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ADHDが、長い旅で得た唯一のもの 【ADHDは荒野を目指す】
3-34.
――日本から、君宛てのお金が届いたよ。
その日、いつものように訪れた大使館で、メガネの大使館員がそう言いました。
僕は、思わず笑顔になります。
受け取ったお金は三十万円近くありました。親には二十万円でいいと言ったのに、それ以上に振り込んでくれた。
有難いと思うと共に、また無駄に負担をかけたと、少し暗い気持ちになります。
けれども、メガネの大使館員に借金を返済しても、まだまだ大量に残っている米ドル札を見ると、久々に気持ちが明るくなります。
さらにそこから、『帰国のための渡航書』の申請に必要だと言う証明写真を撮りに、大きなショッピングモールへと向かいます。
そこに車で僕を送迎してくれたのは、大使館で働いているという若い日本人女性。
日本人女性と喋るのは久々であり、かつ、僕は臭いだろうな、申し訳ないななどと思うと、かなり緊張してしまいました。
それでも、それなりに楽しくそのドライブを終え、僕は無事に証明写真を手にします――日焼けした、痩せこけた僕の写るその写真を大使館員に提出すると、続いて旅行代理店に向かいます。
代理店の店員と共に、出来るだけ安く、出来るだけ待ち時間の少ない、日本に帰ることの出来る乗り継ぎ便を探します。
小一時間ほどかけて、ようやく決まります。
二日後にルサカを発つ飛行機で南アフリカに飛び、そこで一泊。翌日の飛行機で香港に渡り、そこでも一泊。そして最後に、成田行きの飛行機に乗り込む、というルート。
代金を支払うと、その店員は言います――帰りのチケットはいらないのか、と。
ザンビアには戻って来ないのか? ここはいい場所だぞ、と。
戻らないだろうと僕は思いますが、軽く言います。
――戻れたら、戻るわ、と。
フライトチケットを持って、大使館に戻ります。
発行手数料、チケット、証明写真、そして既に実家から大使館あてにFAXをしてもらっていた戸籍謄本が揃い――ついに、『帰国のための渡航書』が発行されました。
それを眺めて――ついに旅が終わるという実感が、こみ上げてきます。
けれども、寂しさはありません。
逆に、これで無事に帰国出来る、という大きな安心感が湧いてきます。
全てを盗まれた時には、全てが終わったと思った。
逮捕を宣告された時には、もう僕は死ぬのかもしれないと思った。
それでも、僕はついに危機を切り抜けた――脱力感すら覚えます。
大使館を辞す際、大使とメガネの大使館員が、揃って僕を見送ってくれました。
――お陰様で本当に助かりました。命の恩人です。
僕は何度も頭を下げました。
そして二日後の昼過ぎ、ゲストハウスの前に、タクシーが停まりました。
僕を空港まで連れて行ってくれる車です。
購入したての小さなバッグを持ち、僕は立ち上がります。
マイベストフレンド――そう言って、ジョージが僕をハグします。
十日ばかり、数十分ばかり、話しただけのジョージと僕が、ベストフレンドである筈がない。
でも、僕も、ベストフレンドと言い返し、ハグし返します。
そして、タクシーの停まっている出口に向かおうとしますが――そこで方向を変え、プールサイドに向かいます。
いつものように、老人がそこで寝転んでいます。
僕が近づくと、老人は目を開けて僕を見ました。
――今から日本に帰る、と僕は言います。
そうか、と老人は言い、じゃあ、良い旅を、と言います。
僕は旅を終えたのだから、もう良い旅なんて存在しない――そう思いながら、僕も、良い旅を、と答えます。
この老人の旅も、終わっているのに。
僕がタクシーに乗り込むと、それはすぐに動き出しました。
ゲストハウスが背後に消えて行きます。
――社交辞令が言えるようになったな、と僕は思います。
まともな物を何一つ得られぬまま、気付けば全てを失ってしまった、このどうしようもない旅の中で、僕が得た唯一の物が――社交辞令を言うという能力だったとは。
情けないけれども――まあ、そんな物だと僕は思います。
今の僕は、そんな程度の存在だ。
でも、これから日本に戻り、しっかり生きて、もっと強くなって――そして本当にここに戻ってくればいい。
そして、良い友人を作り、良い旅をすればいい。
僕はきっと、そうなれる。
背後に流れて行く、緑鮮やかなアフリカの森を眺めながら、僕はそう強く思いました。
――長い長い旅が、そうして終わりました。
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