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兄の葬儀にはしゃぐADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 1-11.

 兄の葬儀は、それなりに華やかなものになりました。
 まだ大震災の爪痕が残る兵庫某所に、兄の大学のあった京都のみならず、色んな場所から大勢の人たちが集まります。

 その間、僕は走り回っていました。
 通夜や、葬儀の手配は主に両親が行います。僕が任されたのは、来客の相手です。
 同じ中学高校に通っていた訳ですから、共通の知り合いは大勢います。僕は彼らの相手を勤め、さらに葬儀委員長を務めてくれた大学教授の相手をし、そして十数年ぶりに会う親戚たちと交流しました。

 ただでさえ非常事態に強いのが、ADHDです。葬儀と言う「祭り」の場は、僕をワクワクさせるものです。
 しかもそこでは、僕は「気を遣われる」方の立場なのです。
 いつものような失言や物忘れを責める人など一人もいない。
 場にそぐわないような馬鹿な言動をしても、「頑張って明るく振る舞っている」と思ってもらえる。
 ADHDにとって、こんなに居心地の良い場所はありません。

 泣き崩れる兄の友人もいる中で、僕はただひたすらにはしゃぎ回ったのでした。

 悲しくなるほど愚かです。


 しかし、その「祭り」が終わると、途端に僕は活気を失います。傷心の母親を慰める、などいう考え方などまるで出来ないままに、葬儀の翌日には、自分の部屋のある地方都市に戻ってしまいました。

 そして、それまでと同様の、汚い部屋でだらしなく過ごす毎日に戻ります。
 けれども、心の中は少し変質していました。
 僕の頭の中には、葬儀の後、両親が僕に向かって語った言葉がグルグルと回っていました。――大学に戻るなら学費は出す、という言葉。


 親がお金を出すと言うのは、恐らく嘘ではない。
 まだ数年は学生を続けるだった兄が死んだのだから、少しはお金が余っているだろう。それに、兄がいなくなった今、彼らの老後を見なければならない存在になった僕には、是が非でも、まともな社会人になって欲しいだろう。
 そもそも大学をやめたのは、お金がなくなったからであり、それも短慮だったのではないかと強く後悔している。

 となると、お金の保証が出来た以上、大学に復学するのが筋でした。 


 けれども、僕の中には、どうしてもそれに乗り気になれないものがありました。

 何せ、文学には何の興味もないのです。文芸作品にも外国語にも何ら関心は持てない。
 史学科には多少気が惹かれますが、僕が興味を抱くのは、小説で描かれる時代だけ。それも講談的な話が好きなだけであり、僕に実証的な歴史研究など出来るとは思えない。

 だから、僕が大学に戻ったところで、その後また同じことが起こる――勉強をしなくなり、大学に行かなくなるに決まっている。

 それでも――経済的な不安なく大学に通えるというのは、魅力的な話です。
 というよりも、レールを外れてしまった僕の人生を、まともな物に戻すことの出来る、最後のチャンスかも知れない。
 これを逃せば、僕の今後の人生は終わりだ。社会に出れば虐められる。引きこもっていれば、このゴミの中で埋もれて行く。
 そんな未来しか、残っていない。

 そんな思考に加え、感情的な物も、僕を突き動かそうとします。

 兄が、若くして死んだという事実は、やはり僕の感情を大きく揺さぶっていました。
 ただしそれは、兄の死を強く悲しんだり、兄の為にも頑張って生きようと思ったり、といったものではありません。
 僕は余りに幼い。自分自身のことしか考えられないような人間です。 
 僕の心にあったのは、ただ、「恐怖」です。

 もし僕があんな病気になり、そして若くして死ななければならないとなったたら、僕は、一体どれだけの後悔を、無念を覚えるだろう?
 その時を想像するだけで、僕は強い恐怖を覚えるのです。

 その恐怖から逃れる為に、僕は強く思うようになったのです。生きている内に、元気な内に、やるべきことをやっておかねばならない、と。
 一度きりの人生、絶対に無理に見えるようなことでも、思い切ってチャレンジしなければならない、と。


 そうして僕は、葬儀の一か月後、ついに決意をするのです。

 大学の再受験をしよう――それも、理系学部の。

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