観光も出来ないADHD 【ADHDは荒野を目指す】
3-15.
津村と僕の旅が始まりました。
タクラマカン砂漠を、西に向かって突っ走る日々です。
ラサから夜行バスに乗り二日、ゴルムドという街に着く。そこで食事だけをして、再度夜行バスに乗り、敦煌に到着します。
読書家だった僕は、井上靖「敦煌」という小説が大好きでした。
しかし、莫高窟や美しい砂漠を目の当たりにしても、それほどの感慨を覚えたりはしません。
酷い暑さ、積もった疲労、服に入る砂、飛び回る蠅、漂う悪臭、観光客目がけて殺到する物売り、周囲への警戒心。
それらの不快さに気を取られてしまい、目の前の物に集中が出来ないのです。
敦煌から先は、鉄道に乗ります。
トルファンという街にて火焔山なる山、三蔵法師も滞在したという古城を見た後、さらにウルムチにて天池なる評判の高い湖を見ます。
その時も、さして心は動きません。
プロが美しく描いた小説、或いはプロが美しく撮影したテレビ映像。そんな物を、エアコンの効いた清潔な部屋で、耳障りの音楽でも聴きながら眺めている方が、現実の風景よりも深く心に染み込んでくるのです。
こういう時には、守られた環境で快適に観光出来る、ツアー客の方が良いなぁ、と思わなくもない。
それはそれで、集団行動であるが故の様々な気がかりが発生し、楽しめないことも多いのでしょうが。
僕達はさらに鉄道に乗り、中国の西の果て、カシュガルの街に到着します。
そこで鉄道旅は終わり、バスに乗り込むことになります。
この頃になると、周囲に漢民族はいません。ウィグル族、タジク族など、如何にもイスラム教徒らしい陽気な男性達が、何かと僕達の面倒を見てくれます。
カラコルムハイウェイなる、中国からパキスタンへとつながる高速道路を、バスは突っ走ります。
二千、三千、四千メートルと、どんどん標高は上がって行きます。
けれども、チベット旅の時と違い、体には何のトラブルも起きません。
数週間前までずっとチベットに居て、高度順応が済んでいたお陰でしょう。
また、山間の道、非常な高地でありながら、外交戦略上の要地であるからでしょう、道路は想像以上に整備されており、バスが揺れることも少なかったお陰もあるのでしょう。
さらに、津村という同行者がいるため、必要以上に身の安全に気を配る必要もない、という安心感も、良い方向に作用したのでしょう。
そして僕達は、標高五千メートル弱、クンジュラブ峠に到着。バスを降りて、中国パキスタン国境を無事に通過。
そして国境で一泊後、新しいバスに乗り込み、数時間道を下ったところで、フンザという村に到着します。
小さな村ですが、風光明媚で気温は冷涼。
物価も恐ろしく低く、一泊も一食も、五十円程度で済みます。
街の中にはそこらじゅうに杏がなっており、適当に摘んで食べても構わない。
人々はとにかくフレンドリーで日本好きで、いつでも笑顔で迎えてくれる。
イスラム教であるのに、穏健な宗派であるために、女性も顔を出して歩いている。
そしてひどい僻地である割に、バックパッカーには非常に有名な土地であるお陰で、それなりに他の旅行者がおり、楽しい話し相手になる。
昼まで寝て、食事をし、適当に散歩し、夕方食事をし、後はただテラスのリクライニングチェアに横になり、星空を眺めて過ごす。
しょっちゅう停電になるその村では、夜間は完全な暗闇になる。流れ星は勿論、人工衛星だって見える。
そんなものを見ながら、津村や他の旅行者と色んな話をする。
普段色んなことを気にしすぎる僕が、何も考えない。
常に過去への悔恨や将来への不安を抱えている僕が、穏やかでいられる。
他人に勝とうと常に焦っている僕が、誰とも競わない。
僕は、そこに沈没をしました。
時間が過ぎ去って行きます。
その間、他の旅行者は去って行き、また新しい旅行者が現れ、また去って行きます。
津村もまた、他の旅行者について、インドの方へと去って行きました。
それでも、僕はそこを動きません。
気付いた時には、一月が経っていました。
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