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大正期の台北に消えた日本人少女 【ADHDは荒野を目指す】

 8-28.

 ADHDであるために、日本社会に馴染めなかった僕は。

 バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
 その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。

 しかし、台湾人妻と離婚することになり。
 さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。

 それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
 大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
 一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。

 元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、完全な敗北。

 折しも、父の死という出来事もあり。
 それ以上の抵抗を諦め、心機一転、新しい生活を始めようと決め。

 穏やかな日々を得ますが。

 やがて台湾も、コロナ禍に陥る。
 リモート以外の仕事がなくなった僕は、暇を持て余してしまいます。

 そんな中、近所の公園で、日本人少女が祀られているという、『陰廟』を発見。
 孤独な魂を祀るという陰廟に、心を惹かれた僕は。

 暇に飽かせて、そこにいるという日本人少女について、調べてみることにします。

 台湾人女性から聞いた話では、その少女のいたのはかなり昔、日本の統治時代のことらしく。

 相当に難しいことに思われましたが。
 一方で、プライバシーなど関係のない、古い時代の話ですし。
 さらに、その古い話が現在まで伝わるということは、当時ではかなり有名な話だったのではないか。

 普通の病死ではなく、事故死など、何か事件になった話の可能性が高い。

 そう思い、古い出来事を扱う、台湾のサイトを色々と漁ってみると。

 思いがけないほど早く、それらしい記事に行き当たりました。  


 勿論、統治時代の古い記事ではなく。
 統治時代にあった有名な事件を、当時の新聞記事などを元に、編集したもので、すごく読みやすいものでした。

 ――ざっと翻訳すると。

 1925年七月十日、南門に住む中山富次郎の長女で、九歳の少女・美枝子が学校から帰って来ないと騒ぎになります。
 終業式の日であり、下校時刻は朝九時半。しかも学校から家まで、徒歩十分。
 迷子になる筈もない。
 友人達も、共に下校し、彼女の家の見える所でサヨナラと言って別れたという。
 寄り道をした形跡もない。

 どこに行ったのか、誰も分かりません。

 警察や、父親の勤める専売局の人々、近所の人々も含めて、大勢の人々が周囲を探し回ります。
 しかし、翌日・翌々日になっても、少女の姿は見当たりません。

 そこで人々は、池に注目をします。

 当時、台北市内とはいえ、その一帯は、未だ開発が進んでおらず。
 魚を養殖する池や、貯水池も多く。
 子供が溺れる事件も時折発生していたのです。

 そこで、専売局の労働者達が、周囲の池の中を徹底的に探しますが。
 美枝子の形跡は、どこにもありません。


 日本人の少女が失踪した。
 世間は、大騒ぎになります。

 失踪三日目、新聞社が、新たな説を唱えます。
 美枝子は、池ではなく、水路に落ちたのではないか。
 そして、その小さな体は暗渠を通って川に入り、さらに士林あたりまで流されたのではないか、と。

 確かに、友人たちが美枝子と別れた場所から家までの、ほんの数十メートルの間に、蓋のない水路があります。
 そしてその水路は、川までつながっている。

 しかも、その士林にて、渡し船の漕ぎ手が、子供の死体らしきものが流れて行くのを見た、という証言が得られます。

 警察は、その可能性を認め、大急ぎで、士林のあたりの川を捜索します。

 そしてそこで、確かに子供の溺死体を発見しますが。
 ところが、これは、全くの別人。
 呉という、九歳の台湾人の子供でした。

 池にも川にも、美枝子はいない。

 と、なると。
 美枝子の両親は、誘拐の可能性を口にします。

 両親がそう言い出したのは、そうであれば、まだ生きているという希望も持てるから、だけではなく。
 当時、その付近で、日本人の子供が、怪しい男にお菓子を餌に誘拐されかけた事件があり。
 また、別の男が、バナナで少女を誘拐しようとした出来事もあった。

 美枝子の知り合いであれば、彼女を連れ出すのも出来ただろうと、警察も、その可能性を認めたのですが。

 ――けれども、怪しい人物が見つかりません。


 捜査は、暗礁に乗り上げます。


 それでも美枝子の両親は、一貫して娘の生存を信じて。

 普段日本人は行かない、台湾人が参拝するだけの、艋舺(モンガ)祖師廟に行き。
 許可を得て、そこの神像を持ち出して、周辺を歩き回り。
 かつ、有名な道士に、祈りを捧げて貰い。
 美枝子の所在地のお告げを待ったのですが。

 どこにも、美枝子は見つかりませんでした。


 失踪から12日過ぎた22日。
 警察は改めて、美枝子が水路に落ちて川に流された可能性に注目。
 周囲の警察署と合同で、水路や川を捜索し直します。

 そして、ついに。
 ある暗渠で、美枝子の履いていたものによく似た靴を発見。
 捜査員の士気は上がり。
 翌23日、早朝から捜査は再開されますが。

 暗渠は、通気性がひどく悪い上に、腐敗ガスも溜まっている。
 しかも、捜査員は、左手に蝋燭、懐に懐中電灯を持ち。
 泥濘を掘るための分厚い服を着ている。
 相当に厳しい環境であり。

 午後には、ある保安課長が、呼吸困難に陥り、昏倒。
 どうにか無事に救出されましたが、危うく犠牲者を生むところでした。

 それでも、その七月中、連合捜索隊が水中を徹底的に調べたのですが。
 依然、どこにも手掛かりが見つからない。

 八月。
 電器関係の日本人ビジネスマンの次女が、夜遅くまで帰宅しない、という出来事が起こります。
 「美枝子事件」がまだ大騒ぎの中。

 両親は大慌てで警察に通報。
 「第二の美枝子事件が起こった」と大騒ぎになり。
 警察や隣人たちを中心に、周辺で大捜索が行われましたが。
 やがて、友人の家で夢中になって遊んでいた少女が発見され。
 人々は大いに安堵しました。


 ――しかし、美枝子は見つからないまま。

 時だけが過ぎて行きます。

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