見出し画像

全てを盗まれた旅行者にかけた、ザンビア入国審査官の余りに残酷な言葉 【ADHDは荒野を目指す】

 3-28.

 僕を乗せた列車は、何事もなかったように走り続け――昼前に、終着駅であるカピリムポシに滑り込みました。

 二泊三日、長い列車旅からの解放です。
 乗客たちが賑やかに列車を降りて行きます。
 同室の男性達も、笑い声をあげながら下車して行く。

 ベッドに横になっていた僕は、よろよろと起き上がります。
 まとめる荷物も、背負う荷物もない僕は、手ぶらのまま、ゆっくり列車を降ります。

 駅には長蛇の列がありました。
 国際列車の終着駅であるため、入国審査があるのです。

 僕はその列に加わります。
 そして、回らない頭で考えます。

 これからどうなるのか。
 どうすればいいのか。

 ――まるで分かりません。

 それまでもある程度旅をして来たため、今までこのような事件に遭遇した経験はあります――勿論被害者は僕自身ではありませんが。

 ある旅行者は、インドの安宿にて、停電のドサクサの間に、同室のドイツ人によってパスポート入りのバッグを盗まれた。
 別の旅行者は、ネパールのバスで移動中、同じバスのネパール人によって網棚の上の荷物をこっそり持ち去られていた。
 一人の旅行者は、パキスタンの宿にて、完全な密室の中で荷物全てを盗まれた――後で調べると、その部屋には、忍者屋敷のような隠し扉があった。

 そんな話を次々思い出しますが――全て、その先のことが分からない。

 荷物を失った彼らは、その後どうしたのか。
 どこに行き、どういう手続きをし、どうやって日本に戻った――或いは旅を続けたのか。

 ――全く分からない。

 辛うじて想像がつくことは、彼らは皆、日本大使館に行っただろう、ということ。
 そこで大使館員に助けて貰ったのでしょう。
 日本大使館とは、その国に居る日本人をサポートする為に存在しているのですから。

 普通に考えれば、僕もそうするべきなのでしょう。


 でも――僕に、それが出来るのかどうかさえ分からないのです。

 ここはザンビア、アフリカの小国です。
 そんな国には、日本大使館が存在しないケースがある、と聞きます。

 実際、僕は数日前まで居たルワンダには、日本大使館はない、と聞いていました。
 ケニアだったかタンザニアだったかの日本大使館が、その周辺の国における大使館業務をも兼任しているそうです。

 もしこのザンビアに、日本大使館がなければ。
 僕はどうすれば良いのだろう?
 全く分かりません。

 それにもし、幸運にも大使館があったとしても――僕は、どうやってそこまで行けば良いのだろう?

 大使館は通常、首都にあるものです。
 でも僕のいるのは、ザンビアの首都ルサカではなく、そこから二百キロ程離れた場所です。
 しかも、ルサカのどこに日本大使館があるのかさえ一切分からない。

 知識もない上に、お金もない僕が、どうやってそこに行けばいいのか、全く分からない。

 
 分からないことばかり。
 不安と恐怖で、また鼓動が速くなります。汗が噴き出ます。

 ――でも、多分、大丈夫だろう。
 僕は自分に言い聞かせます。

 僕から話を聞いた入国審査官なり警察なりが、日本大使館に連絡を入れてくれるだろう。
 そうすれば、大使館員が駆けつけてくれるだろう。
 そして、僕を助け出してくれるだろう。

 そう自分に言い聞かせながら、入国審査の列に並び続けます。


 そして、ついに僕の順番が来ました。

 前に進み出ると、スーツ姿の大柄な男性が、パスポート、と僕に言います。

 ない、と僕は急いで答えます。
 実は、列車の中で全てを盗まれたしまった、だからパスポートもない。

 ――パスポートがない?
 入国審査官の男性が、驚いた顔をします。
 そう、僕は頷きます。

 成程、と管理官は頷きます。
 そして、手元の資料に目を落とし少し眺めててから、顔を上げて言います。

 ――パスポートがないということは、君は今、不法入国をしている犯罪者というになる。

 は?
 思わぬ言葉に、僕は戸惑います。

 ――そして、不法入国者ということは。

 男はまた手元に目を通します。
 ――三百ドルの罰金を支払うか、元居た国に戻るか、どちらかを選ばなければならない。

 は?
 僕は言葉を失います。

 ――どちらにする?
 男は微笑みを浮かべて僕を見ます。

 どういうことだ? 僕は懸命に頭を働かせます。
 僕は確かに、全てを盗まれた被害者であると告げた。それなのに、僕は今、犯罪者扱いされている?

 僕は懸命に頭を働かせ、そして思います――もしかしたら、僕の英語が下手で、僕の言いたいことが彼に伝わらなかったのかもしれない。

 ――だから、僕は、列車の中で全てを盗まれた訳で、だから。

 男は頷きます。
 ――だから、君はパスポートを持っていない。

 そうだ、と僕は言います。だから。

 ――だから、君は犯罪者だ。罰金を支払うか、元居た国に戻るか、どっちにする?

 僕は再度言葉を失います。
 眩暈と吐き気が押し寄せてきます。

 でも、僕は顔を上げます。
 ここには僕を助けてくれる人はいない――僕は自分自身の力だけで、この場を切り抜けなければならない。

 僕は懸命に言います。
 ――言った通り、僕は全てを盗まれたのだから、お金などない。
 ――元居た国に戻ろうにも、パスポートがないのだからタンザニアだって僕を入れてくれない。

 罰金を支払うことも、元居た国に戻ることも出来ない。
 僕ははっきりそう言います。

 すると男は、言いました。
 ――罰金も払わない、退去もしない。ということは、こちらの対応は一つしかない。

 入国審査官は、微笑みます。

 ――不法入国者として、君を逮捕する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?