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チョコレートブラウンの板塀のある家 8

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啓介の葬儀

叔父の啓介が亡くなったと報せを受けたのは母のアキヨが逝ってからしばらくしてのことだった。

叔父の葬儀は、チョコレートブラウンの板塀の中で執り行われた。従兄弟の実や叔母の時とは違い、雄介達も招かれた。

叔父は、とても穏やかな顔をしていた。はとこ達が寂しそうに叔父の棺を囲み、花を手向ていて、雄介達もそれに加えてもらった。誰からともなくすすり泣く声が聞こえた。

葬儀の後、赤木家の末子(三男)からこの家を壊すと聞かされ、雄介は、なんだかもったいないような気がした。しかし主のいなくなった家は、とても劣化が速く取り壊しにも難儀することを、よく知っているだけに何も言えなかった。

白い新築の家、実が、汗を流し手作りした板塀にはチョコレートブラウンのペンキが丁寧に塗られていた。経年劣化してしまうことを考えて保護の意味で塗られたのであろう、今もまだ、苦みの効いた美味そうなチョコレート色である。

幼い頃、生け垣に取り付けられた竹製の門の閂を壊しても叱らず、古く薄暗い木造住宅で、自分たちを大切にしてくれた叔父、叔母、従兄弟たち。

雄介には彼らの笑顔が、板塀の隙間から見え、声さえ聞こえるような気がした。ぼんやりと、板塀を眺めながらこの家を再訪した日の事を思い出した。

草むらを掻き分けながら、困難な坂を登り切った所に突如現れた板塀。
車椅子で出迎えてくれた優しげな目をした叔父。
板塀の隅から感じた実の突き刺すような視線。

今日は実は叔父に寄り添っているのか、気配すら感じない。実なりに不自由な叔父を守っていたのだと気づいた。
実は、自分の傍に来た啓介を、誰も害することはできない筈だと安堵しているに違いない。

自分の役目を終えて啓介と談笑しているであろう実に、雄介は軽い嫉妬を覚えた自分に苦笑した。
雄介は健在なのに、母のアキヨを守るどころか、遠く離れて暮らし、ろくに帰郷すらしなかった自分を恥じた。

「叔父さん、幸せだったんだね。実兄さんに守ってもらえて」

雄介は、啓介の野辺送りの準備をするという三男について家の中に入った。
三男の子供、愛理たち、そして遠方から集まった親族たちと座談しながら啓介の遺影を眺めていた

身元不明の遺体

突然表が騒がしくなった。
制服の警官が、私服の刑事を連れて近所から葬儀の手伝いに来てくれている人たちになにやら尋ねている。

沢の方で若い男性の遺体が見つかったと言う。遺体の損傷が激しく辛うじて若い男性と分かり、死後数日が経過していたらしい。
近隣で行方不明者の届もない、遺体の状態から犯罪の可能性を視野に入れての捜査だったと、雄介達は後に知る。

弔問客が災難にあったのは、最初に近隣の人に聴取した後だった。
若い人元気な人は日中勤めに出ていて、早朝と夜間に職場と家を行き来する時間では何も見ることなどない。

家を守る高齢者も農作業も一段落していて、暑い最中、出歩く老人もいないし、知り合いも皆健在である。皆首を傾げるばかりである。

理不尽にも、収穫を得られなかった県警から応援に入った刑事たちが、次に標的にしたのが、啓介の葬儀に集まった弔問客だった。

雄介達姉弟も、聴取の対象外ではなかった。
執拗に「いつ来たのか?」「知り合いでは無いのか?」「今日以外に最近ここに来たのでは無いか?」ここ数日のアリバイまで聞かれた。

葬儀に参列しているだけの人間にここまでするか?と切れそうになるのを必死で堪えた。

長時間足止めされ、野辺送りにも参加できず、不満げな弔問客をよそに、刑事たちは、熱心に聞き込みをしていた。

雄介は叔父が少し不憫に思えた。
やっと家族の元へ逝き、不自由な暮らしから解放された旅立ちの日の大切な儀式。

自死だか、犯罪だか判らないが、不逞な輩のせいで台無しになった葬儀、弔問客たちも長時間足止めされた挙句、渋い顔で散り散りに帰っていくしかなかった。

叔父はきっと空の上から
「高所からすまんが、集まってくれてありがとう」
と言いながら頭を下げているに違いない。

以前再会した時の叔父の言葉をふと思い出した。
「この辺りも物騒になってきてのお」
空巣、押し込み、万引などと話していたが、死体の話は聞いていなかった。

この辺りは、近隣の家との距離が結構離れている。身元不明の遺体の主が沢に声も立てずに飛び込んだとしても、かりに誰かが、沢や山中で殺人、若しくは死体遺棄したとしても、おいそれと見つかる事はなかっただろう。

しかもこの時点では、身元どころか死亡時刻さえ判明していなかった。

雄介は、啓介に心の中で頼んでみた。
(叔父さん、騒がしくて不満かもしれないけれど、これも何かの縁。そっちで犠牲者?に聞いてみて)と

ここで従兄弟の実が現れるかと思ったが、完全に昇天してしまったらしい。実が、雄介達の前に二度と現れることはなかった。


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