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ADHDのモラトリアムと、その終わり 【ADHDは荒野を目指す】

 1-8.

 大学生になった僕は、地方都市での一人暮らしを始めます。

 家賃、月一万四千円。築四十年を軽く越える酷く老朽化した木造アパート。六畳一間、キッチンと和式便所はありますが、風呂はありません。壁は酷く薄く、隣家の物音は筒抜けです。エアコンなど勿論なく、実家で使っていたボロボロの扇風機と炬燵だけが頼りです。
 学費は支払ってもらっていましたが、仕送りは殆どない。かなりのアルバイトをしなければ、食べて行くことすら出来ない。

 そんな厳しい環境でしたが、そこでの生活はひどく楽しい物になりました。

 まず何より、僕は多くの友人を作ることが出来たのです。
 僕の入学したのは、国公立大学であるとはいえ、それほどレベルの高くない大学の、文学部です。 東大京大当たり前、しかも殆どが医学部等の理系に進む灘校とは、随分ことなります。
 多くはそれ程有能でも真面目でも金持ちでもない――僕同様に。その一部には、ひどい物忘ればかりしていたり、まともに他人と喋れなかったりするような、明らかに欠如した所がある――僕同様に。

 僕達はすぐに仲よくなり、共に自堕落な生活を送り始めます。
 夜、誰かの家に集まる。安い中華料理屋で夕食を取る。誰かの家に行き、朝までゲームに興じる。明け方、狭い部屋で適当に眠りにつく。昼過ぎに起きだし、牛丼屋で昼食を取る。それぞれアルバイトに行く。そして夜、また誰かの家に集まる。そんな毎日です。
 大学は滅多に行かない。勉強なんて殆どしない。本だって読まない。未来のことなんて考えないし、過去を振り返りもしない。
 友人達と僕は、ただただ笑って過ごしていました。

 さらに、僕には彼女が出来ました。同じ大学・学部の、かなりの美人で、スタイルの良い彼女が。
 
 勿論、僕等がそんな女性と付き合えたのは理由があります――彼女もまた、問題を抱えた女性だったからです。
 約束には平気で数時間遅れて来る。その場しのぎの嘘を頻繁に吐く。いつでも偉そうで異性同性問わず友人が少ない。そんな女性でした。
 彼女も僕同様、発達障害だったのかも知れませんし、ただ幼かっただけなのかもしれません。
 ただ、どちらにしても、彼女はそんな有様ですから、女性の中では常に孤立し、男性からは敬遠されていました。
 けれども、幼い僕には、それらが大きな問題には思えませんでした。むしろ、自分似た人間だと思え、共感を覚えます。
 大学入学後、急速に自信を取り戻していた僕は、彼女と知り合った数か月後には交際を申し込みました。孤独な彼女は、すぐにOKを出してくれました。
 そうして僕は、初の彼女を作ることが出来ました。

 それは本当に楽しい日々でした。素晴らしい、モラトリアムでした。

 そけれども、ついにその終わりの日が来ます。
 大学二年の成績発表の日、僕は、単位不足により留年措置、という通告を受けてしまうのです。

 必然的なものでした。
 遊びはこの上なく楽しいし、生活の為にアルバイトもしなければなりません。それに対し、大学の講義はひどく詰まらない――そもそも僕は娯楽小説が好きなだけで、文学が好きな訳ではありませんから。大学に行こうという気持ちには、どうしてもならないのです。
 テストそのもの以前に、出席日数が圧倒的に不足している。
 留年措置になるのは、当然でした。

 そしてそれを知った両親は、激怒をします。
 彼らは僕に電話をし、言いました。留年するような子供に支払うお金はない。もう今後一切学費は払わない、と。

 僕は窮しました。何とか親を説得しようとしましたが――うまく行く筈がありません。それまでの二十年の人生で、うまく親を納得させた経験など一度もないのです。
 しかも、「勉強しない子供に払う学費はない」というのは、完全に筋の通った言い分です――高校生までならともかく、もう僕は二十歳なのですから。
 僕はさして抵抗することなく、それを受け入れることしか出来ませんでした。

 そうして僕は、仕送りを止められました。
 もう、大学に通い続けることは出来ませんでした。学費の安い国立大学ですから、頑張れば自力で支払うのも決して不可能ではなかったのですが――学びたいことなど何一つない大学に行く為に、遊びを我慢してアルバイトを増やすことなど、到底出来ませんでした。

 僕はそうして、折角入ったその大学を、あっさりと中退したのでした。


 
 


 






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