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高校国語の先生や~めた🤗

こんばんは。ざるそばです。
タイトルの通り。十数年続けた教員生活にピリオドをうちました。

いまどんな気持ちかって?

もうね、すごーーーーーーーーい!!!!!!
すっきり!!!!!!!!
晴れやか~🤗

な気持ちです。
素敵な気持ちなので「自分語り」ってやつをしてみようかな!と。

思えば小学生のときから「学校の先生になりたい!」と考え、学業に実習に採用試験の勉強に励んできた日々。
過去に戻れたら、過去の自分に言ってやりたいです。「悪いこといわないからやめときな」って。

ところで、本県の教員採用試験(高校国語)は、現在は採用数がほぼゼロであることも珍しいことではないくらい狭き門です。
わたしのときもそうでした。

1回目の採用試験→1次敗退→これはいかん、と大学院に進学して専門性(特に苦手な古文と漢文)を高める。
2回目→2次敗退→常勤講師
3回目→2次敗退→引き続き常勤講師
4回目→2次敗退→引き続き常勤講師
5回目→なんとか採用🎉🎉🎉

5回目でやっと合格しました。1次試験は通っていたものの、このときは2次の面接でも手応えがあり、「行けるのでは?!」なんて思ってたんですよね~。
受かったときはそれはそれは嬉しかったです。
任命式もね、初任給(本県では常勤講師として勤めた年数の加算があるので、けっこう良かったです)もね、嬉しくて。
毎週の初任研にも一生懸命取り組んでいました。
明るい未来が待ってるって信じてな。

新採用当時はそこそこ若かったので「若いときの苦労は買ってでもしろ」っていう言葉もあるくらいだし…と、いろんなことを「そういうもんか」と我慢してきました。

校長に声が低いことを2年間いじられ続けても、
教頭に「○タマ」って言わされても、
20連勤でも、30連勤でも
管理職と仲のいい同僚が不祥事揉み消されてても

そんなもんかな。って。


んなわけあるか。
いやいやいやいやいやいや、もう全部アウトじゃない?!
全部ダメなやつでしょ…。「そういうもん」じゃねーんだわしっかりしろ!!!って肩揺さぶってほっぺた殴ってやりたくなりました。書いてて。

初任校を終えて、2校目。
ここでやっと「あれ?」と思い始めます。まあわかんないもんですよね。自分がその渦中にいるときって。状況も自分のことも客観視できないっていうか。

まずね。同僚にいじめられました。やべぇ。
「いじめ、ダメ、ぜったい」とか言っといて自分たちが……。教員のいじめについては、大きく報道された神戸の件から世間でも認知されるようになったかと思うんですが、あれ、「ターゲット」にされたら、どの学校でも起こりうることです。
当時、わたしはギリギリ20代。初任校から転勤してきたばかりの、いい獲物だったんだろうなぁ……と、思います。何されたかは箇条書きしますね。

・国語科内での無視
・国語科内での陰口(すごいはっきり聞こえてるやつ)
・意味不明な叱責(「卵の値段も知らねぇのか!」「女のくせにタバコなんてすってるからそんなことになるんだ」※勤務時間内はもちろん、校地内で吸ったことは1度もありません。などなどなどなど)
・テストの草案ぐしゃぐしゃにして教務室のゴミ箱に捨てられる
・国語科のわたしのデスクが消える(当時、進路指導室に常駐していたのですが「来ないんだからいいでしょ?」とのことでした)
・ミーティングで「ざるそばとは働きたくない」と言って楽しそうに笑い合う
・わたしのミスではないことをわたしのミスとして叱責される

などなどなどなど。たーーーーーくさん!!!
あとは言うこと聞かない生徒をわたしのクラス(授業)に押し付けるとかもありましたっけね。お察しの通りですが、同じ教科内でのいじめです。なんか書いててヤんなってきたな…。
でもケジメなので。

あとは管理職からのパワハラセクハラモラハラですね。
これはいまでも思い出すときついのでサラッと。

・クラスの生徒が問題起こすと、夜9時過ぎまで校長室で叱責(通常、本県では、高校は夜7時になると施錠されます。原則)
・大学院を出たことについて「頭でっかち」「いつまで女子生徒の気分でいるんだ」と叱責
・「女が勉強してもこれだから困る」
・離任式、生徒やほかの教員の前で「ほかの先生方の助けがなければ、教員としてやっていけない」とこき下ろされる

これで勘弁してください。
特に最後の離任式についてはトラウマで、いまでも夢にみます。


そんな感じで2校目の勤務を終えたわけですが、もうここで相当ぶっ壊れていました。身体的にも、精神的にもです。ストレスと激務で子宮筋腫が悪化して、貧血も悪化。転勤したとき、血中のヘモグロビン濃度が5.0くらい。最低値が11.5なので、半分以下だったわけですね。そりゃしんどいわ。
この貧血には、このあと数年に渡って苦しむことになりました。
余談なんですけど、2校目最後の年の1月、わたし、1回倒れて入院したんですよね。貧血で。でも退院した翌日から普通に働きましたし、なんなら「体調管理がなってない」と叱責されました。

精神的にきたのは、転勤してから1年後です。
夜眠れなくなり、眠ると2校目での夢を見ます。わけもなく涙が止まらなくなり、玄関から出られない。
そうですね。鬱でした。


現在、鬱と診断されてから、ちょうど5年になります。
休み休みでしたが、5年もようもったもんだな、と。
何の因果か、去年、高血糖ケトアシドーシスで救急搬送されて、死ぬ思いをしました。いまは鬱の治療と並行して、1型糖尿病の治療も行っています。1型糖尿病、治んないんですけどね。

死ぬ思いをして、自分の人生振り返り、今年になって「もうこれ無理だな」と、そこに至りました。

散々仕事のつらかったことだけ書き連ねてきましたけども、わたしは授業をするのは大好きですし、生徒のことも大切に思っています。「生徒のためなら…」と思うと、保護者からの罵倒にも耐えられました。
生徒がかわいいから続けてこられました。
休みが潰れても、体調が悪くても、立ってるのがしんどくても、生徒のため…………………………………


いや、それダメでしょ。と。「生徒のため」っていう魔法の言葉に人生全部捧げていいのか?
このままだと確実に早死しますけども??と。

なんか、急に目が覚めたというか、端的に言うと、管理職と揉めてですね。しょうもないことで。それで、去年の夏からうっすら考えてた「退職」というカードをここで切ったわけです。

「やりがい搾取」っていう言葉が世間でも認知されるようになって久しいですが、搾取されるの、嫌になっちゃったんですよね。生徒を人質に取られて搾取されてる感じ。
学習指導要領が改訂されたのもあります。ついていけん。

これからは搾取されない人生に挑戦だぞい💪✨
そういう自分語りでした。

読んでくださった方、ありがとうございます。

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