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最後の寄り道 【ADHDは荒野を目指す】

 3-26.

 日本に帰るフライトチケットを買いたい。
 タンザニアの代理店でそう言った僕に対し、日本が大好きだと言う店員の男性は、丁寧な口調で言ったのです。

 ――日本に帰るのはいつでもできる、でも、ビクトリア滝ほど壮大なものを見るのは、中々出来ない経験だぞ、と。

 しかも――その絶景と共に皆既日食を見ることなど、中々出来ないどころか――次は三百年も先まで待たないと出来ない経験だぞ、と。

 
 どうやら翌週、ザンビアにて、皆既日食が見られるというのです。
 しかも、絶景で知られる、ビクトリア滝の上空で。

 世界最大級の壮大な滝に、皆既日食――そんな幻想的な風景を眺めらるのです。何百年に一度、という確率で。
 それを知る多くの旅行者が、今、ビクトリア滝を目指して動いている、というのです。

 僕は即座に、見に行こう、と決断をします。
 そして同時に、これを本当に最後にしよう、と。
 見終わったら、さっさと日本に戻ろう、と。

 そう思ったのはそれまでも何度もありましたが、今度の決意だけは、ゆるぎない物でした。

 どうしようもありません。
 先立つものが、もうないのです。

 三十万円程度。日本へのフライト代に十数万円はかかることを考えると、そして帰国後の当座の生活費を考えると――もう、使えるお金は殆どありません。

 壮大な滝と、皆既日食。
 それが、これ以上のものはもう見られないだろうなと思えるぐらい、そして旅が終わることを納得させてくれるぐらい、感動的な光景であればいいな――僕はそう強く思います。

 


 そして僕は、ザンビア行きの長距離列車に乗り込みました。

 左右両側に二段ベッドのある、四人部屋のコンパートメントでした。
 僕のベッドは、向かって右手の下段でした。

 他三人はタンザニア人かザンビア人かは分かりませんが、友人同士らしく、常に共に行動をしています。
 こちらには、殆ど興味を示しません。

 二泊三日の旅程です。

 僕は一人、殆どの時間をベッドの上で過ごします。

 長距離移動中は、本当に危険です。
 特に列車は危険です。

 ただでさえ、こちらは全ての荷物を持っている。
 しかも、バスなどと違い、列車は常に移動し続けています。
 泥棒が盗んだ物をひっつかんで降りてしまえば、もう追いかけようがなくなるのです。

 トイレの時は、小走りで。
 食事の際には、食堂車のボーイに出前を頼む。
 小腹が減れば、駅ごとに現れる売り子からバナナを買う。

 そうやって、一日目を乗り切ります。

 二日目も、同じように過ごす。
 黙って、身動きもせずに。

 退屈ではありますが、大して苦痛ではありません。
 何せ、もうすぐ旅が終わるのです。
 こんな時間を持つことが、出来なくなるのです。

 残り僅かな時間を惜しむように、僕はただ、窓の外を流れるアフリカの緑を眺め続けていました。


 そして、夜が来ました。

 いつものように、僕はボーイを捕まえ、炒飯の出前を頼みます。
 やがてやってきたそれを、僕はゆっくり食べます。

 そして皿を通路に出したところで――僕は、眠気を感じます。

 まだ八時です。
 でも、どうせやることのない僕は、その眠気に身を任せることにします。

 歯を磨くこともせず、僕はベッドに横になります。

 ちらりと、コンパートメントの扉が開いたままであることが気になりましたが――どうしようもありません。
 同室の三人は、恐らく食事の為に外出中なのです。僕が内鍵などかけてしまったら、彼らが戻って来た時に入れなくなる。

 そして僕は目を閉じて、眠りに就きました。


 ――ふと、意識が戻ります。

 人々の喧騒が聞こえます。

 どこかの駅に着いたのだろうか?

 ぼんやりそう思いますが、それだけです。
 僕は目を開けることもなく、再び眠りに就きます。


 目を覚ました時には、外はすっかり明るくなっていました。
 本当に良く寝たな――僕はすっきりした気持ちで、体を起こします。

 そして、ようやく気付くのです。


 僕の所持品全てが、なくなっていることに。

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