「なんとなく」で生きることの難しさ

どうも、音大で色々とやらかしてる人です。

実は、この記事を書くきっかけとなったのが「実技レッスンの前に楽器の整備と清掃を行わなければいけないのに前日の夕方まで何にもしていない。2週間前からわかっていたのに。」というもの。あ、ちなみにレッスンは記事を書いてる日の翌日。つまり清掃せずに今この記事を書いてるということになるんですが

…ゴホン、話を戻しましょう
私、生来の無精者でありまして、とにかく「期日」というものが苦手であります。

中学のときは苦手科目だった数学と英語の課題をことごとく期日過ぎてもやらず、大目玉を食らって泣いても次の課題の時にはすっかり忘れている、というありさま。

しかも、当時は自覚が無かったのですがタチが悪いことに「負けず嫌い」「逆張り」をする厄介な学生で、親や先生に言われるとなおのこと課題をやる気力が失せ、最終的に提出するまで2週間近くずっと居残りをするというヤバイ学生でした。

高校でもそういうのを引きずったまま、音大に進学したらどうなるか。

レポートやグループ制作の課題が期日ギリギリまで進まず周囲に迷惑をかけた結果、地獄を見ました。

単位も何個か落としました。休学した後にほとんど取り返すことはできましたが3年生になった今でも当時のことを引きずっており、学年が一つ違ってしまった同期とは顔を合わせづらいです。



なんでこうなった?

記事を書いている間もずっと僕の心の中で自問自答をしていますが、上手くまとまりません。

ただ、一つ思うに、「なんとなく」で生きてきたツケが回ってきたのではないのか。

先ほどお話した通り、計画性のカケラも無いような人間です。

私がグループワークで何か作る、となったときに立てる計画と言えば「とりあえずやることを分担して、期日までに臨機応変に対応する」くらい。

つまり、行き当たりばったりということだな?と言われたらその通り。

計画というものを立てるのがいつも苦手で、けど「周りの人がなんとかしてくれるから」と心のどこかで甘えてしまっていた。

なんとなくでここまで生きてきてしまった。

恐ろしいものです。何もしなくてもご飯が出てくる、何もしなくても親からお金がもらえて、現状に対して怒られはするものの追い出されずに実家で暮らせる…

そんな環境に慣れ切ってしまうと、何も自分ひとりで考えられなくなります。

もちろん、そういう環境が絶対悪だと考えているわけではありません。

家庭環境が良くなかった方からしたら「天国」のような環境かもしれませんし、実際苦労はあんまりしてこなかったです。

ただ…自分自身がそれに浸ってしまい、抜け出せなくなった。

それだけ。

なんとなく。

思えば、この歳になるまで将来のことを深く考えたことがあんまりなかったです。

普通は高校の時点で考えると思います。

人生の分かれ道ですから。

けど「高卒はなんか嫌だけど、自分にできるものと言えば音楽しかない。お金はかかるけど、音大入ればいいや」というくっだらない動機で音大へ。

結局音楽そのものも才能以前の問題として熱意が無く、入学して1年ほどで心が折れました。何やってんだろう、と。

なんとなくでやってきて、初めて「挫折」というものを味わいました。

誰も、助けてくれません。

一般的な学業であれば、理系であれ文系であれ、何かしら知っていたりする人に教えてもらえば課題や授業内容を理解したり終わらせたりすることはできるかと思います。

でも、音楽は自分で全てを解決しないといけない。

演奏は誰も助けてくれません。

全て、自分の責任であってミスや技量不足を感じるのは練習不足。

ここに来て味わった挫折に立ち直れず、一度、心が折れて休学しました。

詳しい話は割愛しますが、なんとなくで生きてきた結果がこれです。

もう引き返せません。

敷かれたレールの上を如何に、効率よく進むか。

なるようにしかなりません。

自分の人生、失敗した責任は誰も取ってくれません。

最終的には自分で全て解決しなければいけませんから。


終わりに

今年から卒論の事前研究が始まり、また挫折を味わうことになりそうです。

自戒の念も込めて、記事にさせていただきました。

正直、社会に出られる自信がありません。

もう何も将来のことは考えたくありません。

私は十分、人生を生きた気さえします。

皆さんには、こういう生き方はしないでほしいです。

自分の人生を、自分自身の力で、歩んでほしいです。



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