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ノーベル賞受賞者に頭を下げられるADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 8-17.

 ADHDであるために、日本の社会になじめなかった僕は。

 バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
 その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。

 しかし、台湾人妻と離婚することになり。
 さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、台湾人部下の裏切りに遭い、三千万円を超える資産や、会社の権利、住居等、全ての物を奪われてしまう。

 それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
 大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
 一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。

 そんな中、亡き父からの一千万円もの遺産を受け取った僕は。
 それを全額、京都大学にある、とある研究所に寄付することを決意します。

 寄付を行ってから数日後、研究所から連絡が来ました。

 所長秘書を名乗る女性からのもので。

 ――所長が直接お目にかかってお礼をしたいと申しているので、時間のある時でいいので研究所までご足労願えないでしょうか。お時間があれば、その際に研究所の中も案内します、と。

 普通であれば。
 寄付に関してこういった話になっても、絶対に断ろうと思っていました。

 相手が初対面でなくとも、中々うまく話せないADHDです。

 ましてや、先方が僕に頭を下げることが確実な状況。

 他人に感謝されることにまるで慣れていない僕は、そういう場面でどう振舞えば良いか全く分からない。
 確実に、挙動不審になる。

 実際、帰国子女を多く入学させたい日本の私立高校の教師などが、営業の為に台湾の塾を訪問することは多く。
 その際、台北の大きなレストランで、僕が接待されることもままあったのですが。
 ――若いのに本当に立派で。
 ――本当に素晴らしい方だと評判は耳していて。

 五十代、六十代の貫禄ある教師達から、そんなあからさまなお世辞を聞かされると。
 途轍もない、居心地の悪さを感じたもので。

 しかも僕は、どれだけ訓練しても、箸すらまともに持てない不器用な人間で。
 相当に意識していなければ、基礎的なテーブルマナーさえ守れない人間で。
 ちゃんとしたレストラン、という場所はただただ苦手。

 それは、ただただ苦痛に満ちた時間でしかなかったのです。


 ――ですが。

 この研究所の所長とは、ノーベル賞受賞者で。
 テレビを初めてとしたさまざまなメディアに出ている人で。
 学校の教科書にも数多く登場する人で。

 そんな人に、会うことが出来る。
 これは、かなり魅力的な話でした。

 相手がそこまで偉大な人物であれば、僕が挙動不審になったところで、特におかしなことでもない。
 それに、会食ではないから、失敗する可能性も低くなる。

 僕でも、それなりに話せるのではないか。
 そして、何か刺激を得られるのではないか。

 ――そもそも、あの人に会ったことは、自慢にもなるし。

 そう、思ったのです。


 かくして。
 僕はそれに応諾の返事を出し。

 スケジュールをすり合わせて。
 その年の二月、台湾が旧正月休みに入ったタイミングで日本に行き、京都大学を訪れたのでした。

 約二十年ぶりに足を踏み入れたその大学は。
 特に何も変わってはいないように見えますが。

 ただ、冬の盛り。
 熱帯に住む僕は、まともなコートも持っておらず。
 寒さに震えながら、枯れ木の間をひたすらに歩き。

 目的の研究室へと到着します。

 そこでは、所長秘書である中年女性が待ち受けていて。

 所長との面会の前に、研究室全体を案内してくれました。


 何千万円もする装置がずらりと並び。
 吹き抜けになっている各階を、螺旋階段がつなぎ。

 大勢の白衣を着た研究者達が、活発に意見交換を行っているかと思えば。
 ディスカッションルームで昼寝をしている白人女性もいる。

 かつて僕が憧れた、アカデミックな空間で。
 今の自分が、そこから余りに遠く離れた場所にいることに、胸が痛みますが。

 それは、ほんの少しだけ、です。

 何せ、僕が最大限頑張っても、大学入試レベルまでのペーパーテストに対応するのが限界。
 ADHDの僕には、研究者としての勉強――先行研究をしっかり調べ、膨大なデータを集め、丹念に検証し、精密な論文を書く――そんなことが、出来る筈もなかったのですから。


 そして、一通り見学が終わったところで。
 いよいよ、所長との対面です。

 彼は、テレビで見たまんまの、丁寧で気さくな人物で。

 穏やかな微笑みを浮かべながら、僕にお礼を言います。

 ――多くの方にご協力をいただいておりますし。
 ――製薬会社等からの寄付金も、勿論心から有難く思うのですが。

 ――べいしゃん様のような、利害関係がない一般の方こそ、私共の研究の、本当の理解者でいらっしゃると思います。
 ――本当に、ありがとうございます。

 そう言って、彼は深々と頭を下げます。

 違う、と僕は思います。
 僕は、その研究に対しても、この所長に対しても、深い理解はしていません。

 ただただ、僕の通っていた京都大学で、最も注目されている研究所であって、医学に関係する研究を行っている場所であったから、そこを選んだだけの話。

 それでも、流石にそんなことを口にするほど、僕ももう若くはなく。

 ニコニコしながら、有難うございます、というお礼を述べます。


 そしてすぐに、あっさり会話は途切れます。

 製薬会社の人間でもなければ、医学に携わってもいない――そもそも何者であるかも良く分からない相手である僕に対して、所長は何を語りかけて良いものか分からないでしょうし。
 僕は僕で、こういう席上でうまい話を出来るような人間ではない。

 少し気まずい時間が流れます。

 辛うじて。
 京大の総長カレーなるものが大好きであることだとか。
 息子も娘も医学部に進んだ、だとか。
 アイドルでは嵐が一番好きだ、だとか。
 友人であった平尾誠二氏との逸話、だとか。

 台湾に何度来たことがあるか、だとか。

 そう言った、他愛もない話をしたところで、所定の三十分が過ぎ。

 笑顔で写真を撮り、握手をし。
 エレベーターまで見送ってもらい。

 再度、所長が頭を下げ。

 ――また京都にお越しの際は、是非声をおかけください。

 そう言った言葉を背に、僕は、研究所から出ます。

 そうして、一千万円で買った三十分が、終わりました。

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