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目上の人と付き合えないADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-11.

 川上は、日本では二つの会社を経営し、ネパールでは一つのフリースクールを経営する、六十前後の男性です。
 しかも、その人生は色々ドラマチックかつ感動的なものです。その為、彼を主人公にしたテレビのドキュメント番組や、ミニシアターとはいえその人生を描いた映画なども作成されたことがある程の人物です。

 こんな人物と僕が、それなりに親しく付き合えていたのは、奇妙なことです。

 僕は、年上だったり目上だったりする人物との付き合いは、本当に下手でした。
 自分を認めさせなければならない、失礼なことがあってはならない。そういった思いが強すぎる上に、ADHD特有の「色んなことが気になりすぎる」という特性の為に、とにかく挙動不審になるのです。

 気を引くために奇矯なことを口にする。話をちゃんと聞き取れず見当はずれの答えをしてしまう。会話に集中しすぎてしまい、他への意識が疎かになってしまう。直後にそれに気付き、慌ててしまう。取り返そうとして余計に変な言動をしてしまう――そんな繰り返しの末に、パニックに陥る。

 休日に家の近くの店で食事をしていた時に、偶々上司に出くわし、同席した際、彼に言われたことがあります――どうしてずっと君は鼻歌を歌っているの、と。
 気を抜いていた休日、突然現れた上司に対し、慌てて僕がするべき話題を必死に考え、同時にちゃんと箸を使わなければと考え、さらに自分のTシャツに穴が開いていることに気付き、寝癖もあることに気付き、それらを全て何とかしようとして出来ず、パニックに陥った挙句――気付かぬ内に、何故か鼻歌を歌ってしまっていたのです。
 そんなことが、しょっちゅうありました。

 ただそれだけなら、『天然』などと呼ばれて、愛される存在になれた可能性もありました。
 けれども僕はそうはならない――プライドが高すぎるのです。自分の失敗を素直に認めることが出来ないのです。
 僕が失敗したのは相手のせいだと考えてしまう。あいつがプレッシャーをかけるから悪いんだと思ってしまう。大したこともないくせに偉そうに振舞いやがって、と恨む。
 そして、その後その相手を避けてしまう。

 相手がどれだけ優しい人物であれ、どれだけ僕に親しもうとしてくれる人であれ、僕はそういう対応をし、最後には逃げてしまっていたのです。

 そんな有様ですから、僕はついぞ、目上の人物と親しく交わったことがありません。教授には嗤われ、上司にはうんざりされ、客からは奇異な目で見られてきました。


 そんな僕が、川上ほどの人物と交流出来たのには、勿論理由があります。
 彼の特質のお陰です――優しいだとか、そう言った性質に関するものではありません。
 彼が、重度の身体障害者だったからです。

 幼くして小児麻痺を患った彼は、四肢が不自由でした。また、頭脳明晰な人ではありましたが、言葉もうまく喋れません。

 そんな彼に対して、箸がうまく使えないことを責める人などいませんし、彼が僕をそれで責めることはない。
 また、彼の言葉をうまく聞き取れなくても、僕の責任にはなりません。何度でも聞き直しても、彼は決して苛々しません。APD(聴覚情報障害)を持っている僕にとって、これは本当に有難い。
 彼の家を訪れる時にも、苦手の電話をしなくてもいい――メールでいいのです。気楽に連絡が取れる。

 さらに言えば、彼の前では、僕などでも、確実に役に立てる存在でいられるのです。僕は車椅子を押せるし、遠くの物を素早く取ってあげられる。
 劣等感に満たされていた僕にとって、素晴らしい人物である川上の役に立てるというのは、十分に自尊心を満たしてくれる、ある意味救いのようなものでありました。

 そう言った理由で、僕は、川上とある程度親しく交流することが出来たのです。
 時折彼の家を訪ねては、車いすを押して近くの高級レストランに行き、食事を奢ってもらっていたのです。
 


 ――そして。
 ネパールにある川上のフリースクールの現状を伝えた僕のメールに対し、即座に送られてきた返事のメールに書かれていたのは、こんな内容でした。

 ――こちらはアグニとは連絡が取れない。メールや電話をしても、一切反応がない。おそらく彼は、学校の乗っ取りをしようとしているのだ、と。

 僕は愕然とします。
 その学校を作ったのは、言うまでもなく川上です。土地、建物、教師への給与、生徒の制服、筆記用具、給食、その殆どの費用を川上が負担しました。一部のみ、寄付に頼りましたが、アグニは一銭も出していない。

 それでも、アグニが、学校の所有者であると主張することは、十分な理があることでした。

 何せネパールでは、外国人が土地や家屋を所有することは出来ないという法律があったのです。
 インドと中国という、拡大主義の大国に挟まれる小国にとって、それは国が経済的に侵略されることを防ぐための、当然の法律でした。

 けれども、川上にとって、その法律は大きな障害になりました。結果、彼は、購入した土地と建物を、名義上は現地の人物――アグニの物だとして登記するしかなかったのです。

 だから、アグニが突然、この学校は俺の物だと主張し始めたとなると――それに対して、法的な反論をすることは、非常に難しいのです。


 ただそれでも、と川上は書きます。

 ――どうしてアグニがそんなことをするのかは分からない。

 アグニは、ネパールの中では裕福な部類に入る人物だが、日本人基準では十分に貧しい。川上から受け取ることの出来る給料は、彼にとっては十分なものだろう。
 それなのに、学校を乗っ取ってしまえば、もう給料が手に入らないだけじゃない。学費の取れないフリースクールなのだから、その維持費だけで大変な出費になる。アグニは日本語が話せないのだから、今までのように、日本からの寄付を得られる可能性も、ほとんどなくなってしまう。
 勿論、土地と家屋という資産を得たことになるが、ネパールの土地や家屋なんて二束三文。将来も安定して得られるだろう給与に比べれば、スズメの涙ほどのものだ。

 つまり、彼にとって学校を乗っ取ることは、得より損の方が多い。
 そんなことが分からない程愚かな青年ではなかった筈だが。


 だから、と川上は、メールの最後にこう記していました。

 ――君はもう一度学校に行って、現在の状況と、アグニの真意を確かめてきて欲しい。そして出来れば、損得勘定を説いてでもアグニを説得して、乗っ取りを辞めさせて欲しい。
 それが出来れば、また食事を奢ってあげるし、十分な謝礼もしよう、と。


 メールを読み終えた僕は、顔を上げました。
 ――仕事だ。

 コンピューターを弄ったり、ツアー客の苦情を聞いたりする、そんな詰まらない行為ではない。

 本当に素晴らしい人が、本当に困っている。その人の手助けをする。そして報酬が貰える。
 これこそ、本当に僕がしたかった仕事です。

 僕は立ち上がり、アグニの元へと急ぎます。

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