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芋粥と卒論(エッセイ)

私の、好物のひとつは、芋粥である。そして、大学の国文科の、最後の課題である、卒業論文も、
芥川龍之介の短編小説「芋粥」を、テーマに選んだ。

私の家は、すこし変わっていて、
両親とも、芋粥が好きだった。
なので、たまに晩御飯が、芋粥とお味噌汁だけ、の日もあった。
経済的な理由からでは、ない。
ただ、単に母が、料理をお休みしたい日や、なぜか、ご飯をたくさん炊きすぎて、残った日に、
芋粥の夕食だった。
私と父は、文句も言わず、ちゃぶ台に置かれた、お鍋いっぱいの芋粥をたらふく食べた。

あとは、風邪をひいて、寝込んでいるときに、母は、必ず小鍋で、
私だけの、芋粥を作ってくれた。
やはり、小鍋ごと芋粥と、お味噌汁と梅干しを寝床に持ってきてくれた。病気の時に、食べる、
ホカホカ出来立ての、芋粥は、
本当においしかった。甘いさつまいもと、白いピカピカの柔らかいお米の、絶妙のハーモニー。
「芋粥を食べたら、薬飲んで、休みなさいよ。」と母に言われて、
食欲がなくても、食べた。
「アイスクリームがほしいな」と、言うと「風邪が治ったら、買ってあげる」と、却下された。

父は、家では、無口だったが、
母が作る料理は、残さず食べた。
「おいしい」も言わない人だった。だが、母は、いつも、食卓に
いろんな料理をならべた。
きんぴら、天ぷら、ひじきの煮物、カボチャの煮物、ふきのとう、若竹汁など、冬は、水炊き、うどんすき、水菜の鍋など、野菜料理が多かった。というのも、父は、年老いてから、病気がちになったので、そのためだった。

私が一番好きだったのは、母の
お手製コロッケである。
じゃがいもとひき肉が入った、
塩味のきいた、俵型のコロッケ。
揚げたてが、ホントにおいしくて、一度に4個も食べた。
さすがに、5個は無理だった。

「たくさん作ったから、明日の、学校のお弁当のおかずに入れるし、明日の夕食も、コロッケね。」と、母に言われて、
「いいよ。なんなら3日、コロッケが続いても、いいよ。」と、私は言った。

大学の国文科に入学した時に、
最初のオリエンテーションで、
知らされたのが、3年後の、
(4回生の冬に、提出する)卒業論文の制作だった。
最低、原稿用紙(400字)50枚以上。
その頃は、手書きが決まりだった。(今は、パソコンで入力かもしれない) 最後に、表紙をつけて、
冬休みが終わり、1月中旬が提出期限。
「国文科の皆さんは、これから、その卒論に向けて、勉強して下さい」と、言われた。
原稿用紙50枚❗10枚くらいなら、
感想文で書いたことは、あるが、
その5倍❗聞きながら、私は、
気が遠くなった思い出がある。

4回生になり、卒論のテーマにする、作品を決めることになった。
私は、近代文学が専攻だったので、宮沢賢治と芥川龍之介で、
悩んだ。だが、ゼミの担当の先生に「宮沢賢治は、児童文学だから、よろしくない」と言われて、
芥川龍之介に決めた。次は、何の作品にするか?を考えるため、
文庫版の芥川龍之介全集を購入して、全作品を読んだ。
(いつでも好きな時に、繰り返し読むために、国文科の学生は、読みやすい、文庫版の全集を買う人が多かった)

ひとつひとつの作品を全て読んで、ノートに短い感想を書いて、
悩んだが、昔から知っていた、
「芋粥」をテーマに決めた。

「芋粥」は、平安時代の下級役人である、五位が、高級貴族である、藤原利仁に誘われ、当時は、庶民にはご馳走だった、芋粥を振る舞われる、だけのお話である。

主人公の五位という男が、貧相で情けないタイプで、役人なのに、
歩いていても、庶民の子どもにまで、ばかにされる。
五位の夢は、「芋粥を、お腹いっぱい食べるとこと」だった。
貴族の利仁が、その夢をかなえてくれるのだが、明らかに、
利仁は、五位を見下していて、
いわゆる「俺さまキャラ」である。しかも、悪気がない。(ように見える)しかし、五位は、大鍋いっぱいの、芋粥を実際に、目の前にして、その匂いと少しの、芋粥を食べて、満足を通り越して、幻滅してしまう、といお話である。

なんてことない物語で、起伏もないのだが、私は、芋粥のおいしそうな描写に惹かれた。小学生の時に初めて読み、家でも食べて、
小説も、本物の芋粥も、両方好きになった。

4回生の冬は、正月返上で、
卒論を書いて、清書して、
最後に大きな千代紙を表紙に張り付けた。私が人生で、初めてかいた本?(論文)を無事に、期限までに、提出した。関係する、多くの
研究論文を調べて、読んだりなどして、約1年かけた、卒論だった。

私は、このnoteに投稿を始めて、
最近、この卒論のことを思い出した。noteには、期限もないし、
投稿しなくても、いい。
見るだけでも、いい。テーマも、
自由だ。だけど、自分なりに、
ちゃんとした、文章を書きたいと、思う。

ただ、論文みたいな、かたい文章ではなく、本物の「芋粥」みたいに、読んでホッとする、ほんわかする、文章を書けたら良いなあと、願っている。

今の季節なら、爽やかなソーダ水みたいな文章が、良いですね。

最後に  米津玄師さんの詩を。


今 羽を広げ 気ままに飛べ
どこまでも 行け
生まれた日から 私でいたんだ
知らなかっただろ

さよーなら また いつか!
(米津玄師
🎵さよーなら またいつか)

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