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思いあがったADHDの就職活動 【ADHDは荒野を目指す】


 3-1.

 チベットの旅を終えて日本に戻った僕は、大学生活に戻りました。

 以前と変わらず、自堕落な日々を送ります。
 出来る限り講義をサボり、全く勉強せず、アルバイトとゲームばかりをして過ごす日々に。

 それでも、明確に変わったことはあります。
 僕は自信に満ちていました。

 何せ、あの過酷なチベット旅をやってのけたのです。
 ただでさえ京都大学に通っているのです。勉強も出来る上に、タフでもあるのです。
 大学の勉強に全く着いて行けないことも、ろくに友人がいないことも、全て意識から外れ、僕は、自分が誰よりも優秀な人間であるように思うようになりました。

 ついには、そんな僕を認めない周囲の連中は間違っている――そんな意識を持つようにすらなっていました。

 アルバイトの採用面接において、撮りに行くのが面倒だというだけの理由で、顔写真のない履歴書を提出したところ、それだけで門前払いになった――そんなときにでさえ、『些細なことにこだわったせいで、有能な人物を採用し損ねた馬鹿な会社だ』と鼻で嘲笑う。
 そんな有様でした。

 やがて、大学四年になります。いよいよ進路を決めなければいけない時です。

 理系の学部にいるため、周囲の多くは大学院に進みます。
 けれども、僕にはそれが出来ません――学力が足りないだけではありません。学問に対して、何の興味も持てないからです。

 仕方のないことです。僕は何か学びたいことがあって大学受験をしたのではない。入学後も、授業は理解出来ていないし、そもそも旅ばかりして出席自体が少ない。
 興味を持つ以前のレベルで、大学院なんてとんでもない。

 となると、就職することとなります。
 友人が少なく、就職情報も殆ど得られない。それに、ADHDであるが故に計画的に動くことも出来ない。
 そんな状況ではありましたが、それでも僕には十分な余裕がありました――何せ、僕は優秀な人間なのですから。

 僕は就職希望先を、JICA一本に絞りました。
 JICAとは、開発途上国への国際協力を行う、外務省の外郭団体です。

 ――途上国が抱える課題に向き合い、その原因を分析して解決策を見出し、様々な人やリソースをつないで途上国と共にプロジェクトを動かす。

 そんな紹介文を読んだ僕は、ここなら、有能かつタフな僕にぴったりだと思い、意気揚々とエントリーをします。

 けれども、結果は――見事に不採用でした。
 学力と書類審査の一次試験はどうにか突破したのですが、東京での二次試験にて、あっさりと落とされてしまいました。

 敗因は、面接です。
 なにせそれは、面接官五人に対して、僕一人という状況だったのです。

 ADHDであるが故に僕は、周囲のことを気にしすぎ、そのせいですぐにパニックに陥ってしまう人間です。
 質問内容をしっかり理解して、適切な応答を考えつつ、五人もの人間の様子をうかがう――そんなことが出来る筈もありません。
 受け答えに必死で貧乏ゆすりをしているのに気づかなかったり、相手の言葉を遮ってでも思いついたことを喋り出したり、話しているうちにテーマがどんどんずれて行ってしまったり。

 自覚はありませんが、僕の面接はおそらくそんな有様だったのでしょう。面接後、案内をしてくれた若手社員に、「随分緊張していましたね」と言われてしまったほどですから。


 JICAの採用試験に失敗した僕は、ひどく落ち込みます。
 それでも、まだ六月。まだまだ新卒募集をしている会社は多い。

 そして僕は、アメリカの大手IT企業の孫会社にあたる、日本法人の求人に応募します。
 コンピューターにさして興味があった訳ではありません。ただ、名前の通った大企業である――そこに惹かれただけです。

 一次試験は、面接官一人に学生五人。気にしなければならない相手が一人だけである上に、他の学生が質問に答えている内に自分の頭をまとめることが出来る。ADHDであっても、どうにか対応できるような状況でした。
 僕はその面接をうまくやりぬき、無事に合格通知を貰います。

 二次試験は、プロジェクターを使い、大学で学んだことをプレゼンする、というものでした。
 これもまた、悪くない舞台でした。受け答えは不要、ただ僕が一方的に喋れば良い、という状況も良いものですが、それ以上に、部屋が真っ暗になる為、面接官の視線を殆ど気にしなくて良い、というのは本当に有難いことでした。
 僕は堂々とそれをやりぬき、そしてこの試験も突破します。

 この時点で、僕は自分の採用を確信します。
 何せ残るはあと一つ、形式的なものだと言われる――つまり、殆ど落ちる人がいない、三次試験だけなのです。

 そして関東の本社にて、三次試験が行われました。
 面接やグループディスカッション、適性試験などがありましたが、全て入社後の配属決定の参考にするだけで、採否の判定材料にはしません、と社員側も断言していました。僕はリラックスをし、そこで堂々と振舞うことが出来ました。
 そして京都に戻り、自信満々で採用通知を待ちます。

 ですが、一週間後にやってきたのは――不採用通知でした。

 僕は茫然とし、そして怒り狂います。
 三次試験は形式的なものだというのは嘘だったのか? いや、仮にそうだったとしても、どうして彼らは僕の優秀さを見抜けないんだ? どうしてそんなに愚かなんだ?

 そんなことを思いはしたのですが――一方で、もしかしたら、他に原因があるのでは、と思わなくもありませんでした。

 僕はその会社に、必要書類の一部を提出していなかったのです。
 ――健康診断書です。

 それを提出しなかった理由は単純です。最初に提出しなければならない履歴書や成績証明書などと違い、健康診断書に関しては、「提出は後からでも構わない」と募集要項に明記されていたからです。

 愚かな僕は、それを、「提出はいつでもいい」と解釈していました。
 でも、採否を決める書類なのだから、最悪でも三次試験までには提出しなければならないのではないか――そう思わなくはなかったのですが、そんな考えはすぐに振り払いました。

 何せ僕はADHDです。
 面倒なことが大嫌いで、出来る限り後回しにする人間です。

 大事な就職の為に、大学の医学部に行き、それを受け取り、送付するだけ――その程度の手間をかけることすら、当時の僕には出来ませんでした。


 勿論、それだけが不採用の原因ではないかも知れません。でも、間違いなく決定打にはなったでしょう。
 いつまで経っても必要書類を提出しない学生など、どれだけ有能そうであったとしても、採用など出来るはずない。入社後、確実に同じようなことをするでしょうから。

 そうして僕は、またも就職に失敗します。
 既に秋が近づく中、僕は大いに焦り始めます。


 それでも、京都大学という看板は、有難いものでした。

 いわゆる秋採用にて、必死の活動を繰り返した挙句、僕はどうにか一つの会社の内定を得ることが出来ます。
 大手ではない、それでもその頃急成長を続けていた、IT関連のベンチャー企業です。

 大手企業でなければ嫌だ――と思いは、僕にはありませんでした。
 そもそも、大手と中小、ベンチャーの違いすらよく分かっていませんでした。福利厚生の知識もほとんどないのです。
 だから、それでプライドが傷つくようなことはありませんでした。

 むしろその逆です。
 小さな会社なら、僕の力を発揮しやすいだろう。だから、僕の力でその会社を大きくして、僕を落とした会社を見返してやる。
 そんなことを、本気で思っていました。

 そうして僕は、どうにか就職活動を終えたのでした。



 

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