。
ぎゅうぎゅう詰めの荷台の上、四方を人に囲まれているのに、寒い。
とんでもなく分厚いコートを着ているのに、全身が凍えそうです。
経験したことのない寒さに、僕はただ震え続けます。
そんな僕に、隣の老婆が、羽織るための服を渡してくれます。僕はお礼を言うことも出来ず、それにくるまりまた震える。
辛いのは僕だけではないようでした。
こんな世界で生まれ育ったチベット人達にとっても、その寒さは耐えがたいものであるようで、多くが厳しい表情で震えています。
タシやタシゲレでさえ、はしゃぎまわるのをやめてうずくまっています。
無茶だ、と僕は思いました。
こんな中で車を走らせるなんて、無茶だ、と。
でも、車は走り続けます。
それを停めたところで、この何もない荒野の上、寒さを凌げるような場所はないのです。
寒さを逃れるために出来る手段はただ一つ、一刻も早く車がどこかの街に辿り着くのを祈ることだけ。
それ以外には、ただ耐え続けるしかないのです。
凍死するかもしれない。
僕ははっきりそう思い、そして強い恐怖を覚えます。
どこかの街に着き、人々がトラックを下りても、俯いたまま一人動かずにいる、自分の凍死体――そんなイメージが湧いてきます。
でも、何も出来ません。
広すぎる荒野に、激しすぎる吹雪。僕に出来ることなど、ある筈もありません。
祈る以外には。
――そんな時です。
不意に、歌声が響いて来ました。
一人のチベット人が、歌いだしたのです。
悲し気な、でも力強い歌を。
その歌声は強い風に流されて行きますが――すぐに、他の人々が、それに続いて歌い始めました。同じメロディの、同じフレーズを。
そして、荷台の上の全ての人が――僕と劉を除いた全ての人が、大きく口を開けて歌い始めます。
人々の歌声が吹雪を貫き、荒野の上に響きわたります。
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