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釘付けの作法

※このエッセイは多少のグロ表現を伴います。苦手な方は注意してください。


こんなに必死に見るつもりじゃなかったのに。

休日の昼下がり、読書に疲れた僕は映画でも見るか とPCをつける。

映画を見ようとしてテレビではなくPCというところに令和を感じる。
それはさておき 特別見たい映画があるわけでもなく適当に選ぶ僕。サブスクって最高。

字幕映画は集中して見る必要があるので邦画にしよう。

今は気軽に見たい気分だ。
選んだのは見たことも聞いたこともない映画だった。

眠気もあったので 途中で寝るかもと思いながら見始める。

何系というのかもよくわかならい映画。
山場なども特になく淡々と進んでいく。

でも いつの間にか魅入っていた。

他には何もせずに映画だけに集中していた。

目が離せない。

まさに画面にくぎ付けにされていたのだ。





さて、賢い読者諸君は ここで疑問に思うだろう。

画面にくぎ付けにされるというのは いったいどことどこをくぎで固定されているのか と。

ふつうに考えれば目と画面を釘で固定すると思うだろう。

しかしそれでは画面は見えない。
映画を見ることは不可能だ。

だから別の場所が 釘で打ちつけられているはずだ。

じっとしているという事を表現しているのだからだろうか。

床と足が釘で固定されている。

しかしそれだけでは上半身は自由だ。

とても画面にくぎ付けにはできない。

では上半身もくぎ付けか。

でもいったいどこに。

僕は座椅子に座り映画を見ている。

ならば座椅子の背もたれに胸から貫く形で釘が打たれているのか。

下半身は座椅子もろとも床に固定されている。

胡坐をかいて座っているので 開かれた足の付け根辺りを床に向けて打つかたちだな。

しかし首はまだ自由だ。
画面から目を背けることはたやすい。

まだまだ画面にくぎ付けという状態には程遠い。


では首を固定するのか?

しかし、それはいささか難しいのではないか?

約180度旋回する首を釘で固定するにはいったいどうすればいいのか。

脳天から床に向かって一直線に長い釘を床まで打つ?

それでも首は旋回できるだろう。

同じ要領で2本打てばどうだろう。

両耳から内側に3㎝程中に上から下にくぎを通す。

そうすれば首は左右にも動かせないし 前後にも動かせない。

まさにくぎ付けだ。


人をガッチリと固定するには釘が5本必要だということか。
あとは大きめのハンマーも必須アイテムだな。


いや、まて。

まだ目を逸らすことが出来るぞ。

たしかに身体はガチっと固定されている。

しかしまだ眼球は自由だ。

まだ僕の意志は途絶えていない。

目を固定するにはやはり直接釘を打つしかない。

しかしそれでは映画が見れない。

ムムム。

一体どうすればいいのか。

眼球を動かす筋肉にくぎを打つことはできない。

お手上げだ。
降参だよ。

画面にくぎ付けにするということは 実質不可能ということか。

しっかし、気軽には使えない言葉だな。

こないだ釘付けにされちゃって」とか「あいつを釘付けにしてやったよ」なんて口走ってしまったなら。

あらぬ誤解を生みかねない。

このエッセイを読んでしまったあなたは きっとグロい想像を巡らすことになる。

いったいどうやって どことどこをくぎ付けにしたんだろうか と。

慣用句やただの言い回しだと侮るなかれ。

その一言があなたをシリアルキラーの思考にしてしまうのだから。


と映画を見ながら意味のない空想をしていた。

え?
全然 映画にくぎ付けになってないって?

そう よくおわかりで。

だって脳を釘で固定する事はできないもの。

そんなことをしたらあなた。

死んじまいますぜ。


ではまた。

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