見出し画像

山での不思議な体験

今回はちょっと怖い話です。

フォローさせていただいている樹山瞳さんの記事で知った『山怪』シリーズ。

著者の田中康弘さんが、山で暮らしている人々から聞いた不思議な体験談を集めた本です。
山の怖い話は子供の頃から興味があり、早速『山怪』の1巻目を買って目が離せなくなりいっきに読んでしまいました。樹山さんのおっしゃるようにじわじわくる怖さを感じました。続編も読んでみようと思います。

実は私も、山で怖い経験をしたことがありました。

私の父は若い頃、とある登山隊を立ち上げ、その隊長をしていました。
大学生の頃だったそうですが、大学の授業はろくに出ずに、アルバイトで貯めたお金で北アルプスや南アルプスで山登りばかりしていたと聞いています。

私の母も登山が好きで、どういう経緯か知りませんが父の登山隊に入り、2人は結婚することになったようです。ちなみに両親は私が中学生の頃に離婚したので、父が今も山登りをしているのかどうかは分かりません。生きているかも分からないのですが、山をこよなく愛する男だったので、生きていれば(70の手前くらいか)何かしら山関係のことは続けていると思います。

私も子供の頃は両親に連れられて山に登っていました。
もともと自然観察が好きだったので、山に行くと足元の植物を見ながら歩くのが楽しみでした。

父は山好きなうえに仕事でも山の本の編集者をしていたので、家には山関係の本がたくさんありました。

その中には山の怖い話を書いた本もちらほら。
怖い本だよと聞いていたのですが、怖いもの見たさでこっそり読み、そうしたら本当にゾッとするような話だったので、読んだのを後悔しました。

前述しましたが私も山で不思議な体験をしました。
『山怪』を読む前は1回だけちょっと怖い経験したことを思い出していたのですが、読んでいるうちに「あ、そういえばあの時」といくつか思い出したことがありました。

なにせ10代、20代の頃の記憶なので、記憶があやふやで書き換えられていたりするかも知れませんが、思い出したことを書いてみようと思います。


1つ目は父と行った山での出来事です。

当時、私はまだ小学生だったと思います。
その日は父の仕事の取材も兼ねて埼玉県と群馬県の県境にある「父不見山(ててみえずやま)」という山に行きました。

頂上まで登り、下山しているときでした。
見晴らしのいい場所から少し森の中に入った場所でした。私のすぐ後ろを歩いていたはずの父の気配が突然消えたのです。振り向いてもどこにも見当たりませんでした。

山の名前もなんとなく怖い名前だったせいもあったかも知れません。私は恐ろしくなり、大声で父を呼びましたが返事はありませんでした。周囲に人の気配が全くなく、音もほとんど聞こえない、静かな薄暗い森の中に一人取り残された恐怖。父を探しに行こうかと思いましたが、あんまり動いてはいけない気がして、来た道を少しだけ戻り、その場で動けなくなってしまいました。
どれくらいの時間が経過したかは全く覚えていませんが、突然父がパッと現れました。どうやら見晴らしのいい場所で写真を撮っていたようでした。

街を歩いていてもたまにありますが、一緒に歩いていた同行者の姿が突然見えなくなり、どこに行ったのかと思ったら少し戻ったところのお店を覗いていたり。

父も見晴らしのいい場所で写真を撮ろうとして、私がそれに気づかず進んでしまい、父がいなくなったと思っただけなのかも知れません。

でも今でも、父の姿が見えなくなった時の、人の気配が全くない森の静けさは忘れられません。


2つ目は母と谷川岳に行った時のことです。
私は10代の終わりくらい、大学に入った頃だったかも知れません。

谷川岳は群馬県と新潟県の県境にある山です。

私たちが登ったのは途中までロープウェイで行く、登山初級者でも登れるコースでしたが、一ノ倉沢などの急峻な岩壁を登るコースもあり、これまでに何百人もの方が遭難事故で亡くなっています。そのため、最寄りのJR上越線土合駅(どあい駅)とロープウェイの駅の間には慰霊碑があります。

私たちも電車で土合駅まで行き、そこからロープウェイに乗れる場所まで歩くことにしていました。ちなみに土合駅はものすごい地下深いところにあり、地上に出るまでに10分くらい階段を登り続けないといけません。

その土合駅で不思議なことがあったのです。
その時はまだ午前中の早い時間で、私たちと同じように電車で来て、これから谷川岳に登ろうという人たちがほとんどでした。山の方から戻ってくる人はほぼいなかったと記憶しています。
改札の少し手前だったでしょうか、母が突然「今すれ違った男の人、素敵な格好していたね」と言ったのです。

え?
誰もいなかったよ?

母は「ほら、大きいリュック背負ってさ、白いシャツ着てスカーフ巻いてさ、登山靴もかっこよくて素敵な格好していたじゃない?」と。

振り向いても向こうに歩いて行く人はいませんでした。

そのあとどういうやりとりがあったかは覚えていませんが、母にしか見えていなかったのか、もしかしたら先入観があったり、雰囲気にのまれて見えてしまったのか。

途中、慰霊碑に手を合わせました。

私たちが登ったコースはすごく歩きやすく、景色を楽しみながら登りました。驚くほどたくさんの人が山頂にいて、人気のほどがうかがえました。

私たちも特に何事もなく無事に登山を終え、帰宅の途につきました。



3つ目は母と栃木県の奥鬼怒に行った時の話です。
私はその時20代でした。
前日に奥鬼怒温泉の加仁湯(かにゆ)というところに宿泊し、翌朝山を登り、日本で一番高いところにある湿原、鬼怒沼湿原に行く予定でした。

早朝、宿の人が用意してくれたお弁当を持って出発しました。
そして少し歩いたところでちょっと怖い思いをしたのです。

そこは道が左右二手に分かれていました。近くには温泉宿もありました。
私と母は「どっちだろうね」と地図を見て確かめました。立て札くらいありそうなものですが、周りを見渡してもありませんでした。朝早かったので人もおらず。
地図を見るとどうやら左に行くらしい、私たちは左に進みました。

しばらく進むとなんかおかしい。
本当にこっちでいいのか?そんな疑問を感じる道だったのです。なんとなく登山道にしてはあまり人が通っていないような雰囲気でした。鬼怒沼湿原は人気があるので、多くの登山者が通っているはずでした。
そのうち、深い森の手前まで来てしまいました。
これはおかしい、私も母もそう感じていました。

その時でした。森の中の前方数十メートルのところでしょうか、大きな鹿が2頭、こちらをじっと見ていたのです。
それ以上先に行ってはいけない。
ただ食べ物を探しに来た鹿と偶然鉢合わせしただけだと思いますが、私たちの進む先に立ちはだかっているようでした。
どう考えても間違っている。私たちは怖くなり、引き返すことにしました。そうして二手に分かれるところまで戻ってきました。
そしたらなんと、先ほどは全く気づかなかった立て札があったのです。
目的地の鬼怒沼は、私たちが先ほど行ったのとは反対の右方向だったのです。母と「さっき立て札なかったよね?」と言い合いましたが、立札に二人とも気づかなかったなんてことあるのか。なぜ二人とも見落としたのか今となってはわかりません。

でもよく考えてみれば私たちの右手には川があり、鬼怒沼湿原に行くにはその川の橋を渡り右方向に行かないといけませんでした。地図をみれば明らかなのになんで間違えたんだろう(それともただのぼんやり方向音痴親子か?十分あり得ます 笑)。

もしあのとき鹿がいなかったらどうなっていたのか。
森の中の暗い道だったので鹿がいなくても引き返したとは思いますが、鹿がいてくれたおかげで早く引き返すことができました。鹿に感謝です。

その後は順調に進み、鬼怒沼湿原の絶景を堪能してから下山しました。
ちなみに鬼怒沼はこんな感じのところです⇩


もう一つ、おまけです。これもある意味恐怖体験でした。
私が小学生くらいの頃、どこかは全く覚えていませんが、両親と登山に行きました。下山の時でした。途中、一般の舗装された道路を歩いたのですが、どこから湧いて出たのか、道路を横断するムカデ、ムカデ、ムカデの大群!振り向いてもムカデ、どこまでもムカデ。彼らはどこから来てどこに向かおうとしていたのか。
避けて歩くことなんて無理でした。かわいそうでしたが、踏んづけるしかありませんでした。
あの感触、まだ覚えています(-_-;)


どの話も先入観や、思い込み、はたまたただの勘違いか不注意か方向音痴かも知れません。あるいは山の持つ雰囲気にのまれていただけかも知れません。
その人の目の前に見えている風景は、すべてその人の頭の中を投射したものだとも言います。

『山怪』でもありましたが、合理的な解釈をしようと思えばいくらでもできます。別の人が同じ体験をしてもなんとも思わず記憶にも残らないかも知れません。

でも山には何かある、そう思わずにはいられない体験でした。


そういえば、『山怪』にはキツネの仕業かもしれないという話が数多く登場していました。偶然にも『山怪』を読む直前まで読んでいた本がこちら、『キツネを飼いならす』

この本、非常に面白かったのですが、いろいろ思うところもあり、いつか記事にできたらいいなと思っています。

片や人を惑わすキツネ、片や人に懐くキツネ。
なんだかキツネな週末でした🦊

樹山さん、いつも面白い本を紹介してくださり、ありがとうございます!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?