見出し画像

記憶を消して

記憶を消して〇〇したい。
こういう言い回しって面白いね。

ゲームや映画でよく聞く言い回しだ。

ゲームだったら僕はポケモン赤・緑を記憶消してやってみたい。

マッサラな頭でマサラタウンから出発だ。


い、いやこれが言いたいからこのテーマで書き出したんじゃないんだからね!



記憶を消してってところがポイントだよね。

でもこれは危ない。

そのゲームについての情報が一切ない状態。
もしかしたら途中で挫折してやめてしまうかも。

ラッキーで切り抜けたボスとかいたでしょ?
倒せなくて投げ出す可能性がある。

そうなったら得るはずだった感動のクライマックスやレア装備ドロップの感動や好記録を残した喜びなども永久に喪失してしまう。

記憶があるからこそサクサクプレイして「あぁ懐かしい」とノスタルジーに浸ることができるのだ。


記憶を消してしまったなら。

そんな哀愁にも似た感情を捨てることになる。


本当にそれでいいのかい?


ゲームに限った話じゃなく記憶を消して良い場面なんてほぼない。

記憶があるからリスクマネジメントができ 記憶経験があるから賢くなれるのだから。

無闇に消さないほうが賢明だ。


それでも脳みそをギリギリと絞って考えてみよう。

記憶を消して楽しみたいモノ。


うーん。


あれもこれも微妙だなぁ。


あーでも。


ひとつあったわ。


なんのリスクもなく楽しめるヤツ。


noteクリエイターのぜんけいっていう人の書くエッセイを記憶を消して読んでみたい。

だって面白いから。
一度マッサラな気持ちで読んでみたいよね。

読者「うんうん わかるわかる」
アンチ「くやしいがその通りだ」
初見「マッサラな気持ちで読めてラッキー」
ぜんけい「これ僕 不利じゃない?」


僕がいちばん不可能だから人一倍そう思うよね。


でね そう思って昔の記事を読んでみたんだ。

タイトルを見ても内容が思い出せないヤツを。

うん。

新鮮な気持ちで読めたね。

面白いかどうかは一旦保留して。

完全に記憶を消して読んでいる感覚だった。

本当に僕が書いたのか?と愕然とするぐらい記憶にない。

今の僕なら別の言い回しをするだろうな〜とかもっと追記したいな〜と思った。
ちなみにスキがふたつだけだったのは秘密。

毎日投稿が辛い時期に書いたんだろうという苦心が見て取れるようだった。


古参のクリエイターなら一度 大昔に書いた自分の記事を読んでみて。

記憶を消して〇〇を体験できるよ。

なかなか楽しく有意義な時間をすごせる。

記憶がないので懐かしいとかじゃなく恥ずかしいが勝つけどね。

でも紛れもなく自分が書いたんだ。

記憶がないって不思議な感覚だ。

ぜひ楽しんで欲しい。


ところで 実際に記憶を消すことができたとして その「消した」ということは認識できるんだろうか。

もし認識できないのであれば 既に僕たちは色んな事を忘れさせられているかもしれないね。


ではまた。





次回予告(ウソ)

「ぜんけい 記憶を消され同じ投稿を繰り返す」

の巻。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?