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犬のお陰で生活が変わったADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 8-25.

 ADHDであるために、日本社会に馴染めなかった僕は。

 バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
 その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。

 しかし、台湾人妻と離婚することになり。
 さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。

 それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
 大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
 一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。

 元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、完全な敗北。

 折しも、父の死という出来事もあり。
 それ以上の抵抗を諦め、心機一転、新しい生活を始めようと決め。

 穏やかな日々を得ますが。

 台湾も、コロナ禍に陥ってしまう。
 リモート以外の仕事がなくなった僕は、暇を持て余しますが。

 そこに、駐在員が台湾に置いて行かざるを得なくなった犬を飼わないか、という話が舞い込んで来ます。

 無理だ、と僕は思います。

 日本でよくあるような、住居の問題などではありません。
 台湾にて、ペット不可の物件など聞いたことがない。

 今のアパートでも、猫や犬の声が聞こえて来るのはしょっちゅうです。

 僕がそれを無理だと思ったのは、やはり、命を預かることへの恐れです。


 日本での話ですが。
 近年、車の中に子供を放置し、死なせてしまう事件が何件かありましたし。
 中には、それをしてしまったのが、父親であるケースもありました。

 そういう記事を読むたびに。
 そして、『この父親はわざとやったとしか考えられない』という言説や。
 そうでなくとも、『真剣に子供のことを考えていないからこういうことが出来る』『人間の心がない』などという、ネットの書き込みを見るたびに。

 心がキリキリ痛みます。

 僕はADHDです。
 ミスばかりする人間です。


 子供のころから、忘れ物や落とし物数知れず。
 大人になってからも、仕事も日常もポカは数知れず。

 果ては、ミスをしてはならないと、最大限気を張って、懸命に会社を回していたのに。
 結局愚かなミスから、何千万の資産も、それなりに大きな会社も、完璧に奪われたものです。

 どれだけ気を張ったとしても、子供を育てる際にも、必ず同じようなミスをするでしょう。


 日常のミスは無論のこと、資産や会社を奪われるというミスだって、まだ取り返しがつく。
 現に、それらを乗り越え、こうして生きています。

 けれども、育児のこういうミスは、絶対に取り返しがつかない。
 そういうことをしてしまえば、流石に、生涯自責の念は拭えないでしょうし。

 なお悪いことに、周囲の人々にも、理解はして貰えない――悪意ある行為だと思われてしまうだろうし、それに抗弁も出来ないでしょう。

 そんな地獄のような状況に陥りたくはない。

 だから、子供の命を預かるようなことは絶対にしない、と。
 そう決意を固めて、生きて来たのですが。


 父の死を契機にして、仕事への情熱が減退し。
 コロナを契機にして、仕事量自体が減った今。

 自分の生活から、随分とミスが減ったことに気付きます。

 予定のない日が多いのに。

 睡眠時間は確保出来ているし、食事もきちんと取っているし。
 部屋も、綺麗とは言わないまでも、一時間も掃除すれば人を呼べるレベルにまでなっている。

 かつての、様々なことに気を取られ、身の回りのことを一切出来なかったころからは、考えられないような状況になっています。


 そういう自覚があった時に、犬を飼わないか、という話。

 一旦は、無理だ、と思いましたが。

 しかし、そもそも僕は、犬猫は大好きです。
 それに、置いて行かれる犬が不憫で仕方がない。

 そして何より、何の変化も刺激もない日々に、かなりの退屈を感じている。

 人間の子供ではなく、犬であるなら、そこまでの責任はないし。
 そもそも、飛行機で輸送できるようになるまでの、期間限定であるなら。

 今の僕なら、何とか面倒を見きれるのではないか。
 僕も、流石にそれぐらいの成長はしているのではないか。

 そう判断した僕は、その犬を引き取ることにしたのです。



 そこから、生活が大きく変わりました。

 幸い、狭い部屋であるため、いつでも犬や犬の道具は視界に入るお陰で、食事や水の管理は大した負担ではありませんが。

 とにかく散歩に行かねばならない。

 しかし酷暑の台湾、暑さに弱い犬種であることもあり、太陽の出ている時間には絶対に不可能。

 そもそも、コロナ禍中ですので、日中に出かけるのも気が引ける。

 結局、夜中に散歩に出かけることになる。

 しかし、それだけで犬は満足しない。
 朝早くに催促され、結局、早朝にも出かけることになる。

 食事や睡眠も、その予定に合わせてとることになり。

 運動もかかさない、リズムある生活を送るようになったのです。

 それに加えて。

 台湾にはペット愛好家が非常に多く、公園で犬を散歩させている人は多く。
 それに、僕の連れているのが珍しい犬種である上に。
 そもそも、他人に声をかける時に、躊躇しない台湾人。
 しかも、コロナ禍のせいで、暇を持て余している人が多い。

 僕は、公園で多くの人に声をかけられるようになります。


 そうして、色んな人と話をするようになる。

 台湾にいながら、殆ど日本語ばかり使いで、日本人とばかり過ごしていた僕は。
 台湾在住十数年目にして。
 巣ごもりが始まり、犬と暮らすようになったことで。

 逆に、大勢の台湾人と知り合い。
 多くの話を聞くようになったのです。

 そしてその中。
 ――かつて台北に住んでいた、一人の日本人の少女に関する。

 心に残る話を、知ることになるのです。

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