「民主主義とは何か」 を読んで

 この本を読んで「公共の利益」という概念を深く考えました。
 民主主義では会議に参加する人が全員意見し、また全員の意見が無視されずに吟味されます。これは優れたリーダーが単独で決める独裁のようなシステムには見られない平等性です。そしてこれは民主主義の強みであると思います。しかしどれだけ吟味されても最終的には多数決で決まります。なぜなら民主主義は多数決で決議をするからです。本書においても多数決には一定の有効性があることが言われています。そのため民主主義ではどうしても少数の意見は蔑ろにされてしまう傾向にあります。数の優位性が強い民主主義ではどんなに優れた意見であっても賛同する人がいなければ勝てません。逆にいうとどんなに愚かな意見であっても賛同してくれる人さえいれば (グルになって票稼ぎをするなどして) 全体の意見として通ってしまうのが民主主義です。これが民主主義の弱みであると思います。そのため民主主義ではグループ全体の意見を愚かなものにしないためにも、少数の意見を尊重することの必要性が訴えられてきました。また、グループ全体の幸福を尊重した意見、つまり公共の利益を重視する必要性も同時に訴えられてきました。


 ただ、公共の利益とは何かというのは具体的に示すことが難しいように思います。例えば「家族」であればおおよそ4人程度で構成されているため、全体の幸せを考えればいいためなんとかできそうです。しかし、これが市や国単位となると全体を占める人数が多すぎるためなかなか公共の利益を考えるのは難しいです。グループ全体にとってどのような行動をとるべきか。考える必要はあるけれども考え難い概念であると思います。ではなぜ冒頭に申し上げたように自分は今回、公共の利益を深く考えることができたのか。それは本を読んだこともありますが、やはり紛れもなくコロナが流行したからです。確かにコロナはわたしたちを苦しめ不幸な出来事をもたらしました。そこを無視するつもりは全くありません。ただコロナは不幸なことだけでなく、私たちに目には見えない公共の利益というものを考える機会を提供したと考えています。

 結論から言うとコロナは2つの公共の利益を提示してきたと思います。一つは人命を最優先することが国民の利益や幸福に繋がること。そしてもう一つは経済活動を回すことが国民の利益や幸福につながること。コロナが流行してからの私たちは日々自分の生活を豊かにするためだけに生きるのではなく、上記2つのみんなに当てはまる幸福を考えて行動してきたのではないでしょうか。自分のことだけでなく全体のことを考えて行動を自粛し、生活範囲を狭め、仕事や勉強のオンライン化に努めてきたのだと思います。今振り返るとこうした他者、それも近しい人でなく赤の他人も含む国民を少しでも考えて生活をした経験は今までなかったように思います。そしてこの姿勢こそが公共の利益を考えた生活だったのではないかと考えています。

 この経験、つまりコロナでやってきた一人一人の、全体を想う姿勢は今後も生かす必要があると思います。なぜなら社会にはジェンダー問題、格差、環境問題といった様々な問題があるからです。こうした問題に対しても国民一人一人が全体の利益を考えた行動、例えば署名であったりボランティア、寄付、リサイクルの意識を持つこと、をとって解決する必要があると思います。コロナがなくなることを心から祈っています。ただ、コロナがなくなった後に私たちは元の生活に戻るだけで良いのでしょうか。コロナで経験し、実践してきた公共の利益を考えた行動をとって今後も生活をしていくべきではないかと感じます。


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