見出し画像

■エリートたちが集う東京の病院
医学生、研修医を過ごした金沢から、小児神経科専攻医研修に私は国立小児病院へと学びの場を移しました。育ちは横浜でしたが郊外。国立小児病院は東京都世田谷区三軒茶屋。都心も都心です。コンクリートジャングルと言うか人が冷たいと言うか、いずれにしろ国立小児病院は自分とは比較にならないような素晴らしい小児科医ばかりです。比較しなければいいのですが、私の性格上どうしても比較してしまい、その結果落ちこみ、職場にも日常生活にも居場所がないように感じていました。

結婚して富山県から東京の三軒茶屋に来た奥さんは、都心の生活が初めてだったので私よりも環境の変化は大きかったと思います。だから自分の不安を奥さんに伝えることはできません。そんな不安を取り除くには、自分の好きなものがある場所に行くのが良いと思い、月に1回は高校の時に通っていた本の街、神保町に一人で行き、古書店巡りをしていました。ここにいるのが、私の唯一の楽しみと言っても過言ではないでしょう。

病院の人が嫌いだから会いたくない。そんなわけではありませんが、あまりにも出来ない私が惨めだったので会いたくなかったのです。それに惨めな姿を病院の姿にさらしたくないというプライドもあったので、少しでもできるように見せよう。元気なように見せよう。といつも気張っていました。実際には全然できていないので、心は毎日泣いていましたが……。

■私の癒しの場所で出会った検査技師
そんな私がホームとも言える神保町では元気です。いつもは足元ばかりを見ているのに、ここでは背筋をピンと張り、堂々と歩いています。古本屋で山ほど本を選んで、あとは新書店をまわって、喫茶店で今日の成果を振り返るかとニヤついて、平積みされた本を見ていると痛いほどの視線を感じました。

「その本面白いですよ」
何だよ、1人でいたいのに話しかけてくんなよと思い、声の主を睨みつけると、見たことある顔です。しかし誰かは思い出せません。
「あぁ。面白そうですね?」
そう言いながら、その人が誰なのかを思い出しました。同じ病院に勤めている検査技師さんです。
「検査技師さんね。本読むっていいですよね。それじゃ」
と立ち去ろうとしたのですが、引き留められました。
「あっちにも面白い本があるんですよ。あと私、赤羽(仮名)って言います。これ、名刺です」
何でこんな場所で名刺出すんだろ、と思いましたが言えません。東京に出てきてからの私は、人に嫌われたくなくて、周りに気を遣いまくり、その結果一人で消耗するという悪循環に陥っていました。だから病院から帰るとグッタリ……それが日常でした。

そんな私の貴重な休日に、赤羽さんの本の解説を聞く。もう解放してくれよと思いながら、最後まで聞いた後に、立ち去ろうとしました。
「先生、どこ行くんですか?」
「喫茶店寄ってさ。買った本読んで帰るんだよ」
「へー。私も一緒に行っていいですか?」
「当たり前じゃん。来たいならおいでよ」
「はい。行きます」

あっている? この答え合っている? めちゃくちゃついてくるじゃん。
そんな心配をしながらも、心はぐったり。本当は一人になりたいのに、人に嫌われたくないから、こんな言い方しかできません。心の中では、早く一人になりたいと叫んでいるのに……。

■話してみると意外と馬が合う
「なんか国立小児病院の人ってインドアばっかりで、外に出て会う人いないんですよ」
彼女はそう言いながらため息をつきます。本当は私だってため息をつきたいのに。結局この日は、赤羽さんを引き離すことができず、私は大好きな本も読めず、私生活やら仕事の話を聞かれ聞かされ、挙げ句の果てに奥さんの待つ我が家で食事をすることになりました。

家に同僚を連れて行くと伝えた電話での奥さんの驚きよう。そりゃそうでしょう。私がこんなことをするとは思っていないはずです。私だって想定外ですから。

家で話しているうちに、赤羽さん自身も、私と同じなんだと気付きました。彼女も職場にはまっていないのです。何だか同士ができたような気がして、少し気持ちが明るくなりました。月曜日の出勤は、見知った仲間ができたので、職場での楽しみができた気がしました。仲間がいれば頑張れる。ただ私はその3ヶ月後には辞め、彼女もその半年後には辞めたのですが……。

初対面の時は、なんだこいつ、と思いましたが、あの日、彼女とたくさん話せたことで、どんな場所でも人として話をすれば、共通の思いをしている人もいるということを知りました。今でも彼女から子育てのことなどで連絡がありますし、家族ぐるみで食事したりする仲です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?