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正義を守れないADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-12.

 その学校の屋上テラスからは、ヒマラヤ山脈のアンナプルナ山系に連なる、幾つもの雄峰が望めます。

 プラスチックの椅子に腰かけ、プラスチックのテーブルの上の紅茶をすすりながら、アグニは黙ってその山々を眺めていました。

 階下からは、子供達の声が響いて来ます――子供達が、草むらの上でボロボロのサッカーボールを追いかけています。

 川上先生は、この学校を返せと言っている。僕は何度もそう繰り返しました。けれどもアグニは、ただ薄笑いを浮かべ、同じように答えるだけです。

 ――ネパールの法律が言っている、この土地も家屋も俺のものだ、と。

 そんなやりとりを三度ほど繰り返しただけで、僕は言葉を失いました。アグニも黙り、山々の方を眺めます。
 話は終わりだ、という雰囲気です。

 これじゃ駄目だ、と僕は慌てます。これではただのガキの使い――仕事でも何でもない。
 僕は懸命に、言葉を探し出します。

 ――川上が、不自由な体で頑張って稼いだお金で作った学校だ。
 ――老齢の川上があらん限りの情熱を注いだ学校だ。
 ――そんな学校を奪うなんて、絶対に許されないことだ。
 ――君は『正義』の人を裏切った、ひどい悪人だ。

 そんな言葉を連ねます。

 けれども、僕の言葉など、何一つアグニの心には触れないよう。

 ――君は法律を勉強をした方がいい。

 アグニはただ、薄ら笑いを浮かべたまま、そう言うだけです。

 これでは駄目だ、と僕は思います。
 明日もう一度来る、と僕は言います。ネパール語の通訳をを雇い、一緒に来る、と。
 そう、間に通訳のワンクッションが入れば、パニックになり易いADHDの僕であっても、ある程度落ち着いて話すことが出来る、そうすれば良いアイデアも浮かぶだろう、と思ったのです。

 けれども、アグニは即座に、そんな必要はない、と答えます。
 君も僕も英語を話せる。それで問題はない、と。

 他人を介在させたくないのだ、と僕は思います。ネパール人通訳を入れれば、その人物に内情を知られてしまう。アグニにとっては、それは避けたいことなのだ。

 どうやら自分の行動に少しは後ろめたさを感じているらしい。僕はそれに力を得て、どうにか言葉を続けます。
 殆ど無視されますが、ようやくアグニが反応を見せたのは、川上がいなければお金が続かないのじゃないか、という言葉に対して、でした。

 それは大丈夫だ、とアグニは言うのです。

 ――ここは、今後、フリースクールではなく、普通の私立学校として生まれ変わる。既にポカラ市から学校としての認可を受けている。だから今後は、生徒の家庭から授業料を得られるし、市からの補助も得られる。何の問題もない。

 その言葉に、僕はひどく驚きます。
 アグニは、一時の欲望にかられて学校を乗っ取ったのではない。ちゃんと計画を立て、その通りにそれを行ったのだ。

 そう理解した途端、僕は圧倒されるものを覚えます。

 けれども、どうにか言葉を続けます。
 でも、貧しくい子供達に教育を与える、というのが、この学校設立の理念だろう? でも授業料を取るようになったら、そういう子供達が来られなくなるじゃないか、と。

 理念に反しているじゃないか、と。

 アグニは笑います。

 ――そもそも、本当に貧しい子供達に教育をしたいのなら、こんな場所で学校を開くべきじゃなかったんだ。
 このポカラは、日本人から見たら貧しい街に見えるだろうが、ネパール人からしたら、空港も観光資源もある、国内第二の大都市なんだ。
 もし、本当に貧しい子供を助けたいのなら、もっと山の中に入らなければならない。そういう場所には、学校に行くどころか、食べる物もないし、医療も受けられない子供が大勢いる。

 でも、川上は障害者であるために、そんな僻地に行くことは出来なかった。だから仕方なくここで――空港があって病院もあるこの街で、学校を開いたんだ。

 ――だから、ここはそもそも、本当に貧しい子供の為の学校ではない。妥協の産物なんだよ。

 そこまで鋭い口調で述べ立てたアグニは、ふと語調を柔らかくします。

 ――それに、見方を変えれば、授業料を支払えるような子供達だって、日本人から見れば、十分に貧しいだろう。
 だから、授業料を取る私立学校だって、ある意味、貧しい子供の為の学校と言えるだろう。

 

 ――だから、理念に反してもいない。


 アグニはそう笑って言い、そして僕は完全に言葉を失いました。

 仕事だと粋がっていましたが、僕は所詮、利害関係のないただの第三者です。
 特別な才能も、特別な信念も持たない、ただの旅行者です。

 川上という他人の『正義』を笠に着ただけの、空っぽのADHDです。

 そんな僕が、生活だとか思想だとかの、色んなものを掛けて行動している――自分の『正義』を持つ現地の人間に、勝てる筈もないのです。

 僕は言葉を失い、口を閉ざしました。


 そしてその学校からトボトボと引き上げながら、ただ思います。
 ――もっと強くなりたい、と。



 この約十年後、僕は久々にネパールを訪れました。
 川上は、立派に学校を作り直していました。新しい校舎で、貧しい生徒達と楽しくやっていました。

 けれども、川上が最初に建てた学校はなくなっていました――外国人向けのゲストハウスに転用されていました。
 川上によると、そこを乗っ取ってから僅か二年ほどで、アグニは経営に苦しみ、その物件を手放したそうです。

 その後アグニがどこに行ったのかは、誰も知らないそうです。



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