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好きな物を好きと言えないADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-13.

 タイのバンコクでもネパールのポカラでも、自分の無力さを思い知ることになった僕は、ネパールの首都カトマンドゥに移ります。

 そして、改めて考えます。

 自分は何をしたいのか、と。

 僕にあるのは、ただ外国で働きたい、という漠然とした希望だけ。
 けれども、そんな曖昧なものだけで通用するほど、世の中は甘くない。

 さらに言えば、再受験をして大学に入った時も、IT企業に就職した時も、ただ勉強をしたい、ただ周囲に認められることをしたい、という気持ちがあっただけ。
 「こういうことをしたい」という具体的な思いは、一切持っていませんでした。

 だからこそ、大学でも物にならず、会社もすぐに辞め、外国でも門前払いを食らうことになったのではないか。
 やはり、何か強い気持ちを持たないと駄目ではないか。その為には、やはり僕は、自分の本当に好きなことを、本当にしたいことを仕事にしなければ駄目ではないか。
 そうでなければ、強い意志を持って戦えないのではないか――ようやく、そう思ったのです。


 やりたい仕事はあるけれども、経済面や家庭の都合など、色々な都合でそれが出来ない。
 そういう人が多い中、僕はそもそも、「好きな仕事をしたい」というアイデアさえ持っていませんでした。
 それを可能にするための武器、「学歴」だけは持っていたくせに。
 ――余りに、愚かです。


 でも、それは仕方のないことでもありました。

 僕には好きな物は沢山ありますが――ゲームや漫画やら小説やら、現実逃避の為のものばかりです。
 勿論それらに関わることでお金を稼いでいる人はいますし、僕もそれは不可能ではなかったでしょう。学歴を活かして、ゲーム制作会社や、出版社などに就職することは出来たかもしれない。

 けれども僕は、一度たりとも、そういう世界に入りたいとは思わなかったのです。

 好きなことを仕事にしてしまうと、それを純粋に楽しめなくなるから――などという、賢明な判断があった訳ではありません。
 そういう分野に携わると、そういったものが好きであることを周囲に知られてしまう。そのことを、ただ恥じていただけです。

 幼いころから、自分の希望や本音を口にする――アニメが見たい、漫画を読みたい、ゲームをしたい等と言ってしまうことで、親に散々叱られ、馬鹿にされ、嗤われてきた。詰まらないことばかりする詰まらない奴だ――そう言われてきました。
 勿論彼らに悪意があった訳でなく、それが教育だと信じた上の行為です。実際そのお陰で、ある程度我慢することを覚えることが出来たのは事実です。ただ欲望に任せて道を踏み外すことがなかったのも、有難いことです。

 でも、それは同時に、自分の好きなものを口にしない、出来ない人間を育てることになりました。
 そしてさらには、プライドの高さの為に、自分自身、それが好きだと認められなくなるような人間を育てることになってしまいました。

 ゲームに熱中した後、ゲームばかりしている奴は時間を無駄にしていると馬鹿にする。
 小説を読み耽った後、小説ばかり読んでいる奴は世間知らずだと馬鹿にする。
 旅をした後、旅ばかりしている奴はちゃんと生きていないと馬鹿にする。

 そして、それでもそれらを欲してしまう自分自身をも、馬鹿にし始める。

 

 まるで、好きな女子に好きと言えず、逆にいじめてしまう小学生男子のようです。

 そんなレベルの精神年齢であった僕は、自分の好きなものを仕事にすればいいなどと考えることは、一切なかったのです。


 でも、二十七歳になり、幾つかの痛い思いをした僕は――やっとのことで、そこに思い至ります。

 やはり、好きなことを仕事にしなければならない、と。

 別段、お金が欲しい訳でも名誉が欲しい訳でもないし、モテたい訳でもない――いや、勿論それらはないよりある方が良いが、一切なくても、どうにか生きていける。

 ADHDである僕が欲しているのは、ただ一つ――退屈しない日々。

 変化に満ちた、わくわくするような毎日だけ。そんな日々を送りつつ、生活出来れば、それでいい。

 そこまでははっきり分かります。

 けれども、そこから先が分からない。
 どういう仕事をすれば、自分は毎日ワクワク出来るのだろうか?

 分かりません。
 少なくとも、自分の持つ知識内では、そんな仕事は一つも思い当たりません。

 外国にいても何も出来ず、何も思いつかない。でも、日本に帰る気持ちにもなれない――何もしたいことがないから。

 僕は、動けなくなってしまいました。


 そうして僕は、沈没をします。

 カトマンドゥの片隅にある安宿、一泊百円もしないベッドの上で、昼まで眠る。温かくなったころに起きだし、近くの食堂で五十円程のダルバート(ネパール式カレー)をかきこむ。夕方まで古本を読んで過ごし――日本人バックパッカーの多いその街では、日本語の古本ばかりを扱う店がありました――、夜になるとまたダルバートをかきこむ。

 そして夜中になると、宿の屋上に行く。

 そこでは、大勢の旅行者が車座になり、様々なことを陽気に話し合っています。国籍民族構わず、皆楽しそうに、色んなことを話し合っている。ギターを弾き始める人もいるし、太鼓を敲く男もいる。
 皆が思い思いに振舞っているお陰で、僕もさして気を張る必要がなく、適当なことを喋ることが出来ます。

 そうして夜更けまで過ごし、明け方に眠る。昼前にようやく目覚めて、食堂に向かう。

 そんな毎日です。

 毎日それなりに楽しいし、物価が安いお陰で殆どお金は減りません。素敵な沈没生活です。
 ――でも、心はすり減ります。

 折角のチャンスに満ちた若い時間を、無駄に失ってしまっている。
 そういう意識が、日に日に強くなります。


 やがて、ネパールを出なければならない日が近づいてきました。
 国際空港で発行された観光ビザの、有効期限の日が迫って来たのです。

 勿論、だからと言って日本に帰らなければならないわけではありません。
 一旦隣国のインドに出て、すぐにネパールに戻ってくれば、また観光ビザが発行されるのです。
 実際、そういう風に、物価の安いネパールで沈没生活を送っている旅行者は大勢いました。

 僕も、そうすることは可能だったのですが――でも、流石にそういう気持ちにはなれませんでした。
 日本を出て一か月以上。前の職場を辞めてから半年以上。これ以上旅をしていれば、僕の心だけでなく、履歴書にも大きな穴が開いてしまいます。

 何も見つからないけれども――そろそろ帰らなければならない。

 とりあえず日本に戻り、どこでもいいから就職しよう。そして二年間の実務経験を身に着けた上で、もう一度外国に出よう。

 とにかく我慢だ。

 深い溜息と共に、僕はそう心を決めます。

 

 ――けれども。

 そのビザの期限の日、僕は航空機の機上にはいませんでした。
 僕がいたのは、車の中――ランドクルーザーの中。

 チベットを目指す、道中にいたのです。

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