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インド雑記 〜トランスジェンダーへの目線〜

この旅行記を書くこと、noteへ記事を上げること、随分ご無沙汰してしまいました。
「インド雑記」では、2023年12月に旅をした南インドで考えたことを書き連ねてきましたが、今回はインドで出会ったトランスジェンダーの方々について書きたいと思います。
以下、私と一緒に旅をしていたガイドの目線で知ったことを書くので、実態と異なる部分もあると思います。
何卒ご容赦ください。

今から20年ほど前にタイのバンコクでトランジットのために1泊2日の滞在をした時のことです。タイでは生物学的には男性として生まれたけれど、性自認は女性として生きている方がたくさんいらっしゃいました。
滞在者としての私の目には、とても自然に生活しているように見えました。
私はタイ語が全く分からないので目で見た風景だけ思い出してみると、トランスジェンダーの方と生物学的な性で暮らしている方とが違和感なく共存しているように見えたのです。

2023年のインド、首都であるデリーを訪問していた時のこと。
何重にも車列の連なった交差点の信号待ちの車の間を、子どもや大人の物売りの方々に混じって、トランスジェンダーの方々が車の窓を叩いて運転手や同乗者に声をかけている場面に何度か遭遇しました。
インドの交通事情は混沌としていますので、信号待ちで停車していても割り込んでくるバイクや自転車などがありますから、気を抜けません。
窓を叩いて何をしているかと言えば、運転手や同乗者からお金や食べ物を受け取っていました。
何も受け取れなかった時には、正確には分かりませんが、悪態をついて次の車に移動しているように見えました。
ヒラヒラとインドの女性用の生活服の裾をひらめかせて、信号待ちの間にいくつもの車に声をかけていきます。
信号が変わる瞬間に容赦なく発信する車から身を守るため物売りの方と共に道路にあるわずかな分離帯の上に身を上げて次の信号待ちのタイミングをじっと待っている光景は、南インドの田舎を旅していた時には見られなかった光景でした。
南インドの田舎では、偶然なのか分かりませんが、寺院の周辺でしか物売りの方に囲まれるということはなかったのでした。

私の乗っている車にも、コンコンと窓を叩いて声をかけてきまし。
その声は、怒っているような感じで、相手をまくし立てるようです。
トランスジェンダーの方々は、車同士のわずかな隙間を縫って物売りの方々と共に声をかけてくる訳ですので、気が立っているのかも知れません。
私と一緒に旅をしてくれたガイドは、トランスジェンダーの方が窓を叩くと必ず食べ物か少しのお金を手渡していました。
後部座席に外国人である私が乗っているのですが、私に声をかけることはなく、手渡されたものを確認しながら次の車へと去っていきます。
ガイド曰く(ガイドの言葉をそのまま書きますが、差別的な言葉です)
「オカマに施しをすると徳を積めるから、私は何かを必ず渡しています」
とのこと。

タイではトランスジェンダーの方々は生活の中に溶け込んでいるように見えましたが、インドでは共存していないように感じられた出来事でした。
一方で、トランスジェンダーの方に施しをすれば、施しをした人に徳が積めるという考え方があって、それによってトランスジェンダーの方が生活をしているのでした。
前回、インドの結婚観について記事を書きましたが、インドでは結婚するのが当たり前に考えられています。
結婚せずに50代を迎えている政治家について、ガイドはその政党の好き嫌いの他に、その人が結婚していないということについても「変だ」と評していました。
同性婚という制度は日本でも意見が様々に分かれていますが、結婚しない(できない?)性であるトランスジェンダーへの風当たりはものすごくキツいのではないか、と考えさせられる光景でした。

インドは仏教発祥の地です。
仏像の性別は男性でも女性でもないと聞いたことがあるのですが、トランスジェンダーの方々の【私が目撃した範囲での】様子からは、その存在が尊重されているようには見えなかったな、と今も思い出されるのでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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