ネパールでも門前払いを食らうADHD 【ADHDは荒野を目指す】
3-10.
ネパールのポカラという街の郊外、草むらの中にある小道を抜けたところで、その学校が見えてきました。三階建ての、レンガ造りの建物です。
四年ぶりに訪ねる学校です。多少の懐かしさを覚えますが、同時に違和感も覚えます。
改めて見直してみて、その感悪の理由が分かりました。
看板がありません。
かつてその建物の前には、Kawami Education Center――川上教育センターという、大きな看板が掲げられていました。川上というのは、勿論そのフリースクールを作った人物の名前です。
その看板が外されている。
途上国の情勢というのはとかく不安定な物です。それに、そこの経営がかなり苦しいことは、かつて川上からも聞かされていました。
まさか廃校になったりしていないだろうな――少し不穏なものを浮かべながら、僕は学校に近づきました。と、中から子供達の声が聞こえて来ます。大丈夫、学校はちゃんと経営されている。僕はホッとして、その学校に近づきました。
突然、頭上から声が降ってきました。
――誰だ?
驚いて振り仰ぐと、屋上から一人の男性がこちらを見下ろしています。
逆光である為に中々分かりませんでしたが、暫く眺めている内に、ようやく僕は彼のことを思い出します――アグニだ、と。
アグニというのは、この学校の現地校長を任されている、ネパール人青年です。
かつて、川上が、この街で教師をしているアグニに出会ったことが、このフリースクール創設のきっかけとなりました。
そもそも本来、フリースクールとは、日本で言うような、不登校の子供の為の学校ではありません。
文字通りの意味、つまり「無料の」学校です。
その時アグニは、川上に言ったのです。
勿論公立の小学校の学費は無料だが、多くの子供達は、制服も筆記用具も買えない。そもそも六歳にもなれば、畑仕事などの労働力として計算されてしまう。だからどの家庭でも、子供を学校に通わせようとはしない。
その結果、子供達は教育のないまま成長し、子供の頃と同じような肉体労働しか出来ない大人になってしまう。だから、いつまで経ってもこの国は貧しいままだ、と。
それを聞いた川上は、即座にそのフリースクール設立を決断します。
どんな子供達でも通えるよう、服も筆記用具も無償で提供し、さらにネパールの他の学校ではまず存在しない、「給食」まで提供する。
それらを売りに、川上とアグニは、近隣家庭に足を運び、教育など不要、と考えている親たちを必死に説得して回りました。結果、何とか数十人の生徒を確保、無事にそのフリースクールは開校できたのでした。
学生時代、僕がその学校を訪れたのは、開校してまだ一年も経っておらず、教師はアグニを含めて三人しかいませんでした。アグニは校長として、かつ唯一指導経験のある教師として、忙しく働いていました。
僕は彼と会話をすることは殆どありませんでしたが、その熱心な仕事ぶりは、強く印象に残っていました。
アグニか、と僕は尋ねます。
――誰だ?
アグニは同じ言葉を繰り返します。僕のことを覚えていないのでしょうが、それにしても、心なしかかなり鋭い口調に思えます。
川上さんはいるか、と僕は急いで尋ねます。
――川上に何の用だ?
やはり口調は険しい。表情も然り。それに押されて僕は、自分は川上の知人の日本人で、彼に会いに来ただけだ、とまるで言い訳でもしているかのように早口で答えます。
――川上はここにいない。日本だ。
アグニはそう言って、僕をじっと眺めます。
僕は失望を覚えます。
とはいえ、予想は出来ていたことでした。
川上はいつでもネパールに居る訳ではありません。日本で会社を経営していますし、かつ、この学校を運営するための寄付金集めの目的もあり、年の三分の一ほどは日本に滞在していると聞いていました。
じゃあ、川上さんはいつ頃ここに戻って来るのか、と僕が尋ねると、分からない、とアグニは即座に答えました。
参ったな、と僕は思います。
ここで川上に頼み込んで、学校運営を手伝おうと思っていたのです。勿論無償ですが、十分な経験にもなるし、ネパール語も覚えられるだろう、と。
しかし、当の川上がいない。
こうなると、アグニに頼むしかありません。
少し君と話をさせてくれないか、と僕は言います。
けれども、アグニは即座に首を左右に振りました。
――駄目だ。お前は川上の友人だろう?
僕の顔を覚えていたのか、それともただ日本人だと分かったからそう言ったのか、そこは分かりませんが――僕は驚きます。
このフリースクールのオーナーである、川上の友人だと思われる相手なのに、どうして拒絶するのか。
おかしい、と僕は思います。
そういえば、そもそも――かつて僕がこの学校を訪ねた時、アグニを含めて、皆が皆フレンドリーでした。とにかく、寄付金を集めなければやっていけない学校です。見学者はいつでも大歓迎で、観光地にほど近いお陰で、ふらりとやって来た外国人達に対しても、満面の笑みで応対していたアグニの姿が、僕の記憶にもはっきり残っています。
この豹変ぶり。
一体どういうことなのか、僕にはまるで理解は出来ませんでした。
ただ、もうここにいてはも意味がないことだけは分かります。アグニの刺すような視線も怖く、そわそわしてしまう。
OK、分かった、有難う。
それだけ言って、僕は振り返り、歩き出しました。
返事もありません。数歩歩いたところで、ふと気になって振り返ると、やはりアグニはかなり険しい表情で、僕を見つめています。
どうもおかしい。何かが起こっている――街に戻った僕は、急いで川上と連絡を取ることにしました。
しかし、電話は出来ません――電話番号が分からなかった訳でも、僕が電話が苦手であるせいでも、国際電話代をケチったからでもなく、他にちゃんとした理由があるのですが――とにかく、電話は不可能です。
ただ、幸いなことに、ちょうど、インターネットが急速に広まり始めた時代です。スマートフォンやWi-Fiなどはまだ存在しませんが、それでも、世界各地にインターネットカフェが設立されるようになっていました。
僕もまた、フリーメールアドレスを持つようになり、旅先においても、時折そういうカフェで、知人と連絡を取り合ったりもしていました。
ネパールのポカラにおいても、インターネットカフェがありました。街に二つだけ、それぞれ使用料はひどく高いものではあったため、貧乏旅行者の僕にはそうそう利用できる物ではありませんでした。
それでも、アグニの奇妙な振る舞いが気になって仕方のない僕は、カフェに向かい、川上に向かってメールを書きました。
翌日朝、再度カフェに行きインターネットに接続したところ、期待した通り、川上からの返信がありました。
そこに記されていた内容を読んで、僕は愕然とします。
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