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ロックが死んでパンクも死んでスポーツが残った

ロックの世界ではニルヴァーナ以降という言い回しがあるが、たしかに彼らが「ネヴァーマインド」を発表し大きく飛躍した91年を境にロックは大きく変わったように思う。端的に言えば、ブルーズやロックンロールなどの黒人音楽を取り入れることで発展してきたロックの主流が、パンクやポストパンクから発展してきたオルタナティブに凌駕されたということだ。その影響力は凄まじくローリング・ストーンズ、ポール・マッカートニー、クラプトンなどのロック界の大物達の音楽性は急速にコンサバティブな方向性に舵を取り、ヘヴィメタルはデスメタルなどのサブジャンルの音楽性を取り入れ先鋭化することでアンダーグラウンド化し、UKロック(古いな)は懐古主義と共にドメスティックな要素を打ち出し国内中心の盛り上がりを見せることになる。

ニルヴァーナの音楽性自体は新しいものではなかった。USパンクに詳しい人であればハスカー・ドゥとピクシーズを混ぜたようなものだと感じただろう。つまり特定の音楽シーンの中の数多あるバリエーションの一つに過ぎない。革新的なものがあるとすればあの手の音楽を売れ線の(バカが好みそうな派手で大げさな)サウンドプロダクションで作品化したことだろう。それは新しい音楽ではなかったが、アンダーグラウンドにあった蓄積がグランジというレッテルを通して大衆に届き広く共有されたということは新しかったと言える。

しかしそれはロックへの批判者であるパンクという役割が終わったことを意味する。オルタナティブだったものがメインストリームに変わるというのはそういうことだ。ジョニー・ロットンの「ロックは死んだ」という有名なセリフがあるが、ピストルズが登場したことによって旧来のロックが死んだのならニルヴァーナの登場とともにパンクは死んだと言っていい。カートが遺書で「ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていた」と書き残していたのは自分が大切にしていたものを壊してしまった罪悪感を無意識で感じていたからなのかも知れない。

結果としてロックは感じの良いパンクのようなものになった。また旧来のように鑑賞するためのものではなく、音楽そっちのけで体を動かしスポーツのように汗を流すためのBGMになった。そこにはカートが大嫌いだった健康的な若者や爽やかな一般人が日々の暮らしで溜まったストレスの解消のために集うのである。つまりはクソみたいな社会を補完するための装置に成り下がったということだ。

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