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チョコレートブラウンの板塀の家 



第1章 

雄介と愛理、長子の幼少期

山道に苦戦

山間の新緑の木の葉の間からキラキラと落ちてくる木漏れ日。
雄介は汗ばんだ額に手を当てて目を細めた。
薄緑の幼い葉達はまだ小さすぎて十分に日除けの役割を果たすことができない。隣の常緑樹の葉は、嬉しいことに雄介の日傘となり、そよぐ風は巨木の吐息にも感じられる。

深い緑の4輪駆動は、先細る道に阻まれ、途中で乗り捨てるしか無かった。車2台程かろうじて停められる空地のある沢の所から、すでに40分歩いている。道に迷ったのだろうか。子供の頃はこんなに遠いと感じる事は無かった。友や従兄弟達と歩いていても、走っていてもただ楽しかった。独り歩きをこんなにも寂しく遠く感じたのは久しぶりである。


雄介は元来、静かな時間が好きである。街の喧騒や、家の中を走り回る我が子から逃げ出す為に、独りでふらっと旅行に出かけた事もある。いつも誰かと連んでいたい嫁の美恵とは正反対だ。

それはさておき、先ほどの空地には小型車ならもう一台は止められる筈である。後から愛理か長子が追って来てくれはしないだろうかと、虚しい期待を胸に忙しなく登って来たが、あまりの険しさに息を切らし、喉はカラカラである。


陽の高い内で無ければどんな害獣と出くわすかもしれないと、休憩もそこそこに先を急いだ。子供の頃は元気に駆け回ったものを、年齢には勝てないと言うことか。昔も狸や猪ぐらいはたまにはいたが、襲ってくる事などなかった。

果たして叔父夫婦は健在なのだろうか。代替わりして従兄弟のうちの誰かが住んでいるのか、特に知らせもないので平穏に暮らしているとは思うが、20年近くも会ってない。

過酷な赤木家の生活環境の記憶


早くに夫を亡くし3姉弟の母親であるアキヨは苦労しながらも、子供たちを育てていた。子育て奮闘中に無理が祟り、心臓病を患う。医師からは暫く入院を勧められ、やむ無くアキヨの弟夫婦に、幼い愛理と雄介を預けた。長女の長子は、昨年から遠方の学校の寮に入っているので心配はない。
-----アキヨ家族については後に書いていくつもりです。------------

アキヨの弟夫妻の家(赤木家)にも、小学生の男の子が2人、中学生の男の子が1人居たが、口数が増えるのも厭わず、2ヶ月程の事だという事で快く(?)引き受けてくれた。

当時赤木家には水道が無く、生活用水に200mほど離れた所にある湧水を利用していた。その水汲みは子供達の仕事で、決して役に立つとは思えないが、幼い雄介達姉弟もお役御免とはならなかった。

赤木家の子供達は、毎日大きなバケツを持ち、家と水源地を何往復もし生活用水を確保、さらには畑で夕食用の野菜を収穫し下拵えまでやってのけた。学校の宿題はその後である。

雄介の家では水源地から家まで水道を自力で引いていたので、水と言えば蛇口をひねれば、溢れるほど出てくるものと信じていた。
家には、母親のアキヨや寮生活を始めるまで長子が居たので、食事の支度などしたこともなかった。お茶碗とお箸を持って座って待っていればよかった。

従兄弟たちの手伝う様が物珍しくちょろちょろ付き纏い、邪魔ばかりしていた。しかし彼らは、何とか手伝おうと奮闘する幼い従姉弟を、邪険にすることはなかった。


もう一つ、仕事で疲れて帰宅する叔父夫婦の為に、大きな風呂釜のお湯を沸かさなければならない。勿論ガスでは無く、拾って来た小枝を火種にして薪を燃やすのである。水汲みも夕食の支度も出来ない雄介達に風呂焚きが回って来た。何度も挑戦してみるも、白い煙がブスブスと出るだけ、煙い!臭い!

1週間くらいしてなんとか燃やせるようになると、従兄弟達は野菜や肉を放り込んでくる。又、消えかかる。
今で言うオーブンがわりに風呂の火を使っていたのであろう。決して従兄弟の嫌がらせでは無く、知恵だったのだろう。

学校が休みの日は、炭焼き小屋に木を並べたり、畑の草を取ったりするのものも従兄弟達の仕事だった。お昼頃まではお手伝いで潰れ、午後の3、4時間が従兄弟と雄介達の自由に使える時間だった。

雄介の冒険


寒い日の午後だったと思う。
雄介は 赤木家の農舎の囲炉裏で、妖しく、紅く、踊るように揺れる炎に魅入っていた。
思わず細い薪の端を掴んで、大きく振り回した。と同時に、農舎に敷いてあった藁に炎は移動し、チョロチョロと鼠のように走って行った。

先ほどまでの心の高揚は一瞬にして、氷の刀となり身体中を傷つけていった。信じられぬ光景に打ちのめされ、どのくらいの間、心は闇の中に埋もれていたであろう、頬を伝うはずの涙は燃え盛る炎で乾いていた。
赤木家の従兄弟たちは両親を呼びに駆け出していった。しかし長男(実)は、雄介をいたわる様に抱きしめ炎を呆然と見つめていた。

近所の人も総出で駆けつけ、消火作業に当たってくれたため幸いに大事には至らなかった。後に叔父と叔母は、農舎を使用に支障のない程度に自分達で修繕した。
雄介は誰からも咎められる事は無く、むしろ火傷は無いかと気遣ってくれた。しかし幼い雄介の心は叱られるより痛んだ。

その後、母が如何程か弁償したかもしれないが、定かではない。

ーーーーーーーー次回に続くーーーーーー

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