見出し画像

チベット女性には食事を奢れない 【ADHDは荒野を目指す】

 2-35.

 このままでは、チベットの荒野の上に置きざりにされる。
 そんな恐怖心を覚えながらも、体の不調で動けなくなった僕は、坂の途中でしゃがみこんでしまいます。

 暫くの間茫然としていましたが、ふと人の声を聴いて我に返ります。顔をあげると、そこにデキが立っています。マスクをしているので表情は分かりませんが、彼女はあっさり僕の荷物を持ち上げると、坂の上に向かって歩いて行きました。

 助けに来てくれた。僕は急いで立ち上がります。デキはどんどん歩いて行きます。
 身軽になったものの、まだ頭痛や吐き気が収まったわけではない僕は、それでも懸命にデキを追いました。

 やがて上り坂が終わり、僕は無事にトラックに乗り込むことが出来ました。
 荷台の木材の上に横になる。目を閉じて揺れに身を任せていると、標高も下がり緑も見えて来たところで、少しずつ気分が良くなってきました。
 死なずに済んだ、僕はようやくそう思いました。

 昼過ぎ、トラックはそれなりに大きな集落に到着しました。
 荷台からゆっくり降りた僕は、自分の体調が回復していることを確認し、胸を撫でおろしました。
 一人旅の最大の難敵は体調不良です。同行者がいて本当に良かった、そう心から思いました。

 街には小さな食堂がありました。僕は四人組に声を掛け、中で食べよう、という身振りをします。
 四人は首を振ります。いつものように、ビスケットのような携行食を取ろうとする。僕はそれを押しとどめ、現金を出しながら、僕が支払う、と繰り返します。暫くしてようやく僕の意思を理解した彼らは、笑顔になり頷きます。
 僕は勇んで食堂に入りました。しかし、男性二人は共にテーブルについたのですが、女性二人がついてきていません。トイレにでも行っているのかな、そう思うのですが、いつまで待ってもやってこない。
 その内に、タシとタシゲレが勝手に注文をしてしまいます。そして幾つもの皿がやってくる。それでも女性は入って来ない。どうしたんだろう、不思議に思いながら外を見て、ようやく事態を理解します。
 デキとドルカルの女性二人は、トラックの荷台から木材を運び下ろしているのです。
 また女性だけが働いている。僕はその事実にまた驚き、そして手伝いをしない自分に忸怩たるものを覚えながら――でも体調不良で倒れたばかりなんだから仕方がないと言い訳しながら、仕事を終えた女性二人が来るのを待とうとしました。
 けれども彼女達は店に入って来ない。トラック脇で、携行食を口に運び始めるのです。
 タシとタシゲレは、上機嫌で料理に食らいついているのに。

 そう言えば、同じような状況が何度もあったな、と僕は思い出します。
 チベットに入ったばかりの時、僕は何度かバスに乗りました。バスは必ず、昼に食堂の前で停まります。その際、食堂に入るのは、男性ばかり。女性達はバスに残り、携行食を食べるだけです。
 それはチベット族に限った話ではなく、暫く同行していた漢民族夫婦の場合でもそうでした。運転手二人と夫、そして僕の四人が食堂に入っても、妻一人は車から一歩も出ない。

 どういう理由でそういう文化があるのかは分かりませんし、それに文句をつける資格もありません。
 ただ、実際によく働き、僕の荷物を持ってくれた女性陣ではなく、煩く燥ぎ回る男性陣だけに昼飯を奢るというのもちょっと不愉快だな、と思うのはどうしようもありませんでした。


 昼飯を終えてトラックに戻ります。
 そして荷台の上を見て僕は少し驚きました。そこにはもう、木材が一本も残っていないのです。
 タシやタシゲレは勢いよくその荷台に飛び乗り、空になった荷台の上を走り回ります。
 これはいい、僕は思いました。どうやらここから先は、ラサまで、僕達五人を運ぶのためだけに移動するようです。荷台は軽くなるのでスピードも出るでしょう。そして僕達は、空の荷台の上で伸び伸び手足を伸ばせる。かなり快適な移動になりそうです。

 やがてトラックが動き出します。心なしか、今までよりずっと快調に走っているように思える。
 ゴールのラサまで、残り六百キロ程度。今まで同様、平均時速二十キロ程度で、一日十時間走るとすれば、三日もあれば到着するでしょう。それが、さらに軽量となり、道も良くなるとすると、下手すればもっと早くなるかも知れない。
 ラサは、大都市だと聞きます。有名な城や寺だけでなく、綺麗なホテルもレストランもある。何より外国人がいても問題のない場所。
 そんな場所に、あと少しで辿り着ける。
 風を切って走って行くトラックの荷台の上で、意気が上がります。


 ――けれども。
 走り出してすぐに、トラックは停まりました。
 そして、道端に居る人と運転手が会話を始めます。暫くして話が決着したのでしょう、会話が終わった途端、道端の人々が車体に手をかけ、荷台に登ってきたのです。

 泥だらけのチベット族の衣装に身を包んだ、老若男女の混ざった十人程の集団です。間違いなく巡礼者達でしょう。歩いてラサに向かっていたが、良いトラックが通りかかったので乗り込んだ―――そんなところでしょう。

 タシとタシゲレは、早速その集団の若者達と打ち解けて、共に燥ぎ始めます。デキとドルカルも、集団の女性達と何かを話し始めている。

 僕もまた、すぐ前に座った老婆と孫娘らしい二人と、笑顔を交わし合います。多少随分と狭くなったものの、賑やかになったのは悪いことではない。それに、人の良いチベット人達、僕を助けてくれる人が増えたと言ってもいいでしょう。

 ――そんな呑気なことを思っていられたのも、ほんの数分だけのことでした。

 トラックはその後も、頻繁に停車するのです。その度に、道端で歩いている、或いは休憩している巡礼者達に声を掛ける。そして恐らくは相当に安い料金なのでしょう、その殆どが話を終えると、荷台に乗りこんで来るのです。

 狭い荷台は、瞬く間に人で溢れ返りました。
 前後左右全ての方向から圧力を受けて、体のあちこちに痛みが走ります。僕は懸命にもがいて少しでも楽な姿勢を取ろうとしますが、そんなことは不可能です。腕も足も、まるで動かない。僕はただ懸命に堪えるしかありません。しかも車体は激しく揺れる――酷い時には、何十人分も体重がのしかかって来る。

 中学生の頃に体験していた、昭和の通勤ラッシュを思い出します。揺れる車内で押しつぶされそうになっていた毎朝のことを。
 それから十数年後の僕は、国鉄の車内ではなくトラックの荷台の上で、スーツ姿のサラリーマンではなくチベットの民族服に身を包んだ巡礼者に、押しつぶされそうになっている。

 僕は悲鳴を上げました。

 

 


 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?